篠平の跡目(4)

 それから壬たちは遅めの昼食もすませ、離れで亜子が来るのを待っていた。その後の詳細を亜子から聞くためだ。

 篠平の状況は、さっきの拓真の話で概ね理解できた。そして、「谷は必ず動く」という自分の言葉も拓真は亜子たちに伝えているはずだ。となると、今後の彼らの動きは何となく予想がついたが、それでも具体的な話は聞いておきたい。

 ひとまず荷物の整理を終わらせてから、壬は拓真から聞いたことを伊万里に話した。拓真が跡目争いに興味がないことや、篠平で月夜の里に取り入ろうとする不穏な動きがあることなど。ひと通り聞き終わり、伊万里がじっと考え込んだ。

「拓真さまのお気持ちは分かりました。まあ、とても単細胞……。いえ、分かりやすい……。うーん、率直な方のようですし」

 とりあえず失礼のないようにと、何度も言葉を選び直す。そして彼女は、眉根を寄せて難しい顔をした。

「継ぐ気がないなどと拓真さまの甘い物言いもさることながら、月夜つくよが絡んでいるかもしれないことも気になります。月夜の一族は、もともと人間と交わることを良しとしておりませぬ。人間の世界に自分たちの居場所がないことを十分に分かっております」

 人間と鬼とでは、持っている霊力も、時の流れも、求める価値も違い過ぎる。この人間界に勢力を広げようとしているなどとは考えにくい。だとすれば、他に目的があるはずだ。

 すると突然、離れの外で誰かが騒ぐ声がした。

「こちらはお客様のお部屋にございます」

「分かっておるわっ」

 信乃の声を振り切って、どかどかと無遠慮な足音が押し入って来る。なんだと思って壬たちが顔を上げたのと、襖が乱暴に開いたのとが同時だった。

「これはこれは。久しぶりだな、伏宮の小せがれ」

 忘れもしない、深いしわの入った顔。妙に甲高い声。そこに現れたのは、伏見谷の婚儀の礼で伊万里に対し暴言を吐いた老狐だった。

「どうだ、月夜の姫。小せがれに可愛がってもらっておるか?」

 その目をいやらしく細めて伊万里を見る。伊万里が不快さを露わにした。さっきの拓真と似たようなことを言ってはいるが全く違う。明らかにこちらをさげすむ言い方は、その体を舐め回すような視線と相まってぞわぞわと鳥肌が立つほどだった。

「このようなところに二人でのこのこやって来おって。谷の当主はおまえらを邪魔に思うておるのではないか」

 老狐が口の端を歪めながら笑った。しかし、その老狐に負けないくらいふてぶてしい顔を壬が返した。

「なんだ、てめえか。ジジイ」

 そして彼は大きく息を吸った。伊万里は、はっと息を飲んだ。

(ダメッ、火を吐く!!)

 壬の様子を敏感に感じ取った伊万里がとっさに彼の腕を掴む。そして押し殺した声で彼に囁いた。

「壬、なりませぬ。私は平気にございます」

「……」

 壬がいまいましげに息をつく。彼の口の端から、わずかに熱気が漏れ出たが、彼はそれをごくんと飲み込んだ。

 伊万里はほっと胸を撫で下ろした。あれを見せてはいけない。直感的にそう思った。

 すると、老狐の背後から一人の青年が顔を出した。

「た、太一郎。あまり事を荒立てないでくれ」

 遠慮がちに言いながら、彼は不審な目を壬たちに向けた。拓真を少し大人にしたようなその顔は、一目ひとめで拓真の兄その者だと分かった。さっぱりと散髪された髪は、拓真と同じくせのある赤毛。

 西郷太一郎が、苦い顔をしながら表面上恭しく頭を下げた。

「祥真様、儂は別に事を荒立てるつもりはありません。ただ──」

 言って壬たちを鋭く睨む。

「谷の小せがれが、この大事な時期に何をしに篠平に来たのかを問いたださねばなりません」

「暇つぶしにございます」

 伊万里が目を伏せ皮肉げに笑いながらしれっと答える。

「壬と二人、遊びに来たまでのこと。それ以上でも、それ以下でもございませぬ」

 太一郎がふんっと鼻を鳴らした。そして、顔の深いしわをさらに深めて、にやにやと笑った。

「儂はまた、次男坊に足を広げに来たのかと思ったぞ? なんせ行きずりの男との間に出来た売女ばいたの娘なのだから」

 伊万里の全身から血の気が引いた。母親のことを知っているのかという驚きと、それを侮辱された怒りとで、頭が真っ白になった。

 刹那、

「やっぱり燃やす」

 壬がギリッと歯ぎしりをして、怒りに満ちた声で唸った。

 どこまでも伊万里をおとしめる。こいつだけは許せない。

 しかし、伊万里が壬の体にしがみついた。

「なりませぬ。あやつの口車に乗ってはなりませぬ」

 太一郎が愉快そうに声を上げて笑う。

「はっはっは、本当のこと過ぎて、何も言い返せんか?」

「この──!!」

 するとその時、

「年寄りの高笑いなんぞ、みっともないぞ」

 あっけらかんとした声が響いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る