第3話 跡取りの狐と繭玉の巫女
プロローグ ~回想~初めてのキス
谷のみんなは、鬼姫の輿入れを大ごとだって言うけれど、
初めて総次郎と一緒に山へ入った夜、圭はかなり高揚していた。初めて真剣を振るい、初めて
そんなぐちゃぐちゃな感情のまま帰ってきて、勢いで千尋に抱きついた。千尋が一番最初に壬と言葉を交わしたことも気に入らなかった。
彼女は自分のもの──。圭は気がつくと、壬を押しのけて千尋に抱きついていた。
その後、総次郎に無理やり千尋から引き
自分の邪魔をした兄狐に腹が立ったが、湯船にゆっくりつかると少し頭が冷えてきた。
(どんな顔で千尋に会おう…。いや、あの場には壬も姫ちゃんもいたな……)
恥ずかしさでそのまま湯船に沈みそうになる。彼はいつもより長めにお風呂に入り、それから台所に行った。
すると、台所では千尋が待っていた。
「はい、圭ちゃん。冷たーいお茶!」
言って彼女は普段と変わらない笑顔を見せた。圭はますます気まずくなって、差し出されたお茶を一気に飲んだ。
そのあと、千尋と二人で壬たちがいる大広間へと行った。大広間では壬と伊万里が楽しそうに話していた。そして、壬はお風呂に行き、伊万里は寝る準備をしに自分の部屋へ向かった。
大広間には二人に変わって圭と千尋だけになった。
「千尋、ちょっと涼む?」
「うん」
二人きりになり、圭が板間に腰を下すと、千尋も彼の隣に座った。
「二人とも普通な感じだったね。私、すごい場面に出くわしたらどうしようと思って大声を出しながら来たのになあ」
千尋が二人の姿が見えなくなった廊下を眺めながら残念そうに呟いた。
「や、すごい場面って…」
そう突っ込みながら、圭は先ほど自分が千尋にしたことを反省していた。
「あの…、さっきは本当にごめん。急に抱きついたりして……」
圭はひどい自己嫌悪に陥りながら千尋に謝った。千尋が苦笑する。
「あははは。ちょっとびっくりしたけど、まあ、圭ちゃんらしい?」
「えっ?俺、あんな無節操なイメージなの??」
「そうじゃないけど、たまに強引なところがあるから…」
夏祭りのときもそうだった、と言いかけて千尋は慌てて言葉を飲み込む。夏祭りの一件は圭には禁句だ。その結果、
変なところで責任感が強いから、こじれると大変だ。
「今日も学校でかばってくれてありがとう」
千尋はすぐさま話題を変えた。
「圭ちゃんが来てくれて助かった。女の子はみんな、圭ちゃんには弱いから」
「いいところは、姫ちゃんに持っていかれたけどね」
圭が苦笑する。千尋も「本当に!」と笑った。
「まさか実行委員に名乗り出るなんて思わなかった!」
「ま、いいんじゃない?もともと本人、やりたがってたからさ」
「キテレツなことをしないかなあ。すごく心配…」
「そこは、つまらない男・壬がいるから大丈夫」
圭が言うと、千尋がまた笑った。
彼女の笑顔が月明かりに照らされて、きらきら光る。
千尋がまとう空気はとても透明度が高いと圭は思う。自分が彼女のことを慕っているからそう見えるのかと思っていたが、これがきっと伊万里の言う清浄な気というものなんだろうと最近になって気づいた。
(さっき、もっと抱きしめておけば良かったな)
圭は思った。
またここで抱きしめたら、千尋はびっくりするだろうか。
彼女と手をつなぐのも、彼女を抱きしめるのも、なんとなく理由がいる。それは、今の二人の関係がなんとなくだから。
夏祭りの時は、気持ちが先走ってけっこう強引に二人きりになれる場所に千尋を連れていき、勢いでそのまま彼女を抱きしめた。あの時、妖刀・
「圭ちゃん、大丈夫?」
すると、急に黙り込んだ圭を見て、千尋が心配そうに顔を覗き込んだ。
圭が慌てて笑い返した。
「あっ、うん。大丈夫」
言って思わず彼女から目をそらす。まさか千尋のことで頭がいっぱいだったなんて恥ずかしくて言えない。
しかし、圭はすぐに気を取り直して彼女を見た。
(なんとく続けてるから、だめなんだろうな)
彼は一呼吸おくと、早まる胸の鼓動を必死に抑えながら口を開いた。
「今日さ、」
「うん?」
「学校で言ったこと、本当のことだから」
本当に唐突だが、圭は言った。千尋がふと考え込んでから、はっと気づいた顔をした。
彼は、千尋の手を握った。
「俺、千尋しか興味ないから」
「圭ちゃん…」
「子どもの頃からずっと一緒だから、なんとなく言いそびれちゃって──。ちゃんと伝えたこと一度もないなって」
千尋が顔を赤らめながらこくりと頷いた。
「俺、千尋のこと好きなんだ。これからも、ずっと好き」
千尋はうつむいたまま答えない。しかし、ややして、彼女がぽつりと答えた。
「ありがとう。私も………好き」
その言葉に、圭の胸がキュッと高鳴る。彼は、そっと千尋の頬に手を添えて彼女の顔を持ち上げた。
大きな黒い瞳が彼をとらえる。
(ああ、やっぱりすごい
今夜はもう少し欲張ってもいいだろうか。
圭がゆっくり顔を近づけると、千尋がすっと目を閉じた。彼はそのまま彼女の唇に自分の唇をそっと重ね合わせた。
そして、
すぐに二人はぱっと顔を離した。お互いに耳の先まで真っ赤になっている。
顔を見るのも恥ずかしい。
(だめ、もう心臓がもたない!)
圭は千尋から顔をそらしつつ、口早に言った。
「千尋、姫ちゃんが待ってるかもしれないからっ。行って!」
「そ、そうだね。うんっ」
顔を真っ赤にしながら千尋が立ち上がる。そして彼女は、小さな声で「おやすみ」と言うと、ばたばたと廊下を駆けていった。
彼女の足音があっという間に夜風に紛れて消えていく。圭は大きく息をついた。
「言えた──…」
そして彼は大の字になってひっくり返った。
でもこの時は、考えもしなかった。二回目のキスが、こんなに難しくなるなんて。
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