約束は災いのもと(3)

 伊万里が学校から帰ると、壬たちは出かけた後だった。護やあさ美とご飯を食べ、それから彼女は自分の部屋で過ごした。夜遅く三人が帰ってきた声が聞こえたが、伊万里は出迎えにも行かずに部屋に閉じこもっていた。

 どんな顔して壬に会えばいいのか分からない。

 伊万里は聞き耳を立てて部屋の外の様子を窺っていたが、しばらくすると解散したのか静かになった。

 壬には会いたくないが、このまま閉じこもっているのも気まずい。

 伊万里は、そっと部屋を抜け出して庭先の部屋を覗いた。すると、いつものとおり総次郎が縁側で酒を飲んでいた。

「どうした? 先に寝たんじゃなかったのか」

 伊万里に気づいて総次郎が振り向いた。彼女は遠慮がちに部屋の入り口に座った。

「いえ、皆さまがお務めに行ってらっしゃるのに、私だけ先に寝るなんてできません」

「だったら、大広間は? 壬ならそっちにいるんじゃないか?」

「はい……。たぶんそうですね」

「なんだ、喧嘩でもしたのか? 壬の奴、なーんか今日は集中してねえなと思ってたのよ」

 この人はなんでもお見通しだ。伊万里は総次郎に答えた。

「喧嘩にもなっていません。相手にさえされていないので」

「ありゃ、そりゃまた……」

 総次郎が苦笑する。それからヒゲを撫でながら「うーん」と渋い顔をした。

「まあ、それで行くところがなかったとしても他の男のところに来るってのはナシだな」

「ですから、次郎さまのところに来ました」

「ははっ、俺は男のたぐいじゃないってか」

 総次郎がおかしそうに笑った。

「悪いが、父親にはなれねえぞ」

「……次郎さま、女性から二人で話したいと言われたら、どうします?」

「おいおい、いきなり恋の相談かよ。聞く相手が違うだろ」

 総次郎が困った顔で伊万里を見る。伊万里がしゅんとうつむいた。

 彼は「はあ」と大きなため息をついて頭をかいた。

「壬の奴、誰かに告白でもされたのか?」

「やはり、告白だと思いますか??」

「いや、だから俺が尋ねてるの」

「私が阻止しましたので、なんの話だったか分かりません」

 総次郎がぶっと吹き出した。

「邪魔したの? おまえ」

「だって、あの子……好きじゃない」

「珍しくはっきり言うねえ。なんでそんなに嫌ってんの」

 そんなの、理由ははっきりしている。自分の机に嫌がらせの落書きをした、千尋の悪いうわさを流した、確かにそれもある。しかし、一番の理由は、壬にまとわりつくからだ。

 思えば、夏祭りのときから壬の腕にベタベタと絡みついて気に入らなかった。転入早々、壬のことをいろいろ聞かれたときもイラッとした。それでも、それなりに我慢してきたつもりだったが、今日の「二人で話したい」は我慢ならなかった。

 しかも自分のことを「妹」呼ばわりした。

「とにかく嫌いなんです」

「で、そいつが壬と二人で話したいって?」

「私はともかく千尋にまで嫌がらせをしてきた人間です。そんな相手に応じるなど、壬は誰にでも優しすぎます。見ていてイライラします」

「……ふーん。でも、そこは微妙に違うだろ」

 総次郎が言った。

「誰にでも優しいというより、伊万里以外の女の子にも優しい壬を見ていてイライラしてるんじゃないのか?」

「それは………」

 違わない。

 伊万里は黙り込んだ。図星を突かれ、何も言い返すことができない。

 総次郎が煙草に火をつけ、ふうっとくゆらせる。

「ただ、そうだな、壬にも突っ込みたいところだが──。伊万里、おまえもダメだわ」

「ダメですか」

「関係ないって言われなかったか? おまえは壬の彼女でもなんでもないだろ」

「それは、そう、ですけど……」

「さらに言うなら、壬とどうかなる気もないんだろう? なんと言っても、壬に妖刀・ほむらを持たせる気もなく、おまえは九尾さま一筋なんだから」

「………」

「だったら、邪魔するのもナシだな」

 さらに痛いところを突かれ、伊万里はさらに言い返せなくなった。

「……今日の次郎さまは手厳しいです」

「あん?」

 その時、何かが伊万里の顔の前をぶんっとかすめ飛んだ。なんだろうと目で追いかけると、それは小さなてんとう虫だった。

「てんとう虫?」

「それ壬の式だ」

「え?」

「おまえを探しに来たんじゃないのか」

 てんとう虫が伊万里の手の平に止まる。すると、てんとう虫が木の葉に変わった。

「行かないのか?」

「……今日は行きません」

意固地いこじになってもいいことないぞ」

「そんなつもりはありません」

「なら、さっさと寝ろ。駄々っ子相手にかける甘い言葉なんて持ち合わせてねえわ」

 総次郎が突き放すように言った。伊万里はむうっと口を尖らせた。



 次の一週間はあっという間に過ぎた。クラスではお化けの衣装も順に出来上がり、井戸や垣根などの大道具も形になってきて、文化祭に向かってみんなの気持ちが盛り上がっていた。水のたまり石のミサンガも千尋のおかげで、クラス全員に配られた。

 伊万里は壬とあの日以来、まともに口をきいていなかった。次の日の朝、彼女はひとまず謝ろうと思ったが、不機嫌そうにして口をきこうともしてくれない壬に心が折れてしまった。

 思えば最近、壬がときどき分からなくなる。急にむすっと不機嫌になったり、何か悩んでいたり。

(でも、壬は何も話してくれない)

 とても落ち込む一方で、これでは何も分からないと腹も立った。

 そんな伊万里にとって文化祭の準備は、壬と距離をおけるちょうどいい口実だった。壬たちは今週も総次郎と山の見回りを続けていて、放課後は準備の手伝いもそこそこに帰ってしまう。そして、彼らが帰ってくる頃には、伊万里がもう部屋に下がってしまっている。おかげで、伊万里は壬と一緒にいる時間が自然と少なくなった。

 今では伊万里一人でクラスメートとも話せるようになり、壬がいなくても周りのみんながあれこれと助けてくれる。少しずつ壬との距離があいていく気がして寂しかったが、伊万里はあえて気にしないよう自分に言い聞かせた。


 そんな中、大川杏奈は今週ずっと欠席だった。先週からこっち、すっかり孤立してしまっていたこともあり、杏奈の欠席をことさら気にかける生徒もいなかった。ただ、文化祭が目前に迫るにつれ、徐々に伊万里は責任を感じ始めた。

(あの時、私が意地悪したから)

 杏奈のミサンガは、彼女の机の上にポツンと置かれたままになっていた。

 そして金曜日、会場準備も順調に終わり、あとは明日の本番を待つのみとなった。さすがに今日は壬や圭たちもいた。この日は当番のスケジュールなど最終確認をして、早々に解散となった。

「では明日、みなさん頑張りましょう! ミサンガはスタッフの目印にもなるので、必ず身につけてくださいね。では私は、最後に会場の確認をしてから帰ります」

 伊万里の締めの言葉で生徒たちが「明日もよろしくー」と一斉に解散し始める。千尋が伊万里に声をかけた。

「イマ、私や圭ちゃんたちも残るよ?」

「大丈夫です。みんながいなくなってから最後の仕上げをしようかと思っているだけなので」

「姫ちゃん、仕上げって何するつもり?」

 千尋の傍らで圭が不安そうに顔をしかめる。伊万里は「ああ、」と笑って答えた。

「式神を何体か散らしておこうかと思って」

「式神を?」

「はい。中の様子も分かりますし、来た相手を驚かすこともできます」

「なるほどね」

「なので大丈夫です」

 壬が少し離れたところでこちらを見ている。伊万里は壬に向かって言った。

「壬も千尋たちと一緒に帰っていてください」

 壬が黙ったまま頷きかえした。伊万里は三人に頭を下げると、一人で剣道場に向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る