母と娘(4)

 藤花がしたり顔で笑った。

「何か、思い当たるものがありそうじゃの」

 伊万里はこくんと頷いた。がそうだったとは、にわかに信じがたい。が、確かに「甘露」と言われ差し出され、「甘露」と思い二粒食べた。

 藤花はそんな伊万里に優しく笑いかけた。

「まあ、食べてしまったものは仕方あるまいて。時間もないことだし、行くかの」

「行くとは、どこに?」

 伊万里が問いかけると、藤花がすっと暗闇の向こうを指で差した。その指差す先に、淡い光が見える。

「あそこまで。あれを辿れば、おまえは元の世界へ戻れる」

「あれは? いかほどの距離があるのでしょう?」

「あれは巫女の導きじゃ。ここは意識の中だから、距離はあってないようなもの。とは言え、じっとしていても蔓が襲ってくるゆえ、ひとまず目指して歩くしかあるまい」

「巫女……。まさか、千尋が?」

 ということは、圭も来ている。自分の状況はともかく、二人が来てくれたことに伊万里はほっとした。

「良い友を持ったの。さあ、行くぞ」

 軽く笑って藤花が、すたすたと歩き出した。

「あの、ちょっと──、」

 もう少し説明が欲しい。

 しかし、これ以上説明をしてくれそうもなく、伊万里は黙って彼女の背中を追いかけた。


 何もない暗闇を二人はただ歩いた。「巫女の導き」という淡い光が近づいているようにも見えない。途中、何度も蔓が地面から伸びてきて二人を襲う。その度に、二人は蔓を焼き払った。

 最初、伊万里だけを狙っているように思えた蔓だったが、そうではなく、蔓は藤花も襲った。

「ずさんな蠱毒こどくじゃ。藤花と伊万里の区別もぬとは、これだから新種は。この出来では、これを作った者は満足していまい」

 藤花が蔓を焼き払いながら呆れ口調で言った。どうやら、この新種の蠱毒こどくは古来種よりも造りが雑らしい。

「……蠱毒こどくを作った者に心当たりがあるのですか?」

「まあ、新種を作れる者などそうはいないからの。実際に会ったことはないが、いけ好かない奴じゃ」

 先を急ぎながら藤花が優美に鼻を鳴らした。その全てを見透かすような眼差しが艶やかに美しい。

 なんとなく気後れしながら、伊万里は藤花の背中に声をかけた。

「あの、すみません」

「なんぞ?」

 藤花が不満げに眉をひそめる。

「そもそも、その他人行儀な呼び方はなんだ。母と呼べ」

「しかし、今日会ったばかりです」

「何を言うておる。生まれた時に会っているではないか」

「そんなの、覚えていません!」

 伊万里がきっぱり言い返すと、藤花がつまらなそうに肩をすくめた。そして彼女は「母と呼ばねば話さぬ」と言い捨てて、さらに歩く足を早めた。

(なんとわがままな!)

 思わず伊万里は怒りをあらわに藤花の背中を睨んだ。しかし、このままでは話が先に進まない。伊万里は沸き起こる怒りを抑え、彼女を追いかけた。

 そして、再びその背中に声をかける。

「母上は……深入ふかいりで殺されたと、篠平の者から聞きました」

 すると、藤花がぴたりと足を止め、くるりと振り返った。そして彼女は、あくまでも優美に口の端を上げた。

「殺されたのではない。死んでやったのよ」

「同じに聞こえます」

 すかさず伊万里が突っ込む。それはただの負け惜しみだ。

 藤花があからさまに不快な顔をした。

「融通の利かないやつじゃ。誰に似たのやら。だいたい、母に会ったというのに、もっと楽しい話はないのかえ?」

「楽しい話しなど──」

「ないか?」

「ないわけではないですが、」

 こちらにも心の準備というものがある。

 それで伊万里が口ごもっていると、藤花は伊万里が握り締めている焔の鞘をちらりと見た。

何故なにゆえ、後生大事にそれを持っておる。早う、二代目に渡さぬか」

「それは──…」

「ああ、それを盾に嫁にしてくれと二代目に迫っておるのか? 可愛い顔をして悪どいのう。そこは私に似ておるな」

「迫ってなど、お・り・ま・せ・ぬ!」

 伊万里は語気を強めて言い返した。

 藤花がさらに不快な顔をした。

「なんと短気な娘よ。鬼嫁とはこのことじゃ。そんなことだから、鞘を受け取ってもらえず、嫁にもしてもらえぬのじゃ。もっと愛想良くせんか」

「余計なお世話にございます!」

 どうも、この母親と話していると調子が狂う。殺されたと言うのに悲壮感の欠片かけらもなく、不義の子を成したという罪悪感もない。

 もっと自分の境遇に嘆き苦しんでいるのかと思っていた。

 それで伊万里が物言いたげな顔をしながらも黙り込んでいると、藤花が不思議そうに首をかしげた。

「どうした?」

「どうしたも何も──」

 伊万里が責めるような目を藤花に投げつけ、ふいっと顔をそらした。藤花は伊万里の顔を覗きこんだ。

「黙っておっては何も分からぬ。言いたいことがあるなら言え」

「……では、」

 伊万里はきっと藤花を見返して言った。

「あなたは、ご自分がなさったことを分かっていらっしゃるのですか? 二代目九尾さまに嫁ぐという使命がありながら他の男と通じ、私を産み捨てた挙げ句に、あのような場所で殺されるなど──」

「死んでやったと言っておるであろう。それに、、とは聞き捨てならぬ」

 藤花が伊万里の言葉をぴしゃりと遮り、鋭い目でジロリと睨む。その迫力にされて、伊万里は「すみません」と思わず口をつぐんだ。

 なんだかよく分からないが、言い過ぎたらしい。

(怒っているのはこちらのはずなのに)

 どうして自分が申し訳ない気持ちにならないといけないのか。どうにも調子を狂わされる。

 むすっと口をへの字に曲げて伊万里は押し黙った。それを見て、藤花がふふふっと声を上げて笑った。

「目元は私だが、口元は父親に似ておるな」

「父親に……。行きずりの適当な男ではないのですか?」

 まさか父親の話が出てくるとは。

 にわかに出で来た「父親」という言葉に驚きながら、伊万里は藤花に聞き返した。すると、藤花がはたと気まずい顔をする。

 伊万里はそんな彼女に詰め寄った。

「母上、私の父はどなたかいらっしゃるのですね?」

 藤花がひとしきり視線を泳がせた後、にこりと笑った。

「なんのことじゃ?」

「は?」

 思わず伊万里が顔をしかめると、藤花が小さく肩をすくめた。

「行きずりの適当な男で良いではないか。そう聞いているのであろう?」

「しかし今、口元が父親に似ていると……」

「誰のことか分からぬ」

 藤花がとぼけた様子で答え、ふいっとそっぽを向く。

(この女!)

 伊万里は手を震わせて焔の鞘を握りしめた。

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