約束は災いのもと(4)

 千尋たちと別れ、伊万里は会場の最終的な確認をしてから式神を会場に放した。

(うん、これで準備万端です)

 ひとり満足に頷いて、彼女は再び教室に戻った。本当は千尋たちが一緒にいても良かったし、待ってもらっても良かった。ただ、気まずいままの壬と一緒に帰りたくなくて逃げただけだ。

 しかし伊万里が教室に戻ると、がらんとした教室に壬がぽつんと立っていた。

「壬?」

 壬はちょうど杏奈の席の前に立っていた。伊万里が声をかけると、彼は慌てた様子で何かを杏奈の机の上に戻した。彼女のミサンガだ。

 伊万里の胸がズキンと痛む。彼女は小さく深呼吸をして気持ちを整えてから彼に言った。

「まだいたんですか?」

「あ、うん。今日は一緒に帰ろうかと思って」

 壬が答えた。しかし、伊万里は素直に喜べなかった。

(今、大川さんのことを考えていたくせに──)

 一緒に帰りたいなどと、いったいどの口が言うのかと彼女は思った。同時に、そんな風にしか思えない自分も嫌になった。きっと壬のことだ。杏奈が学校に来なくなったのは自分のせいだと思っているに違いない。

 でも、彼女が来なくなったのは壬のせいじゃない。

「終わったんなら、帰ろうぜ」

 壬が普段と変わらない調子で言った。しかし、伊万里は立ち止まったまま、ためらいがちに彼を見返した。

「あの、壬。ミサンガを大川さんに渡しに行きませんか」

「え?」

「明日、もしかしたら来てくれるかもしれませんし」

「いいのか? おまえ、怒っているだろ」

「それは、もういいんです」

 この件については自分にも負い目がある。それに、壬が他の女の子のことばかり考え続けるよりましだ。

「彼女の家、壬なら分かりますか」

「うん。分かる」

 壬が心なしかほっとした顔をする。伊万里は複雑な気持ちを抱えながら彼に笑顔で頷き返した。



 壬と伊万里は、御前みさき四つ前のバス停で降りた。伏見谷よりずっと町よりだが、それでも十分な田舎だ。

「千尋から幼稚園から一緒だと聞いてはいましたが、私、彼女はもっと街中に住んでいるのかと思いました」

「あいつ、見た目が派手だからな。気の強さは昔からだけど、以前はもっと地味だった。嫌いなんだろうな、こういう田舎の町が」

「どうして?」

「さあ? でも、変わりたがってた……気がする」

 壬は言った。変わりたいという彼女の気持ちはなんとく分かる。

 先週、伊万里と気まずくなった日、山から戻ると伊万里は出迎えにさえ来なかった。とりあえず謝りたいと思いながら伊万里に向かって覚えたての式神を飛ばすと、総次郎のところにたどり着いた。

 やっぱり総次郎のところに行くのかと腹が立ち、謝りたいという気持ちが一気に冷めた。

 次の日、伊万里が何か言いたそうなのは分かった。しかし、壬はわざと知らん顔をした。そんな子供っぽい反応しかできない自分が嫌だった。

 それから一週間、伊万里とはなんとなく気まずいままだった。

(大川もきっと今の自分が好きじゃないんだろうな)

 壬はそう思った。

 バス停からしばらく歩いて二人は杏奈の家に着いた。いたってどこにでもある普通の家だ。チャイムを鳴らしたが、誰も出てこない。どうやら留守のようだった。

「いないな」

「どうしましょう? 手紙でも書きますか?」

「いや、」

 壬はノートを取り出し一枚破ると、それでミサンガを包んで「大川杏奈さま」と書いて郵便受けに入れた。

「壬の名前は?」

「必要ないだろ。ミサンガを渡したいだけだし。さ、帰ろうぜ」

 壬は言った。彼女の話が何だったのか分からないが、余計な期待は持たせない方がいい。ここに来たのだって彼女のためじゃない。自分が楽になりたくて来ただけだ。その証拠に、たったこれだけで気持ちが少し軽くなっていた。

(圭なら、こんなこともしないんだろうな)

 元来た道を戻りながら壬は思った。確かにこれは、本当の優しさではないのかもしれない。

「壬?」

 伊万里が心配そうに壬を見る。彼は慌てて笑い返した。

「いや、なんでもない。それより伊万里、明日はおまえ何着るの?」

「はい。私は受付なので、それらしく小袖を着ようかと。壬はそのままで良かったんですか?」

「ああ、俺は受付で伊万里の補佐だからな。面倒くさいからいいの」

 一週間ぶりの普通の会話。壬と伊万里に自然と笑顔がこぼれた。

 明日は待ちに待った文化祭だ。

 


 一ノ瀬高校の文化祭は、生徒の家族はもちろん地域の住民や小さい子供たちもやって来る。全学年のクラスでは、それぞれ趣向を凝らした催し物を競い合い、この日の学校は普段とは違った賑わいを見せていた。


 当日、武道館で出し物をするのは壬のクラスだけだった。一階の剣道場がお化け屋敷の会場で、となりの弓道場と二階の柔道場で男女分かれて着替えなどの準備をした。この日のために作った衣装を着て、みんなが次々と派手な化け物に変わっていく。今日は、当番の時間帯ではない人も宣伝も兼ねて校内を回ることにしているので、みんなずっと仮装している状態だ。

 そして、そんな派手な集団の中、千尋は一人だけ清楚な巫女装束で現れた。千尋の巫女姿は伊万里の婚儀の礼以来だ。その姿を見て、川村が感心した口調で言った。

「橘、おまえ本物の巫女みたいだな!」

「いえいえ、本物の巫女なんです」

 すかさず伊万里が訂正する。そして彼女は、満足そうに千尋を見た。

「千尋、相変わらず朝の湖水のよう。ほんと食べてしまいたい……」

「や、食べたいって、なんの告白?? っていうか、イマにはどんな風に私が見えているか知りたいわ……」

 千尋が少し引き気味に言った。

 伊万里は壬に言っていたとおり小袖姿だ。薄紫の花柄の小袖は、学校の制服よりずっと伊万里に似合っていた。

「さあ、みなさん、今日は頑張りましょう!」

 伊万里の号令でお化け屋敷が開店した。


 出だしの客入りは、会場が武道館という離れた場所だったこともあり、わりと少なめだった。しかし、みんなで化け物姿のまま校内を宣伝して回った効果も出てきて、客は少しずつ増え続け、昼を過ぎるごろには行列ができてしまうこともあった。

「順調ですね」

 受付で穢玉けだままみれの御守りを客に渡しながら伊万里が満足そうに言った。会場の中から悲鳴がいくつも聞こえてくる。

(伊万里の奴、ほんと躊躇ちゅうちょなく渡すな)

 彼女が手渡す御守りには、どれも穢玉がぞぞぞっと絡み付いている。

 壬は、小声で彼女に尋ねた。

「なあこれ、本当に大丈夫なんだろうな」

「大丈夫ですよ。次郎さまもそうおっしゃったではないですか」

 再び中から叫び声。壬はびくっと顔を引きつらせる。

「いや、でもビビりすぎてないか? 本当に何も呼んでないだろうな?」

 伊万里がにっこり笑う。

「もちろんです。ただ、」

「ただ?」

「来るものは拒んでいません。中で千尋が祓ってくれているとはいえ、少々けがれを集め過ぎた感があるので、まあ、寄ってきますね……。でも、雑蟲ぞうこたぐいなので心配ありません!」

 笑顔で答える伊万里の背後で悲鳴の混声合唱。

「──俺、ちょっと見てくる!!」

 壬が真っ青になって会場に飛んでいった。

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