闇を抜けたら白一色の空間だった。僕は一瞬、ここが死後の世界なんだと思った。

 でもそうじゃなかった。白い天井に、白い蛍光灯。そこは白一色の部屋だった。周囲は白いカーテンに覆われていて、僕は白いベッドの上に寝かされ、白いシーツをかけられていた。視線を横に向けると機械が見えた。点滴の管が僕の腕に繋がれていて、着ているものまで白一色の寝間着だ。なんとなく病院なのだと思い至った。

 僕はどうして病院なんかで寝ているのだろう?

 そこまで考えたところで、先ほどまでの出来事が脳裏に蘇ってきた。

「う……あああ……」

 そうだ。皆死んでしまったんだ。親父も、母さんも、妹も、友人も、誰も彼も、村の全員が。

「あが……あがが、がっ……」

 僕の慟哭は声にならなかった。涙も鼻水も流れでるのに、声だけが出てこなかった。

「ががが……あがあっ」

 看護師服のおばさんが僕に気付いて、すぐに医者先生が呼ばれてきた。

 それから色々と検査を受けて、なんだか疲れてしまって、その日は早々に眠ってしまった。

 明けて翌日、調査委員会と名乗る一団が僕を訪ねてきた。一団をまとめているのは僕とそんなに歳の変わらない女性だ。地元の女の子たちとは違ってしっかりと化粧をして、耳にはピアスもしている。大きく開いた胸元から白い肌が見えていた。

 女性の口から僕の村が壊滅したこと、あれから一週間眠り続けていたこと、あの事件をエルビキュラスの惨劇と呼んでいること、そして僕が村で唯一の生き残りであることなどが語られていくが、僕はそれをどこか上の空で聞いていた。

 悲しみや怒りじゃなく、虚しさだけが湧いてくる。

「それで訊きたいことがあるのだけれど、あなたの村を襲ったモログニエ……天魔獣について、覚えていることをできるだけ詳しく教えてくれるかしら?」

「……え?」

 僕は思わず訊き返していた。頭が回り始めるに連れて意味が呑みこめてくる。

(特徴や数を訊くってことは、つまり死骸が見つからなかったってことだ。あいつはどこかに去っていったってことになる)

 だったら早くあいつを倒さなければ。僕の村みたいな悲劇が繰り返されてしまう。

 そういえば彼は無事なのだろうか? 一言でいい。礼が言いたかった。

 そんな考えとは別に、僕の頭の中にはある考えが浮かんでいた。けれどもそれをやってしまったら、僕は後ろめたさを背負いながら生きていくことになるだろう。

(…………なにを、馬鹿なことを)

 負い目ならもう背負っているじゃないか。逃げだしてしまった負い目。生き残ってしまった負い目。だったらもう一つ負い目を背負うことくらい、どうってことはない。

「あいつは山のように大きい体でした。家を一口にしたんです」

「まさか、そんな……」と、女性の背後に控えた男たちが口々に動揺を示していく。現場検証から予測はしていたけど、山のような巨体なんてなにかの間違いだと考えていたのだろう。それが僕の口から裏付けを聞かされて改めて驚いている、といったところか。

 そして僕の嘘はここからだ。

「でも、大きすぎたことが逆に活路になりました。開墾に使う爆薬があることを思いだしたんです。僕はあいつを爆薬の保管小屋まで誘導して、小屋をあいつに食わせたんです。そうしたら思ったとおりに、口の中で爆発が起こりました」

「つまりあなたがその天魔獣を追い払ったと?」

「そういうことになります」

 これは好機だ。僕は考えを実行に移すべく、言葉を続ける。

「あの、確か特待生制度というのがありましたよね? 天魔獣と戦う戦士を養成する学校に、優秀な人材を学費免除で通わせてくれるっていうのが。天魔獣を撃退した僕には適用されるんじゃないでしょうか?」

「ええ、適用されますよ」

 と、女性は事務的な口調で回答した。それから試すような視線を僕に向けてくる。

「それであなたは、特待生になってどうするつもりですか?」

「僕は……」

 そんなものは決まっている。僕はもう、あんな思いは味わいたくない。天魔獣に家族も故郷も生活も思い出も、なにもかもを奪われるなんて。そして他の誰にも、僕と同じ思いを味わわせたくないんだ。

「僕は天魔獣と戦わなければいけないんです。僕のような人々を生まないために」



 その男が今、僕の目の前に再び現れてメタルフライシャークと激闘を繰り広げていた。

 男、ではなくウサボルトが床上を疾駆していく。と思っていたら直角に進路を変えた。そして跳躍。ウサボルトの動きに翻弄されて、鉄鮫は右に左に上にと休む間もなく首を巡らせていく。人間ではなしえない動きも、天魔獣の肉体なら可能ということか。

 瞬く間にウサボルトは鉄鮫の背後へと回りこみ、身の丈ほどもある短剣を裂帛の勢いで振り下ろした。しかしそれは鉄鮫の背鰭によって防御されてしまう。

 逆に鉄鮫は背鰭でウサボルトを空中に軽々と弾き返してしまった。空中では身動きが取れない。ウサボルトの驚異的な俊敏性が封殺されてしまった。

 鉄鮫が跳躍し、竜巻のような回転から尻尾を横薙ぎにする。あれはやばい。鉄鮫の巨体を高速で泳がせている尻尾は筋肉の塊だ。その一撃は大砲の威力にも匹敵するだろう。

 激突の瞬間、ウサボルトは両脚で踏みつけるように鉄鮫の尻尾を受けとめていた。鉄鮫の尻尾と同じように、ウサボルトの両脚もまた筋肉の塊だ。衝撃を吸収して無力化し、両者は弾かれたように距離を取る。

「おかしいわ。どうして敵性指数ブラックオーダーの低いウサボルトが、上位の天魔獣であるメタルフライシャークと互角以上に戦えているの?」

 僕の腕の中の女子生徒がぽつりと疑問を口にした。

「敵性指数はなにも単純な戦闘力だけを基準にしているのではありません」

 と答えたのは、気絶から復帰してこちらに顔を向けているゼヒルダ会長だ。やはり両脚は相当に不自由なのか、こんなにも緊迫した状況だというのに一歩も動こうとしない。腕の中の女子生徒が僕から離れて、会長の介抱へと駆け寄っていく。

 僕はなぜだか、ちょっとばかり悲しい気分になった。

「敵性指数とは戦闘力を含めた、人類への総合的な脅威度から定められているのです。ウサボルトのレベル灰は、温厚な性格で滅多に人を襲うことのない種に対して制定されます。積極的に人を襲うことはなくても、人を襲うにありあまる力自体は持っているのですよ」

 そこで一旦言葉を区切ってから、ゼヒルダ会長は「ですが」と続けた。

「問題はそこではありません。そもそもウサボルトは魔装できないはずなのです」

 どういう意味だろうか? と首を傾げる暇もなく、ウサボルトと鉄鮫の激突が目に入ってきた。ウサボルトが短剣を突きだし、鉄鮫が歯で弾いて、ヒレが繰りだされ、短剣で受けとめ、横薙ぎし、鉄鮫が仰け反って回避。鉄鮫の頭部が背中側へと反らされ、連動して真下から尻尾が振り上げられる。ウサボルトは短剣で防御し、鋼と鱗が激突して火花が散った。

 同時にウサボルトの無手の左手が鉄鮫の尻尾に爪を立てていた。爪が鱗を突き破って鮮血が飛び散り、その下の皮膚を肉をと容赦なく突き進んでいく。

 鉄鮫は攻撃から逃れるため強引に身をよじって脱出。僅かな時間を滞空して尻尾から着地しようとして、しかしできずに腹から床に墜落する。目を白黒させた鉄鮫はウサボルトに視線を向け、その左手が握る血塗れの白い円柱に気がついた。鉄鮫の尻尾の骨だ。

 ウサボルトは無造作に鉄鮫の骨を投げ捨てた。一方の尻尾を不随にされた鉄鮫は、腹鰭と残った一枚だけの胸鰭を動かして、ようよう体勢を立て直す。

「……どうして鱗の糸がきかないのか、って顔をしているな」

 油断なく視線と短剣を鉄鮫に突きつけながら、ウサボルトが口を開く。

「種明かしをするのなら、それは摩擦力だ。ウサボルトの強靭な毛皮が鱗の糸を巻きこみ、絡め取って無力化しているんだよ」

「道理があわぬな」

 僕ら以外の誰かが喋った。聞いたことのない声だ。誰だろうか?

 いや、わかっている。誰が喋ったのかはわかっている。だけど認めることができない。

 今の言葉は、目の前の鉄鮫から発されていたのだ。

「我は鱗の糸を介して貴様に鏖力おうりょくの電撃を放ち続けていた。であるのに貴様は雷霆に打ち捨てられていない。そして貴様が糸を絡めて無力化したというのなら、貴様自身も糸によって動きを封じられていなければ辻褄があわぬ」

 そこで鉄鮫は首を傾げた。自分の発言のどこかに違和感を覚えたという感じだ。

「…………いや、違うな。糸自体が途絶している。これはペテンか」

「さすがに見抜くか。だが遅い」

 僕は身震いした。寒い。見れば周囲には霜が降りている。そして鉄鮫の下半身が氷に包まれ、床へと固定されていた。

「ウサボルトの凍結の鏖力によって、鱗の糸は凍結粉砕されていたんだよ」

「鏖力は鏖力によって相殺される。ならばこちらの鏖力はそちらの鏖力よりも弱く、同時にそちらの鏖力も減衰され、こちらの動きを止めるために長話で時間稼ぎをする必要があったということか。しかりだ」

 ウサボルトと鉄鮫はにやりと不敵な笑みをかわした。人間の顔ではないはずなのに、その仕草はどこか人間じみていた。

「では、こういうのはどうだ?」

 鉄鮫の言葉と攻撃は同じ場所から発せられた。鉄鮫が大きく口を開いたかと思うと、その内部からなにかが凄まじい勢いで連続射出される。射出されたのは白く輝く三角形、鮫の歯だ。

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