到来

 いつの間にか、足音が聞こえなくなりました。


       

 数日前までは、曇天に雨音が、ポツポツと小さな歩幅で音を立て、時にはザァザァと駆け足になっていましたが、どうやら梅雨は役目を終えたようで、一年という時を駆け、季節は再び辿り着いたのでしょう。



 暑苦しさに目を覚ますも、それはまるで子供が無邪気に笑いながら悪戯をしているようなもので、それほど悪い気はしないのです。          



 仕方がないなとカーテンに手を伸ばし、窓ガラスを開けると、目には見えない透明な風が、確かに頬を撫で、薄暗いアパートの一室に満ちた空気をどこかへ連れ去って行きました。


 遠くに見える山々に、軒を連ねる住宅に、近くの公園にある名も知らぬ樹木、目の前の歩道を歩く親子連れや、春に比べ身軽になった学生、信号機も、道路も、地表に落ちる陰でさえも、その色彩が一層色濃く見えます。それはきっと、青い空が近づいたからなのでしょう。



 曇天に包まれている間、空は地上に近づいて、そうして梅雨が役目を終えた後、あらん限りの青を太陽と共にまき散らすから、この季節は眩しいのです。



 一方で、この眩しさにどこか虚しさを覚えてしまうのは、きっと何度もこの季節が死に行く様を目にしているからなのだと思います。


 カキ氷が溶けたり、ソーダ水の炭酸が抜けたり、鳴き切った蝉が地面に落ちたり、花火が咲いて、散って行ったり、誰かが別れ、日が暮れて行く様を、私は数えきれないほど目にしてきたから、私はもう、この眩しさがどこか虚しく見えてしまうようになってしまいました。



 どこからか、子供の笑い声が聞こえます。



 この眩しさにも負けぬ笑い声が、駆けて行きました。



 子供の様に笑わなくなったのは、いつからでしょう。



 ただ、この季節の到来だけは、昔も今も変わらずに。



 心の底に沈み、くすんでしまったいつかの輝きが、微かに瞬くのを感じます。

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