プロローグ 黒ローブの男3

声が聞こえる。否、それは声と称するには無理に等しいほどの、そう、それは雄叫びというのだろうか。

その音、衝撃、振動が、私と母の鼓膜を破るように、いや、もはやえぐり出すかのようだった。聞くだけで頭が痛い、痛々しくてたまらない。その雄叫びの主を見ようと試みるが、恐怖と必死さで、それどころではないと思った。

しかし、それは単なる考えであり、子供の興味を押し倒す事などは到底不可能なのだった。

私は、見てしまった。

その姿は人の形を残しつつも、人間とはかけ離れた存在であり、私の人生の中でも、8年間の辞典のなかにも、その存在の名は乗っていなかった。そう、未知の存在だ。

そんな存在に、仮に名前をつけるのなら私はすぐにこう言うだろう。

「化け物」と。

化け物の頭には大きな2つの巻き角が生えていて、その下にあるおぞましい恐面は、どこか牛に似た所があった。

体長は、成人男性の約3倍程の巨体を持っていて、体躯は、腕が長く膝まで届くほどで、足は腕に比べて少し短い、しかし、上半身はまるで筋肉の塊のような肉体となっていた。

身体中が黒い毛におおわれていて、右手には岩らしき物質で出来た、普通自動車サイズの斧のような武器を持っていた。

気が遠くなる異臭、恐怖を思わせる歪なオーラ、聞くだけで嘔吐を誘うような声、それらすべてがこの世の生物とは違うことを証明付けていた。

怖い。しかし、そんな存在が後ろに居ることを、化け物がこちらに気づかないうちに、母に伝えないと、見つからないように、逃げて生きなきゃ!と。

そして、私は口を開いた。

しかし、声は出なかった。

恐れや、疲れから来ているのか、喉をどれだけ絞ろうとも声が出ない。

どんなに困ろうと、母は私を抱えて一目散に走るだけだった。

そんな中どうにかしようと考えて、もう一度、化け物の姿を、現状を確認しようとチラッと後ろを振り向いた。

そして、合ってしまった。

目が、合ってしまった。

ギョロッッとした大きな目が、こちらをしっかりと見ていた。

それは、まるで肉食動物が獲物を捕らえるように、そして、鬼が殺気を放つように、そう感じた。

そして、私と母めがけて走ってきた。

ドンドンドンドンと、足音が響く。しかし、回りが騒がしせいか、母は未だに気づかない。私たちと化け物の遠かった距離は、徐々に近づいてきている。

怖い!怖い!怖い!死にたくない!嫌だ!生きたい!逃げなきゃ!助けて!嫌だ!死にたくない!様々な感情や思考が働きかけた。

でも、そんなことをする暇など無い!

私は、喉を引きちぎる勢いで、声を上げだ!


「おかぁさん!にいげってっ!化け物がぁ後ろからぁ追ってきてる!」


それは微かな声だった。小鳥の囀りよりも小さく、音質の悪い音割れのラジオより聞こえずらかっただろう。

しかし、そんな声は奇跡的か、それとも家族の絆というのだろうか、母に届いたのだった。

それに加えて、普通なら、何を冗談を言っているのかと、この意味不明な言葉に疑問を持ち、自分の目で確かめるべく、後ろを振り向くか、最悪な場合、それどころではない故に無視を施すのだが、母は私の必死に伝えている姿を目にして何かを感じとり、直ぐ様信じて、後ろの化け物の姿を確認しようとせず、無視しようともせずに、パッと建物と建物の間の細道へと方向転換した。

そのあとは走る、走る、走る、走る!とにかく走る!すると、見たこともない路地裏へと着いた。

あの化け物とも距離をおけて、一段落したところ私は、母の腕から下ろされた。

しかし、こんな異常事態に免疫がなかったらしく、私は地面に下ろされたあと、足がすくんで尻餅をついてしまった。

母は、そんな私を心配しながらも、ひどい息切れを起こしていた。それは仕方の無いことだ。なんせ、私を、約三十五キログラムを抱き抱えながら全力疾走を行ったのだから。

私は母のもとに寄り添う。


「お母さん、大丈夫?」


母は、私に心配かけないためか少し微笑んで答えた。


「大丈夫!ありがとう、怪我はなかった?」


「うん……」


「そう、それは良かった」


そう言い、今度は私を心配してか、母は、寄り添う私をギュット抱き締めた。

それはほのかに温かく、そんな中でも早まる鼓動を感じた。

その包容はまるで最後の愛のようにも感じた。

そう感じた私は、何も口にすることが出来ないまま、母の体をか弱い力いっぱいに抱き締めた。

そんなあたたかさは数秒で終わってしまったが、私は何年にも、何十年にも感じていた。

これが最後、何故かそうとらえた。

そして、母は私を離したあと、回りの状況を確認しようと立ち上がる。それに連れて私も一緒に立ち上がった。

しかし、未だに足に力が入らず、直ぐ様二度目の尻餅をつく。

母は、化け物の姿をしっかりと見なかったせいか、あまり恐れを持っていなかった。

しかし、そんな母も直ぐに私と同じ感情を抱くのだった。


「き、きゃあぁーーーーーっっ!!!!!」


母の、叫び声が聞こえてくる。

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