篠平の跡目(5)
入り口奥から、太一郎と祥真を押しどけて拓真と亜門、そして亜子が入ってきた。
拓真は太一郎を鋭く見据え、壬と伊万里の前に立った。
「儂が二人を呼んだんじゃ。大妖狐の愛刀を引き継いだっていう狐に会ってみたくてな」
ふんっと鼻を鳴らしながら拓真が言った。太一郎が苦々しい顔で彼を睨む。
「このような時期に、本家の断りもなくですかな?」
「誰を呼ぼうと儂の勝手じゃ。それに、人の家に来て、挨拶もなしに客人の部屋に押し掛けるほどの理不尽はしとらんぞ」
そんな拓真を擁護するかのように亜門と亜子が両脇に控えて太一郎に睨みをきかせる。次期当主である祥真を差し置いて、ひとり威張り散らしている太一郎とは対照的だ。
拓真は、太一郎から目をそらし、その後ろに控えるように立つ祥真に目を向けた。
「兄貴、今の太一郎の言葉はあまりに酷い。兄貴からも何か言ってくれ」
そう言われ、祥真はびくりと顔を上げた。そして、おろおろと太一郎を見る。
「だから俺は言ったのだ。事を荒立てるなと……」
その頼りない物言いに壬は思わず顔をしかめた。
今の話はそこじゃない。伊万里への暴言について、拓真は太一郎に謝罪を求めているのだ。
これが篠平の次期当主なのかと壬は唖然とした。隣で伊万里の口から呆れるようなため息が漏れる。
そんな二人の様子を察し、拓真が必死な口調になる。
「祥真
「お、俺はちゃんと言ったぞ」
ぼそりと拓真に言い返し、祥真は動揺した様子で俯いた。太一郎が、そんな祥真を庇うように彼の肩を抱く。
「祥真さま、お気分を崩されましたかな。帰りましょう」
太一郎は猫なで声で言うと、彼を玄関へ促した。拓真がとっさに声をかける。
「祥真
「祥真さまは帰ると申しておる」
ぴしゃりと言って、太一郎が拓真の声を遮った。そして彼は、壬と拓真を交互に鋭く睨んだ。
「拓真さま、あなたのお気持ちは儂にも祥真さまにもよう分かりました。今日はそれを確かめに来たまで。あくまでも争うというのであれば、逆臣の汚名を着る覚悟で来られよ」
太一郎が不敵に笑い背を向ける。そして彼は、意気消沈する祥真を連れて足音も荒々しく部屋を出て行った。
「くそっ」
拓真が怒りを露わにこぶしを握り締めた。しかし、その怒りに満ちた顔は、今にも泣き出しそうで壬も伊万里も胸が詰まった。兄があれでは、拓真が反対派に担ぎ出されるのも仕方がない。本当のところ、拓真は兄にしっかりして欲しいだけなのかもしれないが。
亜門が拓真の肩を軽く叩いて彼を気遣う。それから亜門は壬と伊万里に向き直り深々と頭を下げた。
「我が里の者が信じられない暴言を。本当に申し訳ない」
「亜門さまが謝ることではございませぬ」
伊万里は静かな声で答えた。そして、すぐさま問いただすような目を亜門に向けた。
「……あの、西郷太一郎は私の母親のことを何か知っているのでしょうか?」
亜門が小さく頭を振り返した。
「いいえ。知っているとは考えにくい。姫の
「そう、ですか……」
伊万里が複雑な顔で黙り込んだ。そんな彼女の肩を壬は優しく抱いた。
「気にするな、伊万里」
伊万里の母親に対する気持ちは複雑だ。本来なら九尾に嫁ぐのは彼女の母親で、それが別の男と恋仲になって生まれたのが伊万里だ。その後、月夜の里を追われた顔も知らない母親に対し、恨みにも似た気持ちを彼女は抱えている。
壬は伊万里を気にかけつつ、拓真を見た。
「とにかく来てくれて助かった」
拓真がすっといつもの表情に戻り、にやりと笑った。
「全くだわい。また、火を吐くつもりだっただろう?」
そして、彼は真面目な顔で壬に言った。
「明日、亜子が伏見谷へ行くことになった。行って、谷に頭を下げてくる」
「そうか」
すると亜子が拓真の言葉に付け加える。
「二人には悪いけど、交渉材料には使わせてもらうよ。本当に谷が動くかどうか保証がないからね」
「好きにしろよ。どうせ、これ、軽く囚われの身だろ」
「話が早くて助かるね」
亜子が満足げに頷いた。壬が拓真たちに尋ねた。
「それで、名代の圭を後ろ楯にして跡目の名乗りを上げるのか?」
「跡目は名乗らんと言っておるだろう」
すかさず言い返し、拓真が顔をしかめる。そんな彼を亜門と亜子が困った様子で見た。
「拓真、親父も私も生ぬるいことをするつもりはないよ」
「だから、勝手にしろ。儂は知らん」
拓真がムスッとそっぽを向く。こちらはこちらで不協和音らしい。
ふと伊万里に目をやると、彼女は全然違う方向を向いて考え込んでいる。母親のことがまだ頭から離れないのだろう。
「伊万里、」
「はいっ、すみません。ちゃんと聞いておりました」
壬に呼ばれ伊万里は慌てて返事をした。みんなの話はぼんやりとしか聞いていなかった。それよりも、さっきの太一郎の言葉が気になった。
(世話役の男だとは聞いていたけれど、行きずりの男だとは聞いていない)
それこそ、母親は誰でも良かったのか?
そんな伊万里の気持ちを察したのか、壬が拓真たちの目も気にせずに彼女の手を握りしめた。その大きくて温かい手の平に包まれて、伊万里の気持ちが少し落ち着く。同時に、逃げ出したいくらい恥ずかしくなった。
篠平での一日目が終わろうとしていた。あんなに明るかった庭が薄暗く陰り、空が夕闇に覆われ始めた。
二人だけの夜が、もうすぐそこまで来ていた。
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