篠平の跡目(3)

 大声を出す壬に拓真が静かにしろと睨みをきかす。

「鬼姫に聞こえるだろうが」

「伊万里はもう谷の鬼だから問題ない。にしても、なんで鬼につくって?」

 拓真が苦々しい顔をしながら肩をすくめた。

「本当に儂が聞きたい。誰かと組みたいなら、同じ狐じゃなくても、狸でも、猿でも、天狗でも、他におるだろうに」

「そもそもどうして、他に頼る? 今、どこからか攻められているわけじゃなし」

「攻められてはおらんが、要は人間をどうするかってやつだ」

 壬の問いかけに拓真が答えた。

「ここら辺も何かと開発が進んでてな。それを不安がる者もおる。とどのつまり、人間と共存するか、排除するか。どちらにせよ力がいる」

「人間……」

 壬は篠平に降り立つ前に見たここの地形を思い出した。平野が海と山に挟まれ、山との距離がとても近い。人間と近いなと思ったのは確かだ。ただ、そうだとしても、

「排除なんて現実的な話じゃないだろ」

 壬が言った。何だかんだ言っても人間は怖い。排除なんて、一歩間違えばこちらが排除される。

 拓真が壬に頷き返した。

「儂もそう思う。が、それだけ危機感もあるってことだ。最近は、周りの目をはばからず人間の排除を言う奴もおる。そこで、出てきたのが月夜じゃ。より強力な後ろ楯ってやつだわ」

「なあ、うちみたいに篠平も月夜の里と関係があったのか?」

 すると拓真は大げさに片手を左右に振った。

「あるわけない。言っとくが、おまえら伏見谷が特別なんだぞ。あんな可愛いの、儂らのところには来んからな」

「いちいち、可愛いって言うな」

「おまえもいちいちケチだのう。だから、褒めとるだけだろうが」

 その時、襖が開いて伊万里がお茶を持って入ってきた。

「お待たせいたしました。勝手が分からず手間取りました」

 彼女は膝をついて拓真、そして壬の前にお茶を出した。すると今度は、壬が立ち上がった。

「ごめん、ちょっと」

「なんだ、今度はおまえか。忙しないのう」

「悪いな。伊万里、お茶は後で飲むから置いといて」

「はい」

 なんだろうと、気になりながら伊万里は彼を見送った。そして、拓真と二人残されて、微妙な空気になる。伊万里は話すこともなく、かと言って必要以上に愛想を振りまく気にもなれず、すました顔で黙っていた。

 すると拓真が口を開いた。

「悪かったな」

「え?」

「さっきの大江の爺さんのことだ。売り言葉に買い言葉、本気で言っているわけではないが、さすがにあれは言い過ぎだわ」

 大広間で伊万里に対し「谷に体を売った娘」と暴言を吐いたことを言っているのだろう。伊万里が口の端に皮肉げな笑みを浮かべた。

「本気ではなくとも、本音でございましょう」

「……上手いこと言うのう」

「篠平の無礼な物言いには慣れております」

「なんとも嫌われたもんじゃ」

 拓真が肩をすくめる。

「機嫌を直してくれんか。笑っていたら可愛いというのに」

「不必要に笑えませぬ」

 言葉を返すのも面倒くさい。それで伊万里がつっけんどんに言い返すと、拓真が呆れ顔で彼女を見た。

「そんなにツンケンしなくても。分かりやすいのう」

「は?」

「九尾の前ではとろとろの顔をしとるくせに、儂の前ではにこりともせんのか」

「とととと、とろとろとは、無礼な!!」

 伊万里が顔を真っ赤にして彼を睨んだ。拓真が悪びれもせず、にやっと笑う。

「とろとろにとろとろと言って何が悪い。九尾にぞっこんなのは分かるが、そこまであからさまだと見てるこっちが恥ずかしくなるわい」

「ぞっ……、あかっ……?!」

 言い返そうにも言葉にならない。恥ずかしいのと腹立たしいのとがごっちゃになり伊万里はわなわなと震えた。そんな彼女を面白そうに見返しながら、拓真は右奥の部屋に敷かれた一組の布団をちらりと見た。

「それに、今夜は可愛がってもらえそうだし?」

「なんと下世話な──!!」

 もう我慢ならないと伊万里が腰を浮かせたその時、壬が戻ってきた。

「伊万里、どうした?」

 目を吊り上げ、顔を真っ赤にしている伊万里を見て、壬が眉根を寄せる。彼女は震えながら拓真を指した。

「この者が私のことを──」

 そこまで言って伊万里は言葉に詰まる。「とろとろ」を上品に伝えるためにはどう言えばいいか分からない。それで彼女がもじもじと困っていると、拓真が「やれやれ」と呟いた。

「それが、とろとろだと言うとるんじゃ」

「お黙りなさいませ!」

 伊万里がギッと拓真を睨む。拓真は身震いする真似をして肩をすくめた。

「おお、怖いのう。これ以上いたら鬼姫に食われそうだし、儂は行くぞ」

 言って拓真は立ち上がった。そして含みのある目を壬に向けた。

「言っておくが、ここはかなりの田舎でのう。電波は全く届かんぞ。あと、式神もやめておけ。そういう物を好き勝手に飛ばせるほど、亜門も亜子も甘くない」

 壬が少しばつの悪い顔をする。拓真が全てお見通しだと言ったふうに皮肉げな笑みを浮かべた。

「ま、温泉宿に遊びに来たと思って大人しくのんびりしてろ。悪いようにはせん」

「おい、拓真」

 壬が拓真を呼び止めた。拓真が戸口で立ち止まり振り返る。壬は、彼に向かって言った。

「俺の双子の兄──、圭は俺よりもっと頭も切れるし、要領もいい。それに、話も分かる奴だ」

「……そりゃあ、モテそうな男だな。嫌な奴じゃ」

「谷を動かしたければ、使者を立てて俺の父親に手紙を送れ。谷も篠平の跡目争いは他人事とは思っていない。必ず動く」

「そこまで自分らの手の内を言っていいんかい? 谷を利用するだけかもしれんぞ?」

「おまえはそういう器用なことをする奴じゃない。これは俺の直感だ」

 壬が答えた。拓真が満足そうに笑う。

「九尾、おまえとは話が合いそうじゃ。これは儂の直感だ」

 そう言うと拓真は手をひらひらと振って部屋を出て行った。

 彼が玄関の引き戸を締める音を確認しながら伊万里が壬に小声で言った。

「よろしかったのですか。あのように谷は必ず動くなどと言って」

「うん。あっちが手の内を見せて来たからな。下手な嘘をつく奴にも見えない」

 そして壬は、ふいに伊万里に尋ねた。

「なあ伊万里、とろとろって何の話?」

「へ?」

「だから、さっき拓真と言い合いになっていただろ」

 伊万里が顔を引きつらせながら笑い、首を傾げる。

「さあ? カツオの脂の刺し具合かと……」

 カツオにそんな具合があるのかどうかは知らないが、伊万里は壬に答えた。

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