篠平の跡目(2)

「おまえ、篠平弟!」

「拓真だと言うとるだろが」

 言って拓真がおにぎりをのせた皿を突き出した。

「ほれ、朝から何も食っとらんだろ。もうしばらくしたら昼になるし、とりあえずこれでも食え」

 そして彼は、皿を座卓に置くと、どかりとその場に座り込んだ。

「遠慮するな」

 拓真は二人に持ってきたはずのおにぎりを真っ先に掴み、ぱくりとかぶりついた。口をモグモグさせながらあごで座布団を差して「座れ」の合図をする。

 壬と伊万里は突然の来訪者に戸惑いながら、彼に促されるまま座った。

「さあ、食え」

「亜子さんが、これからのことを話し合うって言ってたぞ。おまえは加わらなくていいのかよ」

 壬もおにぎりにかぶりついた。拓真が頬張った口を動かした。

「あんな話は亜門と亜子でなんとかするわ。大人の建前と本音のオンパレードなんぞ聞きたくもない。それより、儂はおまえと直接話をしたいんじゃ」

 拓真が探るような目を向けながらニヤリと笑う。

「九尾、おまえは何をしに来た? よその跡目争いなんぞ犬も食わん。伏見谷に何の得がある」

「九尾じゃねえ、壬だ。俺も父親に行けと言われて来ただけだ。それこそ大人の建前と本音だろ」

「ふん。おまえの親父も食えんのう。子供はえらい迷惑じゃ」

 すると二人の食べる様子を見ていた伊万里が立ち上がった。

「壬、拓真さま、お茶をお入れいたしましょう。あちらの水場にポットがありましたので」

「悪いの」

 拓真が部屋の入り口方向を指差した。

「水場の食器は好きに使って大丈夫だわ」

「分かりました」

「伊万里、ありがとう」

「とんでもございません」

 にっこり笑って軽く頭を下げ、伊万里が部屋から出て行った。そんな伊万里の後ろ姿を見送りながら拓真が感心しきった口調で言った。

「かっわいいのう。広間では、すました顔がキツそうな女だと思ったが、あんな風に笑われたら男もイチコロだな」

「あのな、」

 壬があからさまに嫌な顔をする。それを見て、拓真は肩をすくめた。

「褒めとるだけだろうが。ケチケチするな」

「ケチじゃねえし!」

 壬が睨み返すと、拓真はからからと笑った。

「大丈夫じゃ。ありゃ、美人すぎて一目惚れされるタイプだ。儂は今惚れとらんから、この先惚れることもない」

「どんな理屈だ」

「よその女を横取りするほど不自由しとらんわい。それより──、」

 拓真が周囲に目を配りつつ、壬につと詰め寄った。そして彼は、改まった口調で言った。

「谷を継ぐのはおまえの片割れの兄か? どんなやつだ」


 突然、圭のことを尋ねられ、壬は眉をひそめた。

「……どうしてそんなことを聞く?」

 拓真が苦笑した。

「亜門も亜子も伏見谷の助力を諦めとらん。このままだと、今度来るのは片割れの兄だろう?」

「うちの父親が来るとは思わないんだ」

「当然だ」

 はんっと鼻を鳴らし、拓真は二つ目のおにぎりを頬張った。

「頭の固いジジイどもは篠平の威厳だのなんだのとうるさいが、こんなくだらない兄弟喧嘩にどこの当主が御自おんみずから顔を突っ込むものか。そんな当主なら、それこそこっちから願い下げじゃ」

「……おまえ、ただのバカじゃなかったんだな」

「いやいやいや、」

 壬が意外そうに呟くと、拓真が心外だとばかりに顔を引きつらせた。

「さっき、カツオを食ったら帰るっていうおまえの無茶ぶりをスマートに返しただろうが! そこ、ちゃんと評価せんかい」

「いや、まあ、そうなんだけど」

 ぶっちゃけトークが多すぎて、正しく評価ができない。

 彼は拓真に尋ねた。

「なんで、谷まで巻き込んで跡目になろうとしているんだ? 亜子さんは篠平を食い物にしている奴がいるって言っていたけど」

「俺は、篠平を継ぐ気はない」

「え? でもおまえ──…」

「大人が勝手に言っているだけじゃ。儂は兄貴の周りにいる連中が嫌いなだけで、当主になんぞ興味もない。儂の目的は、奴らを排除して篠平当主の座を綺麗にし、兄貴に渡す。後は知らん」

 拓真が吐き捨てた。

 あっさり彼に否定され、壬は言い返す言葉もない。しかし、同時に心のどこかでほっとした。どう見たって、この篠平拓真という男は兄と跡目争いをしそうな奴には見えなかったからだ。

 さらに壬は彼に尋ねた。

「継ぐ気がなくても実際おまえは担ぎ出されてるだろ。なんでそこまでして争ってんだよ?」

「跡目には、大人の利権が絡むからな。篠平は今、里をどう守っていくかで、意見が分かれとる。伏見谷と組むか──、」 

 そこまで言って、拓真は廊下の水場にちらりと目をやり、それから声を落として言った。

月夜つくよにつくか」

「……月夜?!」

 予想もしていなかった言葉に、思わず壬が聞き返した。拓真が慌てて「しっ」と指を立てた。

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