そして、決着のとき(5)

 その頃、四洞が死んだことも知らず、信乃は鼻歌まじりに山道を歩いていた。猿に刺された傷はまだズキズキするが、そのうち治るだろう。

 なんの問題もない。

 手にはガラス細工の藤のかんざし。信乃はそれを楽しそうに振り回していた。


〽花房ゆらり 鬼の姫

 ひとり さびしく泣いている

 藤の花咲く 山間やまあい

 ひとり 悲しと泣いている

 藤の名を持つ 鬼の姫

 愛しい者を 待ち詫びて〽


 その昔、美しい鬼姫の死に立ち会った。

 季節外れの深入で、藤花と呼ばれるその鬼姫は一人で美しく佇んでいた。その姿は枯れた藤の実の中にあって、そこだけ藤の花房がゆらりと揺れているようだった。

 何をやらかしたのかは知らないが、彼女は死なないといけないらしい。そして、太一郎が手にかけようとしたら、彼女は艶やかに笑って自ら死んでいった。手に綺麗なかんざしを持っていた。とても綺麗だったので、彼女が死んだ後、自分のものにした。

 どうして殺されそうとしていた彼女が笑ったのか、未だに分からない。一人で死んでいくことは寂しく、悲しいはずだ。

 だから泣いている歌にした。一人なのに笑っていたらおかしいから。枯れた藤だと様にならないので、歌の中では花も咲かせてみた。誰かを待っていたのだろうかとも思う。しかし、それも今となっては分からない。ただ、あの美しい鬼姫を歌った歌と藤のかんざしは、信乃のお気に入りだった。


 あれから十数年、篠平の本家でなんの不自由もなく使用人として暮らした。篠平本家の当主に毒を盛ったのも自分だ。四洞と太一郎が、そう言ったから。そして、今度は別邸に行ってもらうからと、太一郎にひどい折檻せっかんを受けた。折檻せっかんは辛かったが、別邸での暮らしは快適だった。みんな優しく、ご飯もいっぱい食べることができた。何もせず普通に暮らせと言われたので、本当にただ普通に使用人として暮らしていた。最初はいぶかしげに見ていた別邸の者も、そのうち「信乃、」と気軽に声をかけてくるようになった。

 何もしない、何もない、普通の平凡な生活だった。伏見谷から狐と鬼姫がやって来るまでは。

 伏見谷からやって来た鬼姫は、あの藤の鬼姫にそっくりな美しい娘だった。そして、彼女も死なないといけないらしい。久しぶりに四洞から連絡が入り、信乃は四洞に言われるがまま蠱毒を飲ませた。まさか、蠱毒を飲んで助かるなんて、思いもしなかった。


 失敗した。上手くいかなかった。でも、まあいいや。

 

 彼女にとっては、誰が死のうが生きようがどうでも良かった。ただ、暖かい寝床と腹一杯のご飯さえあれば。四洞についているのは、それが自分にとって得だと思うから。本当に、それだけのことだった。

「ん?」

 ふと、行く先に見たこともない男が立っていた。信乃は思わず足を止めた。

 黒い髪、どこか影のある黒い瞳。着ているものも今風だ。

 でも、狐じゃない。この感じは、おそらく人間だ。

 あやかしを祓うという人間の術師だろうか?

 面倒だな、と信乃は思った。しかし、子供姿の自分は見逃されやすいことも彼女は十分に自覚していた。

 子供らしく、愛らしく。きっと見逃してくれる。

 しかしその時、彼の瞳の色が変わった。

 まるで血のように真っ赤な目。その異様な赤に信乃はぎくりとした。

「蟲使いの仲間だな?」

 鋭い目を山童やまわろに向け、動じることのない声で男は言った。そして、その手をぴくりと動かす。

 刹那、人間であるはずの男の手から一振りの刀が出てきた。

「な……に……?」

 その黒光りする刃の閃きに、信乃はぞくりと総毛立つ。

 逃げないといけない。本能的に信乃は思った。こいつは、怖い奴だ。近づいてはだめな奴だ。

 じり、じり、と信乃は後ずさった。すると、男がその切っ先で信乃の背後を指した。

「下がって……いいのか?」

「え?」

 刹那、信乃の背後で別の刃が閃き、彼女の体を斬り裂いた。

 その場に崩れながら信乃が大きく目を見開く。その瞳に自分を見下ろす猿師の冷たい顔が映った。

「おまえは少し無邪気過ぎた」

 猿師が言った。

 信乃が虚ろな瞳でぶつぶつと何ごとかを呟く。

 思わず眉根を寄せる猿師の耳に届いたのは、藤の鬼姫を歌った歌だった。

「──!!」

 猿師の体が怒りで震えた。

 しかし刹那、黒髪の男が一気に間を詰め、信乃の心臓を突いてとどめを刺した。山童やまわろが「ぎゃっ」と悲鳴を上げて絶命する。

 そしてそれは、そのまま一気に塵と化した。まるで、かの妖刀に斬られたかのように。 

 男が信乃の最期を見届けながら、ちらりと猿師に目を向けた。

「先生、こいつは先生が始末しちゃだめだ。……なんとなく、だけど」

 彼が言った。淡々とした静かな口調ではあるが、猿師を気遣う優しさが滲んでいた。猿師が自身の感情を隠すように軽く目を伏せる。そしてそれから、猿師はすぐに顔を上げ、いつもと変わらない落ち着いた表情で言った。

「すまんな鷹也、おまえも来てくれていたのか」

「二人が行くところは、俺も誘われるもんで。紫月が、葵が人間界こっちに来るって言うもんだから」

 鷹也と呼ばれる男が迷惑そうに肩をすくめた。そして皮肉げに口の端を上げた。

「それに、俺が始末した方が何も残らなくて都合がいいだろう、先生?」

「……確かにそうだ」

 刀を鞘に納めながら猿師が苦笑すると、鷹也もくしゃりと笑った。いつの間にか手に持っていた刀は消え失せ、その瞳はなんの変哲もない澄んだ黒になっていた。

 猿師が風に舞い始める塵をじっと眺める。ふと、ガラス細工の藤のかんざしが塵の中から現れた。

 猿師の滅多に動じない目が揺らぐ。

 鷹也も少し驚いた顔をしてかんざしを見た。

「珍しいね。俺に斬られて何かが残るなんて。こいつの物じゃないのかな?」

「……」

 猿師がそっとそれを拾い上げ、まじまじと見つめる。そのらしからぬ彼の様子に、鷹也が遠慮がちに尋ねた。

「何か、心当たりでも?」

「昔、贈った物と似ていると思ってな」

「先生でも贈り物をするの」

 鷹也が意外そうに笑った。そんな彼に猿師は黙って笑い返した。

 そして鷹也は、所在なく頭を掻いてから「それじゃあ」と踵を返した。

「なんだ、もう行くのか」

「二人には先に行っていると先生から言っておいて」

 手をひらひら振りながら鷹也がすたすたと歩きだす。猿師は彼の背中に声をかけた。

「皆に会っていかないか?」

 ふと足を止め鷹也が振り返る。

「あやかしたちに?」

「ああ、」

 鷹也が「まさか」と苦笑しながら肩をすくめる。

「いろいろまずいでしょ。が突然現れたら」

「ま、そうかもしれんが」

「いいよ、いずれまた機会もある」

 さらりと答え鷹也が再び歩き出す。猿師はその背中を複雑な思いで見送った。

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