最終話(下) 二代目九尾と花嫁の姫

1)混乱の里

混乱の里(1)

 猿師のエイに乗って、圭たち一行は篠平に向かって流れるようにゆったりと大空を進んでいた。明け方の空気はまだ冷たい。夜の闇と朝の光がないまぜになった空は、じんわり少しずつ明るくなっていく。圭と千尋はふかふかの阿丸にくっつきながら二人で身を寄せ合い、時おり眼下を流れていく風景を眺めていた。

 亜子は前方で猿師と並んで座り、しばらく言葉を交わしていたが、ふと二人の微笑ましい様子を見て声をかけてきた。

「壬と伊万里も仲が良かったけど、おまえさんたちも仲がいいねえ」

 圭と千尋が互いに目配せし、はにかみ合う。しかし、すぐに千尋が「そんなことより」と目を輝かせた。

「壬ちゃんたち、どうですか? ほら、何と言っても一晩一緒だったわけだし」

 圭が隣で「野暮なことを聞くなよ」と呆れ顔になる。千尋はそれを無視して、「聞きたい!」とさらにずいっと彼女に迫った。

 すると、亜子が微妙な顔で笑い返した。

「それが、いろいろあってさ。昨日の夜は伊万里は私の部屋で寝泊まりしているはずだよ。まあ、一言で言うと、こじれたって感じ?」

「ええ?」

「なんで?」

 思わず圭も聞き返す。しかし、千尋ににやっと笑われ、すぐにそっぽを向いた。

 亜子がふふっと含みのある顔で笑った。

「伊万里が暴走して、それに壬が対応できず、さらにうちの拓真が横やりを入れちまったもんだから、そりゃあ面白いことになってるよ」

「よ、横やり?? 亜子さん、その横やりって言うの、もうちょっと詳しく──」

 千尋がさらに前のめりになり、きゃあと目を輝かせる。そんな千尋の腕を圭が掴んだ。

「千尋、やめろって。あんまり騒ぐと落ちるぞ」

「圭ちゃんは、黙ってて!」

 恋バナを邪魔されると女子は凶暴化する。千尋にぴしゃりと言われ、圭はため息をつきながらすごすごと引っ込んだ。

 その時、

 バサッと翼をはためかせる音が聞こえた。三人が一斉に音のした方を見上げる。すると、一羽のフクロウが上空を旋回していた。

「あれは──…」

 恋バナで緩んでいた亜子の顔がすっと緊張する。彼女は立ち上がると、フクロウに向かって片腕を差し出した。真っ直ぐにフクロウが亜子の腕をめがけて降りてくる。

「拓真の式だ」

 言って彼女は腕に止まったフクロウを撫でた。刹那、頬がぴくっと痙攣けいれんする。みるみる顔が蒼白になり、亜子は猿師に向かって緊迫した声を上げた。

「猿師! 篠平が──!!」

「…今、儂も聞いた」

 猿師が険しい顔で振り返る。その手に小さなてんとう虫が乗っていた。

 圭がそれを見てごくりと息を飲んだ。

「それ、壬の式神だ。何かあったの?」

「助けを呼んでいる」

「助けを? どうして?」

「分からない。もうこの式からは何も応答がない」

 猿師が手短に答え、亜子を見る。すると、彼女が強張った顔で答えた。

深入ふかいりで太一郎に襲われたらしい。あと、伊万里が蠱毒を飲まされたらしく危ないと……。だめだ。これ以上、反応がない」

 同時に、亜子の腕に止まっていたフクロウがぱあっと崩れて一枚の木の葉に戻った。

「急がねばならんな」

 猿師が片膝をついてエイの頭部に手を当てる。視線は鋭く前を見据えたまま、緊張した声だけが圭たちに届いた。

「予定が変わった。篠平まで一気に飛ばす。圭、千尋に結界を結べ。これからかなりの圧がかかる」

「もう、結んであるよ」

 エイに乗り込む前、圭は千尋に密かに結界を施した。篠平で何があるか分からない以上、彼女を守るためだ。それとは気づかれないよう結界術師・伊東屋いとうや右玄うげんを意識して結界を結んだつもりだった。

 が、猿師には見抜かれていたようだ。猿師が苦笑しながら「そういう小難しいのではなく、」とすぐさま言葉を返す。

「単純で物理的に分厚いやつだ。出来るな?」

「分かった」

 紅い下緒さげおに手をかける。白蛇が宿った圭の刀が現れた。彼は千尋を自分の元へ引き寄せると、二人の前に刀を置いた。これが、境界線になる。

びゃく、頼むよ」

 圭が刀の柄から鞘先にかけてすっと指でなぞる。刹那、目に見えない分厚い壁が刀を起点として二人を取り囲んだ。

 圭が結界を結ぶ様子を満足げに確認してから、猿師は自身の髪を抜いてふうっと息を吹きかけた。毛髪がさあっとカラスへ変化へんげし、猿師の手から飛び立った。一鳴きして遠くへと飛んでいくカラスを亜子が見送りながら猿師に尋ねた。

「どこへ?」

「とある方のもとへ助力をお願いするために。月夜つくよが関わっているというのであれば、なおさらその方に一気に片を付けていただく」

「と、言うと?」

 猿師は、ただ黙って亜子に含みのある笑いを返した。猿師の思惑を図りかねて亜子が片眉を上げた。

「では、急ごうか」

 猿師がみなに声をかける。ゆったりと進んでいたエイがヒレをぶるんと震わせた。刹那、どんっとエイがものすごい速度で空を切って進み始めた。


 さっきまでの遊覧飛行が嘘のように、まるで矢のごとくエイが一直線に空を突き抜ける。結界で守られてはいるものの、目まぐるしく流れていく眼下の風景に酔いそうになって、千尋はぎゅっと圭にしがみついた。

「しっかり掴まっていて」

 耳元で圭が囁き、彼女を胸元に抱き寄せる。

 そんな荒々しい飛行がしばらく続き、夜がすっかり明けきった頃、猿師とともに前方を睨み続けていた亜子が叫んだ。

「見えた、篠平だ!」

 左手には海、そして右手に向かって平野が広がり山へと続く。

 彼女が山間やまあいに囲まれた遥か遠くの平地を指差した。エイがぐんぐんとそこに迫る。ややして、里の様子が見てとれるところまで来ると、エイの飛行速度が少し弛んだ。

「下降するぞ」

 猿師が圭たちに声をかけると、エイが身を翻して下降し始めた。

「千尋、篠平だよ」

 とにかく目的地に辿り着いたという安堵感で圭はほっと息をついた。彼の胸の中、身じろぎ一つしなかった千尋がもぞっと動き出し、おそるおそる眼下の様子を窺う。

 山に囲まれた集落が見え始めた。日本のどこにでもある田舎の風景。しかし、地上に近づくにつれ、焦げた臭いが風にのって届き、里から煙が上がっているのが見えた。と、同時に無機質な殺気がピリピリと圭の肌に突き刺さった。

「里の様子がおかしい──!」

 亜子が唸るように言った。拓真のフクロウの伝達では、深入ふかいりで太一郎に襲われたことと、伊万里が蠱毒に侵されていることだけだった。里のことは一切聞いていない。

(一体何が──…)

 里の者や、父親の亜門、そして信乃のことが頭をよぎる。

 しかし、今は拓真の救出が先だ。

「猿師、北西に見える山が──」

 そこが深入だ、と猿師に指示を出す前にエイがぐうっと右手へ傾く。亜子は少し驚いて猿師に尋ねた。

「猿師、深入をご存じで?」

「昔、一度だけ訪れたことがある」

 刹那、大きな羽虫の雑蟲ぞうこがどこからと現れた。

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