連続射出される鮫歯が機関砲となって床を穿った。ウサボルトは床を、机を、壁を、そして天井をと、講堂内を縦横無尽に飛び跳ねて逃げていく。破砕がウサボルトを追いかけていき、粉塵と破片が舞い上がる。電撃が通じないならと、単純な手数と物理押しできやがった。

 鮫の歯は一生で何度でも生え変わると聞く。鉄鮫は尋常ではない速度で歯を生え変わらせ、同時に古い歯を前方に押し飛ばすことで口腔を機関砲にしているのだ。

 鮫歯の機関砲はついに逃げるウサボルトを捉えた。鮫歯の嵐がウサボルトを呑みこみ、直後空中に舞い上げられたのは根元から千切れ飛んだウサボルトの左腕だ。左腕から飛び散る鮮血が雨となって降り注いでいく。

「ああ! 腕がっ!」

「心配は無用です。魔装や魔身変現した際の天魔獣の体は、例え傷つこうが失われようが本来の体に影響を及ぼしません。あなたもわたくしの失われた右腕が蘇り、両脚の機能が回復したのを目の当たりにしたでしょう?」

 そこでゼヒルダ会長は「ただし」と言葉を区切った。

「命だけは別です。命を失ってしまったら、例え全身を天魔獣に変えていたとしても死から逃れることはできません」

 僕はごくりと喉を鳴らし、慌ててウサボルトの姿を探す。それはすぐに見つかった。あろうことかウサボルトの姿は鉄鮫の真正面、鮫歯の発射元である口を目掛けて突っこんでいた。

 鉄鮫が歯を吐きだし、放たれた弾幕がウサボルトを襲った。乱舞する鮫歯によってウサボルトの体は噛み砕かれ、瞬く間に無残な挽き肉へと変えられてしまう。

 直後、細切れとなったウサボルトが霧消した。なにが起きたのかと理解する暇もなく、ウサボルトの姿が鉄鮫の懐深くに出現する。長い耳が振り上げられ、丸められた先端が拳となって鉄鮫の下顎を殴り上げた。鉄鮫の口からは血反吐と砕けた歯が飛び散っていく。

 しかし先ほど惨殺されたウサボルトはなんだったのだろうか? 戦場を注意深く観察すると、白い霧が立ちこめていた。つまり鉄鮫が細切れにしたウサボルトは凍結能力によって空気中の水分を霧に変え、霧を銀幕にして投影された虚像だったのだ。

 鉄鮫の腹部にウサボルトの短剣が突き立てられる。

「返してもらうぞ」

 短剣が横薙ぎされ、振り上げられ、鉄鮫の喉元までを一気に搔っ捌いた。十字に開かれた鉄鮫の内部から異臭を上げる肉の塊が零れ落ちる。それは胃液によって溶け崩れた、鉄鮫に喰われた犠牲者の一部だ。

 彼は鉄鮫を倒すだけではなく、犠牲者までもを取り戻そうとしていたのだ。

 ウサボルトは斬撃の勢いもそのままに上昇。空中でくるりと縦回転して天井に着地すると同時に再跳躍し、眼下の鉄鮫へと天空からの一撃を振り下ろす。鉄鮫は鮫歯の機関砲で応戦しようとするが、鮫歯は一向に射出されていかない。なぜなら鉄鮫の口は凍結していた。ウサボルトの耳による下顎の殴打が、接触による直接凍結を起こしていたのだ。

 振り下ろされた短剣が鉄鮫の鼻っ面に侵入した。凍結した上下の顎を、両目の間に位置する軟骨の頭蓋を、そしてその内部の脳を両断し、脛骨を真っ二つにしながら駆け下りて、胴に到達したところで突然停止。

 彼はにやりと笑った。鉄鮫に侵入した短剣は、鉄鮫の内部に潜む人物によって白刃取りされていた。

 直後、鉄鮫の体が爆散した。僕らは咄嗟に体を庇う。衝撃波が体を叩き、鉄鮫の肉片と血飛沫が僕らに降り注いできた。

 爆発自体は一瞬だ。視線を前方に戻すと、鉄鮫のいた場所には真っ赤な池が出来上がっていた。濃密な血の匂いが鼻を歪めてくる。

 爆心地に最接近していたはずのウサボルトは、さすがと言うべきか、短剣で爆発も肉片も防御していた。そして厳しい顔つきで前方を凝視する。

 鉄鮫の作った血溜まりの中心には巨大な穴が穿たれていた。穴は深く、地の底にまで続いているかと思えるような不気味さがある。

「……勝った? 勝ったぞ!」

「やった! 俺たち生きてる! 死なずにすんだんだ!」

 講堂のそこかしこで勝利の歓呼が沸き上がる。

 ウサボルトは長く長く息を吐きだした。短剣を一振りして血糊を払い、変身を解く。

 僕は押し黙ったまま彼を見ていた。

 僕は彼にどう接すればいいのだろうか? 彼は僕とこの学園を二度に渡って救ってくれた。だけど彼は鉄鮫を喰った。人間を喰らう天魔獣を喰らう彼は、人喰いにも近しい禁忌の存在だ。

 僕も彼を忌まわしく感じている。彼に近付くのを躊躇っていた。

 それでも僕は彼に言わなければならない言葉がある。僕は彼を恐れているのだろうか? 一歩を踏みだすが、足取りは重く鈍い。一歩、また一歩と彼に向けて歩いていく。

「おっと、そこまでだ」

 彼のこめかみに銃口が突きつけられた。弾かれたように僕は視線を移動させる。

 銃を握るのは白髭の中年男性だった。顔の傷に、筋骨隆々とした体躯は、まさに歴戦の戦士という形容があてはまる。

「ガルジオ教官、ようやくきてくれましたか」

 ゼヒルダ会長の言葉には複雑な感情がこめられていた。年長者という精神的な支柱が現れたことに対する安堵。また、到着が遅れたことへの憤りと非難。時間稼ぎの失敗に対する自責と忸怩。そしてなによりも、自分たちを救ってくれた彼に銃口が向けられている怒り。

 講堂の内部にはぞくぞくと二十人ほどの歴戦の戦士、戦闘実技教官が到着してきた。

 その中心人物らしき中年男性、彼のこめかみに銃口を突きつけたガルジオ教官が口を開く。

「さてと。天魔獣に襲われたってんで飛んで駆けつけてみれば、これは一体どういうことだ?」

 ガルジオ教官は理解しかねるというように呟いた。天魔獣はすでにおらず、上級生たちは軒並み倒れ伏し、見覚えのない男だけが立っているのだから当然だろう。

「まあいいだろう。とりあえず貴様を拘束する」

「そんな馬鹿な!」

 あろうことかガルジオ教官は彼に対してそう告げた。僕は思わず異議を口走る。

「どうしてそうなるんですか?」

「こいつは部外者だ。天魔獣の騒動に部外者がかかわっている疑いがある」

「そ、んな。いくらなんでも理不尽だ。天魔獣は彼が倒してくれたんですよ」

「こいつは匂うんだよ。危険な匂いがぷんぷんしてきやがる。何度もくぐり抜けてきた戦場と同じ匂いだ。理不尽かどうかは尋問してみればわかることだ」

「それこそ横暴じゃないですか!」

「だったらどうする? 力ずくで止めるか?」

 凄まじい剣幕での恫喝だ。僕は思わず一歩たじろいでしまった。それを見たガルジオ教官は居丈高に鼻を鳴らす。

「力も実績もない鼻たれが、声だけデカくすりゃ要求が通るとでも思ってるのか!」

「だが!」

 教官の剣幕に負けじと僕も声を荒らげていた。

「例えそれが正論だとしても! 僕が引いてしまえば彼の拘束が正当化されてしまう。そんなことを許せるわけがないだろうが!」

「やめておけ」

 しかして僕を制止したのは、不当な扱いを受ける彼自身だった。

「俺の扱いなんて、まあ、大抵はこんなもんだ。お前が気にするようなことじゃない」

 彼の声には悲観も諦観もない。自分の現状を理解して、受け入れて、その上で鼻歌混じりに笑い飛ばす気丈さがあった。

「入学初日に問題を起こすものじゃない。それに問題もない。どうせこいつが赤っ恥を搔くだけなんだからな」

 言い終わるかという間に、ガルジオ教官の拳が彼の頬を殴りつけていた。彼は口から血を吐き捨てる。ガルジオ教官は炎のような敵意の視線で彼を睨みつけた。

「……いくぞ。連れていけ」

 教官たちの手によって彼が連行されていく。僕は小さくなっていく彼の姿に、手を伸ばすことしかできなかった。



 世界のすべてがしんと静まり返っていた。視界は黒一色の闇に覆われている。前後も左右も怪しい中で上を見ると、満天の星空が広がっていた。闇夜に目が慣れてくると、周辺は背の高い木によって囲まれていることがわかっただろう。

 草木も眠る丑三つ時。学園から少し離れた林の中から、男女の吐息が聞こえていた。

「ねえ、本当にここでスルの?」

 女子生徒は少し躊躇いがちに尋ねた。瞳は潤み、頬は紅潮し、吐く息は熱くなっている。すでに何度か体を撫で回されていたらしく、服は扇情的に乱れていた。

「昼間あんなことがあったんだよ? 大勢の人が死んだのに……」

「だからさ。じんこーの減少に、少しでもこーけんしてやろうってことだよ」

 そう口にすると、男子生徒は再び女子生徒に口付けをした。舌の絡みあう粘液の音が奏でられ、唇が唾液の糸を引いて離される。

「それに、本当は燃えているんだろう?」

「もう。やだぁ」

 言い訳のように恥じらいを口にして、女子生徒はスカートの中から下着を下ろし、片脚だけを引き抜いた。服の胸元をはだけてフリルのブラを夜気に晒す。頬と同様に、肌も行為への予感で火照り、汗ばんでいた。

 男子生徒が辛抱たまらんとばかりにズボンの金具に手をかける。そこで女子生徒が怪訝な顔となった。

「なにかしら? 音が聞こえる」

「音?」

 男子生徒は鸚鵡返しした。耳を澄ませると、確かにコーン、コーンと、なにかを打ちつけるような音が聞こえてくる。

「……どうしよっか?」

「……覗いてみるか?」

 どうやら性欲や恐ろしさよりも興味心が勝ったようだ。二人は雑草を踏みわけながら林の中を進んでいく。

 林の中の少し開けた空間に、白い人影が浮かび上がってきた。それは白装束に身を包んだ女だ。女の額には鉢巻が巻かれ、火のついた蝋燭が挿さっている。

「くふふふふ……」

 女は木を前にして不気味な笑い声を漏らした。右手を振り上げ、握った木槌を振り下ろす。コーンと音がした。女の左手は藁人形を木の幹に押しつけていた。木槌が振り下ろされ、藁人形の心臓に何度も何度も杭を打ちつけていく。

 二人の喉がごくりと音を立てて唾を呑みこんだ。

「ねえ、あの藁人形……」

 女子生徒は小声で囁いた。女が杭を打ちつける藁人形の顔には、特待生ディノ・クルスの顔写真が貼りつけられていたのだ。

 それだけではない。林の中の木という木のほぼすべてに藁人形が打ちつけられていた。何体も何体も、何体も何体も、何十体もだ。

 女がくるりとこちらを向いた。

「見ぃ~……たぁ~……なぁ~……」

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