そして、決着のとき(3)

 まるで朝の澄んだ空気のような歌声。

 独特の抑揚と厳かな旋律。声はどこまでものびやかで優しさに満ちている。不思議な色をまとったその声はまるで生きているかのように里の空を覆い、そして細雨のように光の粒となって篠平の里に降り注ぐ。同時に、あれだけ殺気立っていた里の空気が、まるで赤子が眠りにつくように鎮まっていくのをその場にいた全員が感じた。

 ふいに降り注ぐ美しい歌声に壬も圭も、そして拓真たちもあっけにとられる。四洞も信じられないと目を見開いて空を仰ぐ。そして独り言のように呟いた。

「これは──、つち御詞みこと。これを歌えるなど……」


「そうだ。一人しかいない」


 圭と壬の背後で聞いたことのない男の声がした。

 驚いて二人が振り返ると、少し離れたところに、いつの間にか伊万里と並んで小袖に袴姿の男が立っていた。頭には二つの角、両脇に従者を具した鬼の男だった。

 その姿を見て、四洞はカタカタと小刻みに震え始めた。

 見た目の年は人間でいうところの二十代前半といったところだろうか。色素の薄い茶褐色の長い髪を後ろで一つに束ね、女かと思うような綺麗な顔立ちであるのに、精悍な目元や自信に溢れる口元が決してそうだとは感じさせない。

 何より彼は、圭と壬が今まで見てきたどの鬼よりも品位と風格に満ちていた。

 彼の両脇に膝をついて控える男女の従者も、古めかしい出で立ちで、男は彼より少し年上、女は同い年くらいに見えた。当然、二人の頭にも角があり、男は伊万里と同じ一つ、女は二つ生えている。

 状況が読めない壬に、伊万里が落ち着いた口調で笑いかけた。

「こちらは、月夜の里は伯子はくし碧霧あおぎりさまにございます」

「は……伯子はくし?」

「はい。今の鬼伯のご子息であり、次の鬼伯になられる御方です。私が別邸を出る直前に、篠平に到着されました」


 突然の予想もしていない者の登場に、壬はにわかに頭がついていかない。拓真がそんな彼に耳打ちした。

「猿師が呼んだんじゃ。これ以上、月夜と事がこじれないように──。伊万里を使って蟲使いを誘い出し、おまえが焔を手にするまで亜子に時間を稼いでもらっていた。あとは儂がここまで案内した」

 碧霧あおぎりが四洞の前に歩み出る。

「久しいな、四洞。おまえは滅多に表に出てこないから、顔を忘れかけていたぞ」

「なぜ、あなたさまがここに……」

 声を震わせ四洞が呟いた。碧霧はちらりと伊万里を一瞥した後、四洞に笑った。

「カツオを食べに──、かな?」

「ふざけたことを!!」

 四洞が苦虫を噛み潰したような顔で碧霧を睨んだ。しかし、碧霧は冷めた目で四洞を見返した。そして彼は厳しい口調で四洞に言った。

「ふざけているのはおまえだろう。狐相手とはいえ、人間の世界に手を出すなど、どういうつもりだ? 月夜の掟を忘れたわけではあるまい?」

「わ、私は、父君の鬼伯から密命を受けたまで──…」

 碧霧の厳しい問いただしに、四洞がおろおろと弁明する。この騒ぎの元凶が自分ではなく鬼伯であると暴露したようなものだが、そのことには気づいていない。

 碧霧が小さくため息をついた。

「伯は知らぬとおっしゃっていたぞ」

「なっ。そ、そんなはずは──」

 四洞がたじろいだ。そしてまだ何か言い募ろうとしたが、それを碧霧が止めた。

「四洞、仮に密命だったのであれば最後までにしないとな」

「!!」

 四洞がじりっと後ずさりする。今置かれている自分の立場をようやく理解した様子だった。もはや、鬼伯から受けたはずの密命は消え失せ、残ったのは自身の暴挙という事実のみ。

 碧霧が静かな口調で淡々と言った。

「今回、俺は伯から篠平の一件を収めてくるよう命を受けた。四洞、大人しく俺と一緒に月夜へ帰れ」

「……ふ、はは、ははは」

 四洞が乾いた笑いを漏らす。そして彼は碧霧を睨み返した。

「このまま月夜に帰るだと? そしてどうなる? 私は処断されるのか?」

「それは伯がお決めになる」

「今さら何を決めるというのだ!!」

 四洞がかっと目を見開く。四洞の近くの空間がぐにゃりと歪む。

 碧霧がやれやれとため息まじりに目を伏せた。

「左近、右近、」

 刹那、碧霧の両脇に控えていた従者が抜刀し、素早く動いた。そして彼らは、歪んだ空間から何かが出てくる前に四洞を左右交互に斬り伏せた。

 四洞が腹部を抱えてガクッと膝をつく。そして四洞はそのまま力なく前へ倒れ込んだ。彼の体からゆっくりと血が流れ出す。

「……はっ、ひひっ。呪われた親子よ」

 吐血し、地に這いつくばりながら、四洞が血走った目を碧霧に向けた。

「上手く父親を説き伏せたつもりかもしれんが、息子のおまえが邪魔をしたこと、鬼伯は腹の中で怒っておるわ。いつか必ずおまえたち親子は殺し合う。せいぜい頑張るがいい」

「言いたいことはそれだけか?」

 左右の従者が同時に鬼火を四洞にかける。四洞は呪いの言葉を吐きながら燃え上がった。

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