母と娘(5)

 伊万里は、戸惑っていた。正直、戸惑い過ぎて怒りさえ感じる。

 初めて会う母親は、その名のとおり藤の花のように優美で華やかで、そして自由過ぎる女性だった。父親のことにしても、本人が「なんのことやら」とだんまりを決め込んでしまっている。

 こんな姫が三百年も九尾を待ち続けていたのだから、なるほど、嫌になるかもしれない。これは、明らかに頼みごとをする姫を間違えたとしか思えない。

「なぜ、母上だったのです?」

 思わず伊万里は呟いた。藤花が片眉を上げて怪訝な顔を返す。伊万里は、かまわず無遠慮に続けた。

「どうして母上が鞘をお預かりしたのです。無理やり鞘を押し付けられたのですか? それで嫌になり、他の男と通じて私をお産みになったのでございますか?」

「まさか」

 藤花が笑い飛ばした。そして彼女は満足そうに伊万里を見た。

「すべては私が選んだこと」

「選んだ──。では、なぜ?」

「私が選んだのは、鞘をお預かりするという役目のみ。その他は知らぬ」

 平然と答え、藤花はつんっとそっぽを向く。あまりにも自分勝手な物言いに伊万里は開いた口が塞がらない。藤花がしたり顔で口の端を優美に上げる。

「なぜ意に染まぬ相手と結ばれる約束などしなければならぬのじゃ。意味が分からぬ」

「意味が分からぬのは母上でございます!」

 やっぱり、この女にこんな重要な頼みごとをしたのが間違いだ。そもそも伏見谷へ嫁ぐ気もなく、鞘を預かる役目だけを引き受けるなんて、そんなの最初からこうなることが目に見えているようなものだ。

 伊万里は藤花を睨んだ。

「私は、心ない者からは不義の子と言われ、自分はいらない子なのだと思い育ちました。それでもここまでこれたのは、お役目があったからでございます。そのお役目を全うする気もなく、母上は何を選んだというのです? その結果が、私ですか?」

 地面がまたざわつき始める。いちいち邪魔をしてくる蔓にも伊万里はいい加減苛々した。

「少し、黙ってて!!」

 すかさず地面に手を押し当てて地中に向かって鬼火を放つ。刹那、地面がドオンッと揺れた。

 藤花が伊万里の荒っぽい攻撃に呆れた様子で笑った。

蠱毒こどくは心に巣食う毒。おまえの心が乱れれば蔓も暴れよう。心乱さず粛々と全ての蔓を始末するのが一番だろうが、そのような荒っぽいことをしておっては、蔓はいつまでもなくならんぞ」

「誰も、本当のことを話してくれないもの!」

 伊万里は声を荒げた。

「母上は──、いいえ、百日紅さるすべり先生も端屋敷はやしきの者たちも、伏見谷の義父とうさまも義母かあさまも、誰も本当のことを話してはくれない! 私は、真実を知りたいだけ!!」

 心の奥、ずっとしまい込んでいた思い。聞きたくて、でも聞けなくて、そのうち口に出すことさえ諦めた。それを今、伊万里は母親にぶちまけた。

 藤花が困った顔で苦笑する。まるで、駄々っ子を見る目だ。

 ややして、彼女は穏やかな眼差しを伊万里に向けた。

「伏見谷での暮らしはどうか?」

「と、突然何を……。誤魔化さないでください」

「誤魔化すつもりではないが、谷での暮らしは楽しいかと思っての」

 ふいに谷の話をふられ、伊万里は戸惑い気味に答えた。

「それは……、楽しいです。人間の世界は物珍しく、みなも優しくしてくださいます」

「二代目はどのような狐じゃ?」

「……壬ですか?」

「うむ、おまえの意に染まぬ相手ではないか?」

「私にはもったいない黄金こがねの狐にございます。とても強くて優しくて、私を大切にしてくださいます」

 伊万里は壬の姿を思い浮かべながら答えた。

 思えば、壬にずっと会っていないような気がする。

 彼に会いたい。彼の声が聞きたい。

 今すぐ、ぎゅっと抱き締めてほしい。

 すると、

「二代目が好きかえ?」

 ふいに藤花が尋ねた。

 突然問われ、思わず伊万里は顔を赤くした。藤花が「ん?」と首を傾げる。それで伊万里がこくんと小さく頷き返すと、

「ならば良い」

 そう言って、藤花は満足そうに笑った。

 そして、彼女は独り言のように呟いた。

「役目と引き換えに、三百年という時間ときをもらったのよ」

時間ときをもらった……?」

「分からずとも良い」

 藤花はやはり笑うだけだ。

 ただ、その優しい笑顔はとても幸せそうで満足そうで、彼女が少しも後悔していないことが分かった。

「どうして──」

 何も教えてもらえない悔しさと、それでも母親が幸せだったのだという安堵とがないまぜになり、伊万里の胸はいっぱいになった。

「どうして、一人で勝手にそんな満足そうなのです?」

 自分ばかりが怒っている。それが悔しくて、伊万里は藤花に言った。

 藤花は複雑な顔で自分を見つめる娘に笑い返すと、諭すような口調で言った。

「おまえを守るため、皆が命がけで嘘をついておる。だからこそ、それを壊すようなことは決して出来ぬ。おまえはてて無し子であり続けねばならぬ」

 伊万里は小さな子供のように首をぶるぶると振った。

「母上の真実も教えられず、父親の名も知らされず、私に一人で生きていけと?」

「それは違う」

 藤花が、焔の鞘を握りしめている伊万里の手にそっと自分の手を重ねた。そして彼女は、優しく、しかし毅然とした口調で言い聞かせた。

「父や母の影を追い、その瞳を曇らせてはならぬ。後ろを振り返り、足を止めてはならぬ。母がおらずとも、父が誰であろうとも、おまえは大好きな者を見つけたのであろう? ならば、もう一人ではないはず。その者だけを見て、前へ進め」

 伊万里は泣きそうになって思わず藤花から顔を背けた。

 もっとののしるつもりだった。今までの怒りをぶつけるつもりだった。

 しかし、目の前の母親は力強く、まっすぐで、そして何より美しかった。

 やり場のない怒りだけが宙ぶらりんになり、心の中を漂う。素直になって、全てを許すことが出来ない自分にも腹が立つ。

 そんな伊万里を藤花が優しく抱きしめた。彼女の心の奥、ずっと刺さり続けていた棘がぽろりと取れた気がした。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る