気持ち、絡まる(3)

 その日の放課後、道着と袴に着替えて千尋が武道館に入ると、木戸が声をかけてきた。

「橘先輩、」

「ああ、木戸くん」

 昼休みのことがあり少し緊張したが、千尋は努めていつも通りに返事をした。すると、木戸が少しためらいがちに口を開いた。

「あの、大橋が今日、そっちに行きませんでしたか?」

「どうして?」

 内心どきりとしつつ、千尋はそれに直接答えなかった。木戸がさらにためらった様子で言葉を続けた。

「ちょっと大橋の様子がおかしいっていうか」

「モモちゃんが?」

「はい。最近、妙に落ち着きがなくてイライラしているし、今日も昼休み一人でどこかに行ってしまったので、もしかしたら、そっちに行ったのかなあって思って」

「そう……なんだ」

 木戸はいつもと変わらない。その彼が、モモがおかしいと正反対のことを言っている。

(圭ちゃんには悪いけど、私は木戸くんだ)

 千尋は思った。

 そして彼女は、少し気持ちを整えて彼をまっすぐ見た。

「気を悪くしないでね。私も、モモちゃんの様子が少し気になって……」

 昼休みのことには触れないよう気をつけながら千尋は言った。木戸が少し前のめり気味に千尋に聞き返す。

「やっぱり、おかしいですか?」

「いや、分かんないんだけど、ちょっと気になって。ただ、私だけみたいで」

 あやかし三人を差し置いて、人間の自分だけが「変だ」と言っても説得力がない。

 自分で言いながら千尋は思った。

 すると、木戸が言った。

「それ、圭先輩たちには言ったんですか?」

「ううん。私の気のせいかもしれないし。なに、信じてくれるの?」

「そりゃ、俺は見えないですから。橘先輩のことを信じるしかないです。だって、わらし様が言っていたじゃないですか。繭玉まゆだまの気を感じて藁にもすがる思いでって。もともと、わらし様は橘先輩に助けを求めたんですよ」

 木戸が笑った。千尋はすっと自分の気持ちをすくいとってもらえたような気がした。


 その時、


「千尋、なに話してるの?」

 ふいに圭の声がした。ぱっと声のした方を見ると、圭が立っていた。少し離れたところには大橋モモ。

 圭の腕や、服に薄黒い汚れがベタベタと付いている。千尋の胸がチリッと焼ける音がした。

「圭ちゃん、どうしているの?」

「いたら悪い?」

 圭が苛立った目で千尋と木戸を見た。そして彼は、そのまま何も言わずに千尋のもとへ歩み寄ると、彼女の手を引っ張って武道館の外へ連れ出した。

「痛いっ、圭ちゃん離して!」

 武道館横の人気ひとけのいないところまで来て、圭がぱっと手を離す。

 そして彼は腹立たしげに千尋を睨んだ。

「木戸と何を話してたの?」

「何って、モモちゃんと正反対の話。モモちゃんの様子が少しおかしいって木戸くんが言うから……」

「木戸が?」

 圭はあからさまに不快な顔をした。

 モモが言っていたとおりだ。

「まさか、あいつに昼休みのこと話したのか?」

「話してない。それより、その汚れ……。モモちゃんに抱きつかれでもしたの?」

「汚れって、なに?」

 圭が怪訝な顔で聞き返す。

 千尋は、能天気に薄黒い汚れをあちこちに付けている圭に無性に腹が立ってきた。

 刹那、彼女は大きく手を振りかざすと、乱暴に圭の体を叩き払った。

「いたっ! いきなり、なんだよ?!」

「どんだけ触らせてるのよ!」

 まるで、圭にマーキングをされているかのようだ。普段の圭なら、こんな無防備に女の子に触らせたりしない。

「こんなに付けられて──、バカじゃないの?!」

 ここまで腹立たしい気持ちは、伊万里が伏宮家に輿入れした時だって感じたことがない。

 圭の体を払いながら、千尋は怒りを通り越して悲しくさえなってきた。彼女は払う手をぴたりと止めると、彼の腕をぎゅっと握った。

「ねえ……、圭ちゃんは私が好きなの?」

「え?」

 突然の問いかけに圭が言葉を詰まらせた。千尋が顔を上げ、そんな圭を真っすぐ見つめた。

 圭の気持ちが分からないから。だから、こんなに不安になる。

 気持ちを知りたい。教えて欲しい──。

 突然、彼女はゆっくりと静かに目を閉じた。


「……え?」

 

 圭はたじろいだ。一瞬、頭が真っ白になる。

 次に、何かの冗談かと思い、思わず周囲を見回した。

 あまりに大胆な彼女の行動に、さすがの圭も心臓がバクバクと鳴った。

 そもそも、さっきまで言い争っていたはずなのに、何がどうしてこんな展開になる??

 当然、無視するなんてできない。かと言って、

(このままキスするの? 俺、)

 自分の中で、なんの答えも出ていないのに?

 千尋が何を考えているのか分からないのに?

 しかし、目の前の千尋は微動だにしない。

 状況は待ったなし──。

 圭はごくりと息を飲み、それから、屈んでゆっくりと顔を近づけた。


 そして──、


 彼女の額に優しくキスをした。

 今、圭ができる精一杯の返事だった。


 ゆっくりと目を開けた千尋が失望した表情を見せる。そして彼女は、肩を震わせ俯いた。

「……き」

「え?」

「嘘つき!!」

 千尋が怒りと悲しみを込めた目を圭に向けた。

「私のこと、好きだって、ずっと好きだって言ったくせに──!!」

「そんなつもりじゃ──。でも、千尋は人間で……」

 圭が慌てて言った。

「だから? 人間だから、嫌になった?」

「そうじゃない。やっぱり俺らとは違うから、千尋が無理だって、迷惑だって、思うと思う」

「なにそれ……」

 信じられないと、千尋が頭を左右に振った。

「どうして勝手に私の気ちを片づけるの? 圭ちゃんが私より先に私の結論を出さないでよ!」

 くだらない理屈をこねて自己完結な話をする圭に苛々する。

 千尋は強い口調で彼を責め立てた。

「圭ちゃんは、私に一緒にいる理由を求めてくるの? 理由なんて、そんなのあるわけないじゃない。木戸くんは、誰かと繋がるとき、理由のない繋がりが一番強いって、そう言ってくれたよ。圭ちゃんは違うの?」

「………比べるなよ」

 刹那、圭が震える声を絞り出した。

「いちいち、あいつと……人間と比べるなよっ!」

 千尋がびくっと青ざめる。言い過ぎた、そう思った。

 圭がひどく取り乱した様子でうつむいた。

(だめだ、傷つけた。謝らないと)

 しかし、そんな彼を気遣う余裕は、今の千尋にはなかった。

 もうめちゃくちゃだ。何を確かめたかったのか、何を伝えたかったのか、分からない。

「違うよね。無理だって、迷惑だって、そう思っているのは圭ちゃん」

 千尋は言った。

 今、圭はどんな顔をしているだろう?

 でも、見る気も失せた。

 千尋は、うつむいたままの圭に背を向けた。

「もう、いい。もう無理」

 言って彼女は、圭を残して走り去った。

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