第2話

「ここが僕たちが通ってた高校だよ」

お見舞いに行ってから早三週間。僕は今、無事に退院した冬華を連れて母校に来ていた。和臣はバイトがあるとか言って一緒に来てくれなかった。というわけで、僕は

 彼女は結局、入院中に記憶を思い出すことができなかった。そんな彼女は退院が決まった時、ある提案をしてきた。それは、記憶のヒントになりそうなものを実際に見たり聞いたりしたい、ということだった。もちろん、僕に異論は無い。僕は彼女のやりたいことを、全力でバックアップするつもりだ。

「ここが、高校…」

 彼女はじっと校舎を見つめている。その横顔は、真剣そのもので邪魔をしては悪い、と思い僕もしばらく黙って校舎を見つめた。

 懐かしい。校舎の中に入ることはできないが、それでも、数年前までここに通っていたというのが信じられないくらいに懐かしかった。このグラウンドで写真を撮っていたときサッカー部の人が蹴ったボールが僕に当たったことがあったなあ、とか、木に登って写真を撮っていた和臣が降りれなくなって半泣きになっていたことがあったなあ、とか。彼女だけでなく、僕もいろんなことを思い出した。

「不思議。憶えてないはずなのに、なんだか懐かしい」

「何か思い出したりとかは?」

「ちょっとだけね。体育祭、かな。クラスの人たちと校門の前で集合写真を撮ったことがあった…と思うんだけど、わかる?」

「あー。僕たちは三人とも三年間クラスがバラバラだったからなあ。和臣なんか二年の時の体育祭休んでるし」

「そうだったんだ。でもたぶん、これも大きな一歩だよね。だって、今までは何も思い出せなかったんだもん」

「それは良かった」

「記憶を取り戻すって、案外簡単だったな。そりゃあ、たくさん思い出したわけじゃないけどね。ほら、めまいがしたりとか、頭痛くなったりするのかなとか思ってたんだけど。ならなかったなあ」

「小説の読みすぎじゃない?」

「えへへ、そうかな」

彼女はそう言うと、嬉しそうに笑った。

 冬華が嬉しそうで良かったよ。そう思っているはずなのに、僕はそれを言葉にはできないでいた。嬉しいはずなのに、素直に喜べない自分がいる。何か言おうと思って口を開くけど、口から出るのは息ばかりで、まったく音にならない。呼吸が浅くなって、息苦しくなる感じがした。

「大丈夫?ボーっとしてるみたいだけど」

「あ、ごめん大丈夫。僕もいろいろ懐かしいなってことを思い出してた」

「へへ、久々の母校もなかなか悪くない?」

「うん、悪くないね」

 いきなり声をかけられて動揺しているのがばれないように、何とか取り繕ったつもりなのだができただろうか。ちらりと隣に立っている冬華を見るが、嬉しそうに学校を見つめていたので大丈夫だろう。さっきの焦りを見ぬかれていないようでちょっと安心した。

 その後も高校生の時によく写真を撮影に行った公園や、通ったハンバーガー屋など、ヒントになりそうなことが思い出せそうなところに行った。冬華はアルバムにあった写真を撮ったことや、友人たちと学校帰りにハンバーガー屋に寄って恋バナをしたことなどを思い出したらしい。僕としては内容が気になるのだが、それは思い出せなかったらしい。冬華は、きっと理人君の話をしてたんだろうね、と言った。まあ、実際は付き合ってはいなかったのでそんなはずはないのだが。それはともかく、

「理人君がいない」

冬華が取り戻したどの記憶にも、僕は登場しなかった。彼女が写真を撮りに公園に行ったとき、僕は委員会の仕事で冬華と和臣の二人と一緒には行けなかった。それに、恋バナをしたのは同じクラスの女子で、僕や和臣が一緒にいるわけがない。

「おかしいね。なんで理人君の事は思い出せないんだろう。ずっと一緒にいたはずなのにね」

「たまたまだよ。そのうち僕の事も思い出すから」

「そうだといいな。早く思い出したい」

 その時、僕はあることに気が付いた。僕たちが付き合っていたというのは彼女の思い込み。つまり、彼女が思い出したとき、僕が嘘をついていることがばれてしまうのだ。冬華に僕のことを思い出してもらっては困る。さっきの焦燥感はこれだったのか。

この時初めて、僕は彼女に何も思い出さないで欲しいと思った。


「はあ?冬華と付き合ってたことになってたってどういうことだよ。俺、お前らが付き合ってた、なんて聞いたことないぞ」

冬華と高校に行った日から二週間。和臣を呼び出して事情を聴いていた。とりあえず、和臣が冬華に僕のことをなんと説明したのかを知りたかった。

「付き合ってなんかいなかったし、僕もわからないから和臣に聞いてるんだ。和臣が冬華にそう言ったんだろ?」

「俺はそんなこと言ってない。あいつが勝手に勘違いしたんだろ」

「勘違いするようなことはいったんだね」

「う。まあ、そうとれなくもないことは言った気がする。すまん」

結局冬華の勘違いであったことがわかったが、それでも僕の心配は消えない。なんてったって、彼女の記憶はこの二週間で五つの記憶のかけらを得た。

「幸い、今はまだお前のことを思い出してないからいいけどさ。お前に関することを思い出しちまったら、おまえが嘘ついてたことになっちまうんだろ。それなら記憶を取り戻されたらまずくないか?」

「そうなんだよ。何とかならないかな」

「何とかって…なんともならないだろ。お前が、嘘ついてましたって謝るくらいしか思いつかない。その時はそうなっちまった元凶である俺も一緒に謝ってやるけどよ」

 二人であれこれ考えてはみたものの、やはり謝る以外に策は思いつかなかった。やはりそれしかないのか。だが、本当のことを言ったとして、冬華はどう感じるだろう。幻滅するだろうか。高校時代のような関係には、もう戻れないだろうか。それは、やっぱり嫌だ。和臣にそう告げると、彼も同じことを思っていたようで、うーんと唸って黙り込んでしまった。

 二人で頭を悩ませたが、いい案は出ず、とりあえずは保留ということにしてその日は解散にした。冬華の記憶を取り戻すスピードを考えれば、そんなに焦らなくてもまだ猶予があると考えたのだ。

 

僕らの予想通り、というか僕らの予想を超えて、それからというもの彼女の記憶はあまり戻らなかった。もちろん、彼女は早く思い出したいと言った。高校時代に行ったところもほぼすべて行った。だが、収穫はほとんどなかった。そして、取り戻したどの記憶にもやっぱり僕はいなかった。

「なんで思い出したいことに限って思い出せないのかな」

「なんでだろうな」

「うーん。思い出したいと思って意識しすぎだから、とか?」

「そんなことってあるのかな」

「…なあ。今度、俺らの地元の夏祭りで花火大会があるだろ。行ってみないか?三人で花火を見たあの丘に、さ」

 あの丘。そうだ、あそこにはまだ行っていない。高校三年生の夏、僕が冬華に告白しようと思っていて、できなかった場所。僕らが見つけた、秘密の特等席。

 和臣はそっと、その機会を使って、あの時できなかった告白をあの場所でもう一度やり直せ、と僕にささやいた。和臣は、僕に謝るチャンスを作ってくれようとしているのだ。まったく、この友人は。なんて頭の回転が速いのだろう。そんなこと、僕は考えつかなかった。

「そうだね。まだあそこには行っていないし、三年間毎年行っていた場所だからいいんじゃないかな」

「そんな場所があるの?」

「ああ。俺たち三人が見つけた、花火を見るための秘密の特等席さ」

「へえ。行ってみたい」

「じゃあ決まりだな。日程空けて、心の準備しとけよ」

 友人の配慮によって作られた二度目のチャンス。冬華の記憶がすべて戻るまでのタイムリミットはもう長くはないはずだ。つまり、このチャンスを逃してはいけない。

 僕は深く息を吸って宣言した。

「きっと、忘れられない花火大会にしよう」

 たとえそれが、僕と冬華の、

僕たち三人の今までの関係を壊すことになったとしても。


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