そして、決着のとき(4)

 生ある物が燃える異臭が辺りに漂う。

 篠平の跡目争いから始まり、里全体を襲った災禍の幕引きに、全員が一様に押し黙った。 

 安堵と後悔、怒りと悲しみ、いろいろな感情がないまぜになる。行き場を失った気持ちは収まる場所もなく、ただ体の中を漂うばかりだ。

 とにかく終わった。そう思うと同時に、この幕引きはほんの始まりでしかないのではと誰もがうっすらと感じていた。


「みっともないところを見せてしまった。忘れてくれ」

 燃えていく四洞の亡骸なきがらに背を向け、碧霧が自嘲的に口の端を歪めながら狐たちに言った。そして拓真に歩み寄る。

「知らぬ存ぜぬの父から了承を得るのに少々手間取った。月夜の鬼が取り返しのつかないことを」

 言って彼はなんの躊躇ためらいもなく頭を下げる。

 その姿に、拓真をはじめその場にいた壬たちも驚いた。

 これが、月夜の伯子。

 なるほど、人の地を平気で踏み荒らし奪おうとする傍若無人な父親とは正反対の人物に見える。これでは何かと軋轢あつれきを生むに違いない。

「あんたも何かと大変そうじゃの。そっちこそ大丈夫なんか」

 猿師の「鬼伯は息子と折り合いが悪い」という言葉を思い出し、思わず拓真が言うと、碧霧は困った顔で苦笑した。そして次に彼は壬に目を向けた。

「おまえが二代目九尾か」

 壬がこくりと頷き返す。碧霧の顔が穏やかにほころんだ。

「伊万里が世話になっているな。ありがとう」

「……こんなボロボロの伊万里を前に、ありがとうと言われてもな」

 壬がばつの悪い顔をしながら肩をすくめた。碧霧は「いいや」とからかうような目を伊万里に向けた。

「十分に幸せそうに見えるけど。なあ伊万里?」

 伊万里がぱっと顔を赤らめ俯いた。

 その時、上空で「葵!」と澄んだ声が響いた。

 皆が一斉に見上げると、阿丸とは別の狛犬がこちらに向かって降下してきた。伊万里がその背中にまたがる二つの人影を見て嬉しそうな声を上げた。

「紫月さま、千尋!」

「イマ!」

 千尋が手を振り伊万里に応える。そして狛犬が着地すると、彼女は背中から飛び降りて伊万里に抱きついた。

「頭がチリチリじゃないの!」

 涙声で怒りながら千尋は伊万里の焼け縮れた髪を何度も撫でまわす。伊万里が困った顔で、それでも心地良さそうにされるがままになっていた。

 続けて、美しい鬼姫が狛犬の背中から降りた。

「ひとまず落ち着いたと思うわ、葵」

「紫月、助かったよ。ありがとう」

 碧霧が満面の笑みを浮かべ、紫月という名の鬼姫を迎え入れた。どうやら彼女は伯子のことを「碧霧」ではなく「葵」と呼ぶらしい。

 彼女だけ他の鬼とは違い、着ているものが今風で淡いピンクのニットワンピースにレギンスという格好だ。真っ黒な長い髪は両側だけ短く切り揃えられており、伊万里と同じ大きな深紫の瞳は、吸い込まれそうなほど澄んでいる。

 目鼻立ちがハッキリしているのにキツそうに見えないのは、きっとふわりとした雰囲気のせいだろう。伊万里もかなり美人だと思っていたが、紫月はさらにその上をいく美人だった。

 そして頭には一本の角。壬はふと、女の子は一つ角なのかと思った。が、碧霧の脇に控える右近という女の従者は二つ角なので、すぐにそうではないと思い直した。

「大地の気を鎮めるのは紫月にしてもらうのが一番早いからな。一緒に来てくれて助かったよ」

「今日は清らかな巫女さまと一緒だったから気持ち良く歌えたわ」

 紫月が千尋にちらりと見て、満足げに笑った。千尋がはにかみながら恐縮する。

 それから紫月は、すでに灰になり始めた四洞の亡骸なきがらに目を向けた。その瞳に憐憫れんびんの情が滲む。彼女はすっとそこに近づき、ゆっくりと口を開いた。

 刹那、穏やかな旋律が静かに優しく紡がれ始めた。

「鎮魂歌……」

 全ての感情をそっと救い上げるような穏やかな声。低く静かに、それでいて優しく撫でるような旋律が響く。死者を弔うために歌っているはずなのに、その場にいた全員が自分のために歌われているかのように思えた。


 歌が終わるのと同時に四洞を燃やす鬼火も消えた。全てが土に還ったようだった。このようなあやかしが存在するのかと思いながら、壬たちは美しい歌の余韻に浸っていた。

 すると紫月がぱんっと両手を叩いた。皆がはっと意識を戻す。彼女は、その場にいる全員ににっこり笑った。

「さあ、みんな大なり小なり怪我をしているわ。屋敷に戻って、早く手当てをしましょう」

 しかし、

「いいや、まだだ」

 拓真の声が割って入った。

「まだ一人。逃げとる奴がおる。信乃を、あの山童やまわろを捕まえんといかん。もう、逃げおおせてしまったかもしれんが──」

 拓真が悔しそうに爪を噛む。すると碧霧が落ち着いた口調で拓真に言った。

「猿師が言っていた山童やまわろだな。心配ない。まずは逃げられない」

「?」

 そのきっぱりとした物言いに、拓真が思わず眉をひそめる。すると、碧霧は含みのある笑みを拓真に返した。

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