③
今の攻防で膠着は崩されてしまった。上級生たちは完全に冷静さを失い、目を血走らせて鉄鮫への憎しみを膨らませていく。もう、いつ爆発してもおかしくはない。
「この下郎がっ!」
しかして、いの一番に飛びだしたのは誰あろうゼヒルダ会長だった。全員の驚愕を余所に、一直線で鉄鮫へと向かっていく。
「あなたにこれ以上、誰も奪われるわけにはいきません!」
ゼヒルダ会長は右に左にと進路を変えつつ、体をしならせ、まるで踊っているかのように優雅な動きで鉄鮫に迫っていく。その会長の背後で床が切断され、机が解体されていった。鉄鮫は不可視の攻撃を放っているはずなのに、会長はそれらをことごとく避けていく。
「わたくしには見えていましてよ!」
ゼヒルダ会長の動きを目で追いかけていると、僕にも空中を飛びかうなにかの残滓が見えたような気がした。それは目に見えぬほどとても細い。
「……糸、か?」
呟いた瞬間、僕には攻撃の正体がわかった気がした。おそらく鉄鮫は極めて細い糸のように変化した鋼の鱗を繰りだして、教師や上級生を斬殺したのだ。
ゼヒルダ会長は鋼の糸の攻撃を避けていく。しかしいつまでも避け続けられるものでもなく、ついにゼヒルダ会長は糸に追いつかれてしまった。ゼヒルダ会長は咄嗟に腕を掲げる。僕はゼヒルダ会長の腕が切断され、さらにその先にある細い首までもが落ちる様を幻視した気がした。
しかし実際に飛び散ったのは血ではなく火花だ。鉄鮫の放った糸は会長が掲げた腕の装甲によって食いとめられていたのだ。
「そしてわたくしの〈パンツァーケントロス〉の重装甲の前ではどんな攻撃も無意味!」
ゼヒルダ会長が鉄鮫目掛けて腕を突きだした。会長の奇妙に膨らんだ前腕から突如として鋭い突起が飛びだし、鉄鮫のヒレを貫いて床に縫いとめてしまう。会長の四肢は筋肉によって突起を打ちだす生体パイルバンカーになっていたのだ。
「今です!」
この機を逃さんとばかりに、上級生たちは一斉に鉄鮫へと飛びかかっていく。
僕の背筋を冷たい汗が伝い落ちていく。鉄鮫の顔には嘲りがあった。僕には鉄鮫がこの瞬間を誘ったように感じられた。
そして次の瞬間、鉄鮫の体から強烈な電撃がほとばしっていた。電撃に打たれて上級生のことごとくが感電して倒れていき、焦げた皮膚から煙が上がっていく。
「きゃああああああっ!」
誰よりも深手を受けたのは、鉄鮫に直接触れていた会長だろう。喉を反らして悲鳴を上げたところに鉄鮫の尻尾が叩きこまれた。ふっ飛ばされ、何台もの机を破壊しながら進み、背中から壁に激突。気絶してしまったのか、魔装も解除されてしまう。
「あああ、会長…………そんな馬鹿な……」
攻撃に参加しておらず、唯一被害を免れた副会長も呆然となっていた。
教官の到着を待つまでもなく、上級生たちは全滅してしまったのだ。
「おいどうする? 俺たちはどうすればいいんだよ?」
隣でケビンスが喚き散らしているが、それを聞きたいのは僕のほうだ!
このままでは鉄鮫によって、気絶した上級生たちが喰い殺されてしまう。だったら僕たちがすべきことは、教官が到着するまでの時間稼ぎを引き継ぐことじゃないのか? でもだけど、それをやってしまったら、おそらく僕たちは無事でいられないだろう。
踏んぎりのつかない僕は再び鉄鮫に視線を向ける。そして見つけてしまった。鉄鮫の視線の先に女子生徒が座りこんでいるのを。女子生徒は怪我でもしたのか一向に逃げようとしない。彼女は恐怖に顔を強張らせていて、ここで誰かが動かなければ彼女は鉄鮫に殺されてしまう。
副会長はまだ避難者の護衛を続けていて動けない。ここで副会長が彼女を助けに動いてしまえば、今度は新入生たちが命の危険に晒されてしまうだろう。副会長は新入生全員と彼女の命を秤にかけて、非情な決断を下したのだ。
教官はまだ到着しないのか? 誰か、誰か早く彼女を助けてくれ!
「……誰かって、誰だよ……」
僕の口は馬鹿みたいな疑問を呟いていた。そうだ、誰かが助けてくれるのを黙って待っているだけじゃ駄目なんだ。他の誰かじゃない。ここの僕が彼女を助けなくちゃいけないんだ。
「あ、あああ……」
だけど僕の足は震えていた。歯も音を鳴らしている。
なんだ、なんだよこれは? これじゃ、あの日からなにも進んでいないじゃないか。故郷の村が天魔獣に襲われて、親父も母さんも妹も、友達も幼馴染も、近所の知りあいも、顔も知らない誰かも、僕以外のすべてが喰い殺されたあの日から。涙を流してただ逃げ回っていたあの日から、僕はどこにも進めていないじゃないか。
「うああああああああああああああああああああああああっ!」
僕は絶叫を上げて飛びだした。ケビンスや副会長の呼びとめる声も振りきって。
「僕はもう、なにも奪われるものかと誓ったんだあっ!」
鉄鮫の意識と視線が僕へと向けられた。その瞬間、僕は心臓が凍りつくのを感じた。そして確信する。僕は死ぬのだ。目の前の天魔獣に喰い殺されて。
次の瞬間には凄まじい衝撃が体へと突き刺さっていた。ただし鉄鮫にだ。
鉄鮫の横っ面には足。飛び蹴りが食らわされていた。
衝撃で鉄鮫が宙を舞う。自動車ほどもある鉄鮫の巨体が空中を飛んでいく光景は、まるでお伽話のように現実味がなかった。鉄鮫は背中から壁に激突し、重力に引かれてずり落ちていく。
一方、鉄鮫に飛び蹴りを食らわせた人物は後方跳躍していた。体を丸めたまま空中でくるくると縦回転して、僕の目の前に着地する。
若い男だった。男は制服を着ていない。それだけでこの学園の生徒ではないとわかる。というか服自体を着ておらず、上半身裸だ。彫像を思わせる引きしまった長身と白い肌に、長い銀髪がかけられている。
男は顔だけを振り向かせて僕を見た。瞳まで銀一色の、いわゆる美青年だ。
僕はこの男を知っていた。
圧迫感。見ると女子生徒が僕にしがみつき、胸に顔をうずめていた。僕を摑んだ彼女の手は震えている。聞こえてくるのは押し殺した嗚咽。年上とはいっても、やはり彼女も戦いや死ぬことは怖かったのだ。僕は無意識に彼女の背中に腕を回していた。
前方で音。鉄鮫が態勢を立て直して男に顔を向けていた。応じて男も視線を鉄鮫へと戻す。
「……ようやく追いついたぞ」
男が周囲を見回した。講堂には鉄鮫の犠牲者となった夥しい数の死者が横たわっている。男の背中は、震えていた。
「なにしてくれてるんだあっ!」
男の怒号が大気を震わせる。そして激情のままに鉄鮫へと駆けだしていった。
鉄鮫がにやりと口角を吊り上げる。僕には鉄鮫が笑ったように見えた。
次の瞬間には鉄鮫の姿が搔き消える。なにが起きたのか、僕の目にはまったく見えなかった。
遠くで轟音。咄嗟に顔を向けると、遥か彼方の壁に鉄鮫の姿があった。鉄鮫は強靭な尻尾で壁にしがみついていた。さらに尻尾以外が壁を離れ、空中で体を水平に保つ。そして、飛んだ。
鉄鮫は尻尾を発射台にして、砲弾のような勢いで空中へと飛びだした。さらに四枚の胸鰭と背鰭を翼のように使って大気を摑み、まるで空中が水中であるかのような自在さで進路を変更。鉄鮫は着地と同時に再跳躍を繰り返し、講堂の内部を縦横無尽に飛び回っていく。
誰もが目を見開いていた。そりゃそうだろう。なにせ今までの鉄鮫は、それこそ体を引きずって動いていたほどの鈍重さだったのだ。
隣で金属音がした。見れば副会長がランスを取り落とし、苦渋に唇を噛みしめている。
「そんな馬鹿な……ふざけている……」
副会長は尋常ではなく動揺していた。
「こんな短時間で欠点を克服し、生みだした新戦法を使いこなすなんて真似は誰にもできっこない。だったら可能性は一つだ。やつは最初から、手加減していたんだ……」
「…………え?」
僕はアホみたいな声を出していた。副会長はなにを言っているんだ? だって実際に鉄鮫は先輩たちをことごとく返り討ちにしていて、なのに全然本気じゃなかった?
「あいつはよりにもよって我々を全力で戦うまでもない相手だと、片手間に駄菓子を食らうような気楽さで全滅させやがったんだ!」
「そんな馬鹿な……ふざけている……」
気がつけば僕は副会長と同じ言葉を口にしていた。それ以外のなにを言えばいいというんだ。
僕たちが無力感の前に呆然としていたまさにその瞬間、鉄鮫が男に攻撃を仕掛けた。講堂の内部を縦横無尽に立体高速移動し続けてからの、突如の強襲だ。背後から襲いかかってくる鉄鮫に対して男は無防備以外の何物でもない。
しかし実際に攻撃を食らわせたのは男のほうだった。男の拳が鉄鮫の下顎に叩きこまれ、砕けた歯が飛び散っていく。
「そんなに速く動けるのなら、死角から襲ってくるに決まっているだろうが!」
男に殴り上げられた鉄鮫は空中で体を畳んで縦回転。華麗な放物線を描き、尻尾で床を踏みつけて危なげなく着地する。
鉄鮫は尻尾を脚に見立てて直立していた。直立するとさらに大きさが際立てられる。まるで大怪獣のような威容だ。
鉄鮫が四枚の胸鰭を振り回して風を切る。素振りをしているようにも見えた。
手刀ならぬ鰭刀が男の四方から襲いかかっていく。応じて男も四肢を繰りだし、ヒレと拳が激突し、肘鉄が落とされ、膝を跳ね上げ、ヒレが防御し、手刀と鰭刀が打ちあわされ、両者の間で目まぐるしい攻防が繰り広げられていく。
攻防の最中に鉄鮫の頭部が突きだされて噛みつきにかかった。男が頭を振り下ろし、逆に鉄鮫の鼻っ面に交叉の頭突きをぶちあてる。鉄鮫が仰け反ったその隙に男は屈み、低空足払い。しかしこれは跳躍した鉄鮫に回避される。
鉄鮫は空中で身を捻ると男の首筋へと鰭刀を振り下ろした。肉の貫かれる湿った音が聞こえる。男の歯が鉄鮫のヒレを噛みつけて止めたのだ。
男の首に血管と筋肉が隆起する。男が全身を捻ると、鉄鮫の体がふわりと浮かび上がった。そして間髪入れずに床へと叩きつける。一度では終わらない。男は再び全身を捻り、鉄鮫の体が振り上げられ、今度は逆向きの半円を描いて床に叩きつけた。三度、四度と、何度も、何度も、鉄鮫の巨体を振り上げては床に叩きつけていく。
そして何度めかの振り上げの最中に突如として手応えを失った。度重なる衝撃に耐えきれず鉄鮫のヒレが根元から千切られてしまったのだ。鉄鮫の巨体は放物線を描いて飛んでいき、背中から机を押し潰して、重い地響きを立てて床に落下した。
そしてこの短時間に何度となく聞かされることとなった、肉の噛み千切られる湿った音が聞こえてくる。しかしその音は鉄鮫から聞こえてきたのではない。
「サメを、口に、するのは……久しぶりだが」
音の発生場所は男からだった。男は鉄鮫のヒレに歯を突き立て、肉を噛み千切り、貪り喰らっていたのだ。
「なにを、やっているんだ?」
僕の口は呆然と呟いていた。
「なんでお前は天魔獣を喰っているんだ? そいつは、そいつの血肉は、人間を喰らって作られているんだぞ!」
男の視線が一瞬だけ僕に向けられた。男の目は、なぜだかとても悲しそうだった。
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