兄狐のおきみやげ(3)

 伊万里の問いかけに、壬が淡々とした答えた。

「俺と伊万里が親蜘蛛ん中に飲み込まれて──、最後はジロ兄が始末した」

「どうやって親蜘蛛の中から出てこれたのです? 次郎さまが助けてくれたのですか?」

「いや、自力で」

「自力──?」

 伊万里の表情が少しけわしくなった。

「では、手首のリストバンドは──?」

 伊万里が今、何を聞きたいか、言われなくても分かる。壬は少しためらったが、はっきりと答えた。

「リストバンドは──、邪魔だったから捨てた」

「捨てた……」

「うん。焔を呼ぶために」

 伊万里が複雑な表情で黙り込んだ。夢の中で、焔が言っていたとおりだ。

 ややして、彼女は声を絞り出した。

「焔をいつでも呼び出せるとは聞いていません。黙っていたのですね」

「ごめん。嫌がると思って」

「じゃあ、どうして──。次に振るったら、今度こそ死んでいたかもしれないのに? 壬は、いつもいつも後先考えず無茶ばかり!」

 そこまで言って、伊万里は口をつぐんだ。そして、ぎゅっと唇を噛みしめながらうつむいた。

「全部、私のせい……。あの時、私が油断したから」

「違う。俺が、俺の意思で使ったの」

 伊万里が頭を左右に振る。

「ごめんなさい」

「なんで。伊万里のせいじゃないって言ってるだろ」

「……」

 しかし、伊万里が再び頭を左右に振った。

 こんな時、彼女はとてもかたくなだ。何を言っても、こっちの言葉はなかなか彼女に届かない。

 でも、それでも伝えないと。

 壬は思った。

「伊万里」

 壬は、全てを拒否するようにうつむく伊万里に向かって話しかけた。

「俺、もう焔のあざを隠さないよ」

 きっぱりとした口調で彼は言った。

「今まで、おまえが嫌がるからとか、そんな器じゃないからとか、いろいろ理由をつけてたけど、本当のところ俺自身が逃げていたんだと思う。だから、もう逃げないって、そう決めたんだ」

「逃げてなど、」

 伊万里が、ばっと顔を上げた。

「壬は逃げてなどいません。いつだって、必死に私を守ってくれます。今日だってヘマをした私のために──」

「……俺、ちゃんと守れてる?」

「私、守られてばかりです」

 伊万里が懸命な顔で答える。その様子が可愛らしく、壬は彼女をまた抱きしめた。

「じ、壬っ。な、なに??」

「んー、なんとなく」

「ええ?」

 壬の腕の中、伊万里が顔を真っ赤にさせた。

 するとその時、


「こほんっ!」


 わざとらしい千尋の咳払いがした。すかさず、

「あー、文化祭の後始末あとしまつ大変だったー」

 圭の棒読み調の台詞せりふが廊下に響く。

 壬と伊万里は、弾けるように離れた。

「二人とも目が覚めた?」

 これまた棒読み。壬は廊下を睨んだ。

「おまえら──。いるなら言えよっ」

 制服姿の千尋と圭が現れる。

「いや、だって、」

「ねえ?」

 二人は肩をすくめた。

「千尋、圭!」

 伊万里が真っ赤な顔を必死に取りつくろいながら二人に笑顔を向けた。

「お二人とも、ご心配をおかけしました。学校の方は大丈夫でしたか?」

「まあ、なんとか。木戸がいてくれて助かった。あれこれと口裏を合わせてくれてさ」

 圭が満足そうに親指を立てた。

「大川さんと、モモさんは?」

「杏奈は、お母さんに迎えに来てもらった。まだ混乱している感じだったから、ちょっとしばらく休むかも。モモちゃんは、大した怪我もなくて木戸くんに付き添われて帰ったよ。御守りを会場でなくしちゃってがっかりしてたから、新しいのをあげておいた。もちろん、お祓い済みね」

「そうでしたか……。そういえば、次郎さまは?」

 すると、千尋と圭が互いに目配せをした。千尋が、少し残念そうな顔で言った。

「もう行っちゃったよ」

「え?」

「私たちが帰って来たときには、もういなかった。あさ美おばさんが、行ってしまったって──」

 壬と伊万里は顔を見合わせた。


 その日の夜、伊万里はふらりと庭先の部屋を覗いた。いつもなら、総次郎がここで晩酌をしているはずだ。

 しかし今日は、そこにいたのは総次郎ではなく壬だった。壬は縁側に足を放り出し、両手を後ろについて空に浮かぶ月を見ていた。月始め、満月に近かった月は、今では細い弓のような月になっていた。

 壬は伊万里に気づくと、ぐるんと顔だけを彼女に向けた。

「なんだ、伊万里も来たの? 体は大丈夫なのか?」

「はい。なんだか、やっぱりまだいるような気がして……」

「はは。いつもこうなんだ、ジロ兄は」

 小さく笑いながら、壬は「隣に座れば?」と顔をくいっと動かした。

 伊万里が遠慮がちに隣に座る。

「急にいなくなると寂しいものですね」

「うん、」

 壬は頷いた。ただ、今回はいつも以上に寂しく感じる。

 焔を振るって倒れそうになった時、総次郎は腕を掴み上げ、立たせてくれた。自分に焔を持たせるために総次郎は来たんだと、あの時、はっきり分かった。そして、そのお礼を自分はまだ言っていない。

「ほんと、いいとこ全部持っていくんだよな」

 壬が呟いた。

 すると伊万里がクスクスと笑った。

「まさか張り合っていたんですか?」

「張り合ってたわけじゃないけど……。ずっと負けっぱなしっていうか、」

「壬は勝てません」

 笑いながら伊万里があっさりと言った。壬がムッと口を尖らせた。

「悪かったな。勝てなくて」

「そうではなくて。だって次郎さまは、誰とも勝負をしていませんもの。だから、絶対に勝てません」

 伊万里が自信満々に答える。壬は、なんとも恥ずかしくなった。

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