「なんだ? なにが起きたんだ?」

 僕の隣に駆けつけてきたケビンスが冷や汗混じりに言葉を絞りだした。

 教師の列に突っこんだ銀色の物体は、今は血で赤まだらに染まっていた。自動車ほどの大きさがある流線形の物体だ。まるで砲弾のようにも見える。

 いや違う。あれは繭だ。

「こいつは〈再誕の揺り籠〉だ!」

 生き残った教師の一人が悲鳴のような叫びを上げた。それに呼応したかのように流線形の表面に蜘蛛の巣のようなヒビが走る。流線形が破裂し、内部から同じ銀色の巨体が姿を現した。四枚の胸鰭は翼のようにも見え、特徴である背鰭もあわせると計五枚。獰猛さを体現したかのように鋭い牙の列に、前方に突きだした鼻っ面、そして感情のない目、鮫の顔。

「馬鹿な! 〈メタルフライシャーク〉だとっ⁉」と疑問を口にした中年教師の顔に赤い線が引かれた。赤い線に沿って教師の頭部にずれが生じ、バラバラに解体されて落下していく。血と脳漿がぶちまけられ、絶命した教師の体が自らの血溜まりに倒れた。

 鮫の顔をした怪物が、教師の死体に牙を突き立ててその肉を喰らい始める。

「モログニエ……天魔獣だ!」

 その一言で講堂は恐慌の坩堝と化した。新入生たちは我先にと逃げだし、出口を求めて講堂を駆け上がっていく。悲鳴や絶叫、足音と蹴り倒された椅子のぶつかる音が、濁流となって講堂を呑みこんでいく。

 彼らはようやく、自分たちの身になにが降りかかってきたかを理解した。

 モログニエ、通称を天魔獣。人間を喰らう、人類の天敵たる魔獣が襲撃してきたのだ!

「よりにもよってこの学園が襲われているだと?」

「ケビンス。言いたいことはわかるけど、疑問はこの場を生き延びてからだ」

 いくらここが戦士を育てる学校といっても、所詮僕らは今日入学式を迎えたばかりの子供で素人だ。天魔獣を前にしたら狩られる獲物でしかない。

 講堂の出口は逃げる新入生で塞がれている。短時間で講堂を出ていくのは現実的に不可能だ。僕らは天魔獣に気付かれぬようにと、分厚い机の陰に隠れることしかできなかった。

 メタルフライシャークと呼ばれた天魔獣は、周囲の雑音も尻目にして食事に勤しんでいた。今のところ動く食糧に向かってくる様子はない。

 鉄鮫の初撃に巻きこまれなかった教師たちも態勢を整え、遠巻きに鉄鮫の様子を窺っている。舞台は講堂の最も奥まった場所、つまり袋小路だ。教師たちに逃げ場はない。

 教師たちの握った拳からは血が滲んでいる。無残に喰われていく同僚を前にして、顔は憤怒と憎悪に歪んでいた。

「それにしても、どうしてメタルフライシャークがこんな場所に?」と、僕らよりも後方で机の陰に身をひそめたグラサンの男子が疑問を口にした。

「グラサンが絶望的に似合っていない君は誰だ?」

「お前と同じ新入生だよ! 状況から察しろよ!」

 そういえば今朝、桟橋で見たような気がする。

「そうか。それで鉄鮫についてなにを知っている?」

「俺の地元は南の漁村で、そこで話を聞いたことがある。メタルフライシャークはそれほど珍しくもない、それこそごく一般的な海棲の天魔獣だ。だが生息地が違いすぎる。やつらはもっと北方の冷たい海域を住処にしているはずなんだ」

「つまり…………どういうことだ?」

 ケビンスは意味不明だとばかりに疑問符を浮かべた。ケビンスの頭は軽いようだが、生憎と僕にも意味はわからない。

 それに疑問はまだある。あの天魔獣は最初、再誕の揺り籠に包まれた状態で出現した。天魔獣は進化する生物だ。再誕の揺り籠とは、進化の際に作りだされる蛹で繭の状態のはずなのだ。

「だけどあいつは再誕の揺り籠を進化のためにじゃなく特攻時の防御壁として使いやがった」

 そして今日という日だ。先にも言ったように今日は入学式だ。つまり天魔獣は、熟練に達した生徒が卒業して戦力が低下し、次代の青田刈りも行える、最も襲撃に適した日として今日を選んだのではないのか?

 なにかがおかしい。あの鉄鮫は普通じゃない。僕は言いようのない不安を覚えていた。

「狼狽えるな!」

 凛とした声が講堂に響く。僕は息を呑んだ。ケビンスとグラサンも口を閉じる。僕らと同じように机の陰に隠れていた連中も、出口に詰め寄っていた連中も黙って視線を向けた。たったの一言で今までの混乱が嘘だったかのようにぴしゃりと場が静まる。僕は、いや、この場の誰もが、この声の持ち主を知っていた。

 舞台の端に現れ、天魔獣を睨みつけるのは生徒会長ゼヒルダ・ハーネストその人だ。

 鉄鮫は「ようやくか」といった感じでゼヒルダ会長に顔を向けた。呆れているようにも、退屈しているようにも見えた。

「この場はわたくしが陣頭指揮を執ります! だから狼狽えてはなりません!」

 声を張り上げたゼヒルダ会長は、毅然と車椅子から立ち上がった。そして失われていないほうの左手を掲げる。指には魔性の輝きを放つ指輪がはめられていた。

 次の瞬間、ゼヒルダ会長の体が凄まじい光に包まれる。やがて光がおさまると、そこには両腕両脚を装甲に包んだゼヒルダ会長が立っていた。いや、それは装甲ではなく、装甲のように強固な皮膚だ。ゼヒルダ会長の手足は天魔獣の手足に変化していたのだ。

「これが〈魔身まじんキャリバー〉……僕たちが天魔獣と戦うための力か!」

 僕の声は興奮で上擦っていた。実物を目の当たりにしたのは初めてだ。ゼヒルダ会長は魔身キャリバーの力で人間の肉体を天魔獣の肉体へと変化させたのだ。ということは、あの指輪がゼヒルダ会長のキャリバーだったのだろう。ゼヒルダ会長の失われていた右腕も復活し、両の脚で危なげなく床を踏みしめる。

 鉄鮫は後ろ足に相当する腹鰭で床を踏みしめ、頭部をぐるりと周囲に巡らせた。

 見ると講堂内のあらゆる場所に上級生たちが姿を現していた。上級生の手には剣や槍や手甲、それに弓や銃などが握られている。上級生たちが次々と光に包まれ、魔装まそうによって体の一部が天魔獣へと変わっていく。両腕が翼になった眼鏡の女子、右腕を剛腕にした筋骨隆々の男子、背中にハリネズミのような棘を背負った者など、その変化は千差万別だ。

「エミーリオ副会長は新入生と教師の方々の避難をお願いします」

「了解しました」

 副会長と呼ばれた南国シャツの男子上級生が勢いよく返事して、跳躍。講堂の天井すれすれを滑空して、僕たちの背後へと着地する。

 エミーリオ副会長の下半身は八本の脚を持つ馬になっていた。長大なランスを旋回させ、鉄鮫に突きつける。

「退路は私が任された! 何人たりともここは通さぬぞ!」

「それ以外の者は、戦闘教官の方々が救援に駆けつけるまで彼の足止めを行います」

「「「了解っ!」」」

 ゼヒルダ会長の指示に返答が唱和された。鉄鮫があくびをするように大きく口を開ける。

「任せて下さいよ。メタルフライシャークの敵性指数ブラックオーダーは下から三番めのレベル紫、所詮は群れの兵隊級です。襲るるに足りません」

 そう嘯いた女子生徒の頭部が消し飛ばされた。鉄鮫は嘲るように鼻を鳴らす。

「馬鹿野郎! 単独で活動するハグレは群れで活動する同種よりも強力なのを忘れたのかっ!」

 事切れた女子生徒へと、上級生の怒号と悲憤が浴びせられた。

 さっきの教師と同じだ。あの鉄鮫は見えない攻撃を放っているに違いない。

「彼に近付いてはなりません! 常に間合いを維持し、遠距離から攻撃を与えるのです!」

 上級生たちは鉄鮫が接近してくると後ろに引き、その隙に別の上級生が鉄鮫の背中を狙う。魔装後の魔身キャリバーはそれぞれの武器に姿を変えていて、鋭い目をした男子生徒は頭部から引き抜いた鳥の羽根をキャリバーの弩に装填して矢にし、ポニーテールの女子生徒はキャリバーの投げ斧を投擲し、またある生徒は天魔獣の腕から爪や針を射出させる。遠距離系の攻撃手段を持たない上級生は単純に机を投げつけた。攻撃は鉄鮫の背中に殺到していく。

 鉄鮫は腹鰭を足のように動かしてのそりのそりと前進していく。その動きは亀のように遅い。そりゃそうだ。なにせ天魔獣といっても陸に上げられた魚類に違いはないのだ。その上足場は階段状で、さらに無数の机が障害物になっている。全身に食らわされる攻撃によって背中の肉が爆ぜ、腹鰭が破壊されて体勢を崩し、血と肉片が飛び散っていく。

 だというのに、鉄鮫は妙に平静としていた。まるで攻撃の嵐を意に介していないみたいだ。そしておもむろに顔を床に突っ伏させた。その先に転がっていたのは先ほどの攻撃で絶命した女子生徒の遺体だ。

「ま、さかっ……⁉」

 僕たちの予感は最悪の形で的中した。攻撃されている最中だというのに、鉄鮫は女子生徒の体に牙を突き立てて喰らい始めたのだ。肉を裂き、骨を砕く生々しい音が講堂に響き渡る。

「きっ、きっ、貴様あああっ!」

 激昂した男子生徒が周囲の制止も振りきって鉄鮫へと飛びかかっていった。鉄鮫の頭部目掛けて一直線に剣を振り下ろす。

 交錯の一瞬後、男子生徒の上半身は鉄鮫によって食い千切られていた。残された下半身が慣性のままに落下して、机に激突して内臓をぶちまける。鉄鮫の口から男子生徒の体を噛み砕き、嚥下する音が聞こえてくる。

 鉄鮫は狡猾だった。相手に近付けないのなら、相手から近付いてこさせればいいのだ。そのために女子生徒の遺体を貪って逆上を煽ったのだ。

「まさか、天魔獣が駆け引きをしたってのか?」

 ケビンスは驚きと恐怖を混在させて呟いた。

 ケビンスの反応こそが普通なのだろう。だけど僕は鉄鮫が駆け引きを駆使したことに驚けない。なぜならあの日、僕の村を襲った天魔獣も駆け引きを駆使していたのだから。

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