英雄と普通の人

ふぇいま

第1話

 とある村の領主は村人から、それはそれは愛されていました。


 人を愛することは素晴らしいことだ。人を傷つけてはいけない。食べ物がないなら分けてあげよう。人の夢を助けてあげよう。苦楽は共にしよう。喜びは分かち合おう。


 村の人々は、領主の教えを守り、幸せに、幸せに生活していました。それはもう、夢の如く幸せに暮らしていました。


 ある日、アークという隣村の領主が、村にやってきました。


「私の村では不作で、食料が足りないのです。このままでは、飢え死んでしまいます。どうか、どうかお助けください」


 懇願するアークに領主は笑って、「良いだろう。人は助け合って生きて行くべきなのだ」と言いました。


 それから領主は、村人に食料を分けてもらうよう頼み込み、アークに食料を分けてあげました。


 数ヶ月後、アークが再び村に訪れました。


「金が足りぬのです。これでは、治水工事ができず、川の氾濫で我が領の民は泡となって消えてしまいます」


 領主は、またも笑って「良いだろう」と言いました。そして、村人から金を出してもらい、アークに渡しました。


 その後も、アークは何かにつけて、領主の村にやってきて、物を恵んでもらいました。


 ある年の事。領主の村は不作で食料が尽きようとしていました。

 そこで領主は、アークに恵んでもらおうと隣の村を訪ねました。


「アーク、我が村では食べるものがなく、飢え死んでしまいます。どうか、食べ物を分けてくれませんか?」


 領主の頼みにアークは首を振ります。


「すまない。分けてやりたいのは山々だが、食料はうちの村人のものだけで一杯なんだ」


「そうか、では金を分けてはもらえまいか? それで王都から食べ物を買い入れたい」


 この領主の頼みにもアークは首を振ります。


「すまない。金は薪を買い入れるのに必要なのです。この金を渡すと私の村人は凍え死んでしまいます。私も助けが欲しいくらいだ」


 頼みを断られた領主は笑います。


「そうか。君も助けが欲しいのだな。人は助け合って生きる事が幸せなのだ」


 そう言って、領主は村を去りました。


 それから領主は、何日も何日も、寝ずに食わずに、狩に労働に勤しみ、成果を人に分け与えました。どころか、アークにも分け与えました。


 領主のお陰で、なんとか村は救われました。


 しかし、領主は過労に倒れてしまいました。


 寝床で領主は妻に言います。


「人が助け合い生きることは、なんて幸せで素晴らしいことなのだろうか」


 それが領主の最期の言葉でした。


 村人たちは盛大に葬儀をあげ、何日も何日もえんえんと涙を流しました。


 その後、妻は領主が死んだことを告げに、アークの領を訪れます。そして、アークの領の村人の話を耳にします。


「隣の領主が亡くなったらしいよ」

「それはかわいそうに。アーク様に利用されていたということも知らずに亡くなるなんて」


 話を聞いていると、


「あいつはカモだ。いくらでも物資を寄越してくれる」

「馬鹿が。人を助けてなんになるというのだ」

「あいつが困っていた時、うちは豊かであったが、それでも分けるつもりはなかった。何故なら、損でしかないからだ」


 と、アークが言っていたことを妻は知りました。


 妻は怒り狂いました。


 アークが憎い。アークが憎い。アークが憎い。アークが憎い。アークが憎い。


 それはもう、全てを燃やし尽くすくらいの憎悪でした。


 しかし妻は、アークを殺そうとせず、村へと帰ります。


 アークを殺すと、夫の人を傷つけてはいけないという教えに反することになる。それは、夫が間違っていると認めてしまうようなものだ。


 憎しみと夫を愛する気持ちからの行動でした。


 やがて妻は、どうしようもない憎悪と夫への愛で疲弊していきます。


 やつれきったある日、妻は思います。


 夫が死んだのは、アークが夫と異なる考えをしていたからだ。

 皆が夫の言葉を守れば、世界は幸せになるに違いない。

 同じ教えにするにはどうすればいいか。


 そうだ!


 妻はある日、村人を集め言い放ちました。


「今日、神の啓示が降りました。夫が現世の善行を認められ、神になりました」


 村人たちはどよめきます。


「夫の行動は正しく、神は人に夫と同じ行動をとれと仰られました」


 妻が言い終えると、村人達は大きな歓声をあげました。


 領主に好意を寄せていた村人は、妻の言葉を信じ切ったのです。


 村人もアークの話は知っていました。憎む気持ちが強いながらも、死んだ領主の言葉を守り、行動できずにいたのでした。


 村人達は妻を担ぎ上げ、隣の領を訪れました。


 アークは、何事だと村人達の前にあらわれます。


「お前達は何をしに来たのだ!?」


「私たちは、神の啓示を伝えに来ました! 貴方は間違っています!」


 村人達は神の言葉だと、必死に、それはもう必死に説得しました。


 しかし甲斐なく、アークは村人達を無視して帰りました。


 ですが、村人達は諦めません。飯も食べずに、寝もせずに、何日もアークの住む館に向けて説得を続けました。


 すると、アークは村人の前に現れ、


「私が間違っていた! 彼はとてもとても素晴らしい人だった! 神になるのは当然だ!」


 と涙を流しました。


 その後、アークは神の考えだと、人々に領主の考えを持ちなさい、と言うようになりました。


 その活動は、アークの領だけでなく、他の領にも範囲を広げて、活発に行われるようになりました。


 それに、妻は満足していました。


 しかし、ある日の事、アークは途中で話を聞かぬ者、夫が神だと信じぬものを殺していたことを妻は知りました。


 妻はアークを咎めに行きました。


「貴方は間違っている。人を傷つけるのは夫の考えに反しています」


 すると、アークはこう言い返します。


「この考えをもっと広めるためには仕方のない事です! 皆が皆理解せねば真の平和は訪れぬのです! 以前の私が、貴方様の夫を殺してしまったように!」


 アークは続けます。


「正しいのは貴方様の夫です。誤っているものを正すのが神の啓示を受けたものの使命ではないでしょうか? それとも、貴方様の啓示は嘘でだとでも言うのですか?」


 妻は冷や汗を流します。


「それならば、大悪でございます。人を騙し、人を死なせたのは貴方の嘘でございます」


 妻は動機が激しくなります。


「貴方は夫の教えを守るどころか、正反対の事をしています。なんて非業な。悪魔でもこのような事はできますまい」


 妻は肺が押しつぶされたように苦しくなり、全身から汗が吹き出てきます。


「わ、わたしは……」


「いえ、私は信じておりますよ。ええ、貴方が神の啓示を受けたことを」


「はあ、はあ、はあ……」


「だから、貴方は間違っておりません。つまりは、信ずぬ者を殺したことも間違ってはいないのです」


 ついには、妻はヒューヒューと死にかけの老人のような息をして、涙をどろどろと流しました。


「教えを信じぬ者、神などおらぬというものは人にありません。それを悪魔というのです。何故ならば、正しいのは貴方の夫ですから」


 アークがそう言い終える頃、妻の唇は歪につり上がっていました。


 そして、うわ言のように繰り返します。


「私は……正しい。夫が正しいから、夫が正しいから。夫が正しいから……」


 そんな様子を見て、アークはクククと笑い、妻を置き去りにして、その場を去りました。


「強烈な罪悪感に耐えきれず、自分の嘘を本当の啓示だと信じ込んでしまったか」


 アークは吹き出して、そう言いました。


「気持ちが強い英雄だからこそ、この考えが出来るのだ。ただの人に過ぎぬ女が耐えられる訳がない」


 アークは、腹を抱えてそう言いました。


「おお、そうだ。間違えてはいない事があったな」


 アークは目元を拭いながら、そう言いました。


「信ずる馬鹿が増えると、私にとって、もっと住みよく幸せな世界に変わるだろう」


 アークはそう言って、高らかに笑いましたとさ。

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