プロローグ 黒ローブの男2

この繁華街は海と接していて、そこには魚市場等もせつびされていた。つまり、繁華街で一番人気で稼ぎ頭となっていたのは、漁業ということだ。

船の汽笛音が鳴り響くごとに、幼き私はビクッと驚きを隠せずにいたことを今でも、感覚と共に覚えている。

しかし、もうそんな汽笛音も聞くことはないと、その光景を見て思ってしまった。

私は、黒を見た。

目の前に広がっているはずの海の、綺羅やかな波による乱反射の光は、一光もさすことがなく、コバルトブルーのどこまでも続きそうに地平線が見える海の姿さえ、隠されていた。

そうそれは、海を、青を隠しているのは黒だった。

真っ黒で、煙のようなもので、蠢いていて、奇妙で、おぞましく、ひんやりと冷たい、そんな黒が。

それこそが、世界中を騒がし、テレビや新聞に出っぱなしで、そして賑やかな繁華街を過去形に変えた原因の、そう、黒霧だった。

私はあまりの驚きに、声も出せずに狼狽えているだけだった。

普段なら、子供の持つ特有の興味心に駆られて、触れたり蹴ったり、つついたりするのだが、直感がこう囁いたのだった。


「それには触れるな!」


と。

私は怯えて後退りし、母のもとへ戻ろうと後ろを振り向いた。

するとそこには、母の姿が見えた。

一番の拠り所であり、いつの間にか安心感を抱かせるこの母という存在は子供にとって最強な存在だ。

私は、独りぼっちと思っていた世界に、初めて私以外の人、それも母に出会えたことで、感極まって、母に抱きつき、ぶわっと泣いてしまった。

悲しい気持ちも、嫌な気持ちも、母の温もりを感じるだけで、嬉しい気持ちと暖かな気持ちで上書きされるようだった。

すると、母は優しく私の頭を撫でてくれた。


「大丈夫、大丈夫、お母さんがついているから大丈夫だよ」


リズムに乗ったその言葉は私の脳裏を突き抜けて、涙が止まらなくなり、前が見えなくなる。

この状況に優しい言葉を優しく耳元で囁くのは犯罪だ。

少し時間が過ぎた。私の中では何時間も過ぎたようにも感じたが、実際は2、3分ほどだった。

母の胸で泣き止んだ私に、母は話した。


「こら、勝手に動き回ったら危ないでしょ」


さっきまで優しかったからか、ギャップがより怖く感じる。私は急いで謝った。


「ご、ごめんなさい」


怯えながら謝った。お母さんに嫌われたくない、独りぼっちになりたくない。そう思った。

母は、いつも以上に怯える私を見て、回りを見て、そして、黒霧に目がいった。

母は何かを悟り、私の頭をもう一度撫でた。


「許す!」


その時の母の顔は、はっきりとした笑顔だった。

私を、慰めようと太陽のような笑顔で私にそう言った。

その笑顔に元気付けられて、私はまたお母さんに抱きついた。


「それじゃ帰ろっか」


母の声に従い、私は母から体を離し、てを繋ぎ一緒に家への方向に足を向ける。

そして、何を買ったのか、私が何していたのかや、例の黒霧の事などを、話しながら帰っていると、目の前には繁華街の入り口兼出口の大きな門が見えた、一見簡単に壊れそうな貧弱さを見せるが、材質は鉄や硬いプラスチック等を使っていて、だからこそか、黒霧が現れたにも関わらずその形はしっかりと顕在していた。ここを出ればこのはっきりとしないうやむやな気持ちも晴れるだろうと、私は心急いでその門を潜ろうとした。

そう、そのときだった。


「ドッガッガガガッーーーン!!!」


何かが壊れる音が聞こえた。それはまるで爆発音のようなもので、それはそう簡単に鳴らせるものでもなかった。

私と母は勢いよく、音の方向へ、後ろを振り向く。

すると、先程まで私と母が出会った海の方で黒い煙が立っていた。

そして微かに、人々の叫び声が聞こえてきた。

一体向こうでは何が起きたのか、今の音は何だったのか、あの黒い煙は何故立っているのか、先程の叫び声は、その人たちは大丈夫なのか、私の頭のなかには、現状理解できない故に、様々な疑問が浮かび上がった。

私だけじゃない、母も同様に、体が震えていた。

様々な考えが生まれるなか私は、多分母も、一つの言葉が生まれ、過った。


逃げなきゃ!


母は、小さく華奢な体の私を抱えて走り出した。

そこから見える母の顔は必死を表していた。

何かの事故で巻き込まれるかもしれない、運悪く最悪の結果で死に至るかもしれない。可能性が不安要素となって母をより焦らせる。

逃げる、逃げる、とにかく逃げる、逃げなきゃ死ぬ。母の必死さから私はそう感じた。

そして、運命の時、地獄の門が開いた。

あの声が、いや、まるで鼓膜を無理矢理にも破るように大きく、身体中の鳥肌を立たせ肌ごと引き抜くような恐怖が伝わってくる、そんな鳴き声が、聞こえてきたのだった。


「グガゥアァァアァィウゥウヴヴゥルフ!」


その日、私は人生で初めて「魔物」の姿を目に写したのだった。


続く

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