オマケ番外編:鬼のパンツはいいパンツ

 壬に抱きすくめられ、伊万里は完全に固まっていた。

 今日は壬と圭が初めて山へ雑蟲ぞうこ退治に出かけた日。お務めのあと、二人はある種の興奮状態で帰ってきた。いつもスマートな圭が、いきなり人目もはばからず千尋に抱きついたのには驚いたが、壬の目も今夜は妙にぎらついていて、いつもと様子が違っていた。

 ひとまず圭は総次郎に言われお風呂に、壬は圭がお風呂から上がるまで大広間で休むことになった。

 大広間は障子などがない広い板間だ。伊万里がお茶を持っていくと、壬が疲れた様子で座り込んでいた。彼女は少しでも気持ちが鎮まればと思い、キンキンに冷えたお茶を差し出した。しかし、それを壬は一気に飲み干してしまった。

 焼け石に水とはこのことだ。

 唯一ほっとしたことと言えば、焔の痣がある彼の右手首になんの変化がなかったことぐらいだ。

 伊万里はとりあえず彼の隣に座り、今夜のことを尋ねた。壬はいつになくよく喋った。

 そして、

 挙げ句の今の状況である。


 壬がこちらに手を伸ばしてきたとき、(なんか、まずい)と思った。

 そう思っていたら、引き寄せられて抱きすくめられた。

「ごめん、今ちょっと気がたかぶってる」

 壬が言った。にわかに伊万里は動けず、「…はい」とだけ返事をした。

「俺、なんか変だ」

「はい」

 ええ、本当に、その通り!なんか、どころじゃありません!相当変です!!

 伊万里は心の中で叫んだ。

 確かに、今までも彼に抱き締められたことは何度かある。しかし、もっと気軽な感じだったり、優しかったり、とにかくこんな乱暴な感じではない。あえて言うなら、初めて川添かわぞえに行った日に彼に抱き締められたことがあったが、その時と似ている。

 そうこうしているうちに、壬が背中と腰に手を回し、首筋に顔をうずめてきた。

(こ、これは、本格的にまずいです!)

 伊万里はさらに動けなくなった。

 自分だって何も分からない子供ではない。腰に回った手と、首筋にうずめられた顔の意味ぐらい分かる。下手をすれば、これは押し倒されコースまっしぐらだ。

(こんな四方八方から丸見えの場所で──、いいえっ、それでは見えていなければ了解みたいじゃないですかっ、私!! そうではなく、こんな突然に──、じゃあ、突然じゃなかったら了解なんですかっ、私!!)

 自問自答を繰り返し、焦れば焦るほど思考がそっちにいってしまう。こんなことなら先にお風呂に入っておけば良かったと思ったところで、突如、伊万里は真っ青になった。


(忘れてました……。今日は『義母かあさまパンツ』の日です!)

 

 「義母かあさまパンツ」、それは義母であるあさ美が準備をしてくれた綿100%のお腹まですっぽり隠れる、それは履き心地抜群の下着。

 しかし、その履き心地とは裏腹に、見た目はお世辞にも可愛いとは言えない。以前、千尋の家でお泊まり会をしたとき、彼女に見られて爆笑された。そして、めちゃくちゃダメ出しされた。


「あり得ないっ、そのパンツ! もっと可愛いの持ってないの??」

 パジャマに着替える伊万里の下着姿を見て、千尋が絶句した。

「と言われましても……。下着など、誰に見せるわけでもないですし、可愛さを求めなくても──。ほら、ズボンをはいたら見えません」

「甘い!!」

 千尋が伊万里に詰め寄った。

「女の子が、そんなゆるゆるに油断をしててどうするの! そんなパンツ、はいていることが万が一にもバレたら、百年の恋もめるわよ」

「ええっ?!」

 伊万里は驚いた。そして、とっさに今までの生活で、このパンツを壬に見られたことがなかったか思い返した。

(洗濯も別だし、下着だけは恥ずかしいので部屋に干しているし、見られたことはないはずです)

 しかし、百年の恋も冷めてしまうとは、いくらなんでもハイリスクすぎる。

 そもそもだ、壬は自分に恋をしているわけではない。

 伊万里は千尋におそるおそる尋ねた。

「では、そもそも恋をしていない相手だったらどうなるのです?」

「そりゃ、冷める以下でしょ。もう女とすら見てもらえないかも」

「女でさえない?!」

 そんな戦力外通告を受けるような恐ろしいパンツだったとは!! 伊万里はその事実に衝撃を受けた。


 その後、千尋が一緒に下着を見に行ってくれ、可愛いパンツを買ってきた。しかし、可愛いパンツはその時に買った一枚だけ。そのあと、もう少し増やした方がいいのかもと思ったが、誰かに見られることを前提に下着を選びたいなどと、そんなはしたないことをあさ美に言える訳もない。

 それに、どうしても、ついつい『義母かあさまパンツ』に手が伸びてしまう。

 お腹まですっぽり入る安心感、優しい肌触り。これほど魅力的な下着が他にあるだろうか。(いいや、ない!)

(だって、下着は履き心地が命だもの!)

 そういうわけで、伊万里は今日も履き心地抜群の『義母かあさまパンツ』をしっかりはいてしまっていた。


 折しも、壬の唇が首筋にかすかに触れ、腰に回った彼の手が、するりと動いた。

(ひぃっ! パンツ!!)

 伊万里に戦慄せんりつに似た動揺が走る。

 まさか、こんなに早くパンツをさらす日が来るなんて! このままでは、女ですらなくなってしまう。

 何がどうあっても、今日はいているパンツを見せるわけにはいかない。

 こんなときは──!

 伊万里はとっさに言った。


「流しましょうか」


 壬の手がぴたりと止まる。

「流す……?」

 伊万里はあえて大げさに笑った。

「はい。流します」

 この場の空気をすべて、まるっと、きれいさっぱり!!

 伊万里は、壬の腕を静かにほどくと、気持ちを必死で落ち着かせながら彼の手を取った。

「覚えていますか? 初めて会った日に、もやもやとした気持ちを尾振おぶの渓谷に流したでしょう?」

「ああ、あれ……」

 伊万里が小さく頷く。そして彼女は、両手で壬の手を包み込んだ。

「今夜は風にのせて流しましょう」

 そのギラギラした目もろとも、爽やかな夜風にのせて!

「……」

 壬が拍子抜けした顔をしている。

 しかしここでひるんではいけない。伊万里はさらに大げさに笑って、かまわず続けた。

「さあ、目をつぶってください」

 彼女に促され、しぶしぶ壬が目をつぶる。ややして、壬の手の平にぼんやりとした光の玉が出来た。

 伊万里がふうっとその玉を吹く。玉は夜風に乗ってふわりと舞い上がった。

「お疲れさまでした」

 夜空に消えていく光の玉を見ながら伊万里が言った。

「うん」

 さっきとはうって変わって、落ちついた顔の壬が彼女に頷き返した。

(良かった──。いつもの壬だ)

 伊万里はほっとした。

 これで心おきなく甘えられる。

(はあ。私、頑張りました!)

 そして彼女は、壬の肩にちょこんと頭をのせた。


 その後、伊万里の衣装ケースの引き出しには可愛いパンツが二枚ほど増えた。

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