気持ち、絡まる(2)

「おい圭、一年の女子が来ているぞ」

 昼休み、ちょうど伊万里が「モモさんのところへ行ってくる」と圭たちに言いにきたところだった。その場にいた圭をはじめ、千尋、壬、伊万里が教室の出入口を見る。すると、そこに大橋モモが少し緊張した様子で立っていた。

「あら、モモさん。ちょうど良いところに──」

「俺が行くよ」

 伊万里より先に圭がすっと動いた。伊万里が圭を見送りながら、ちらりと千尋を見る。千尋は、ほんの一瞬だけムッとした顔をしたが、伊万里の視線に気付いてさっと元の顔に戻した。


 圭が奥から出てくるとモモは表情を緩めた。

「モモちゃん、どうしたの? 今日、木戸は一緒じゃないの?」

「いつも一緒ってわけじゃないです。それより、」

 言ってモモはずいっと圭に詰め寄った。

「また、女の子の声がして」

「また?」

「私、怖くって──!」

「モモちゃん、落ち着いて」

 圭が少しかがんで目線をモモの高さに合わせた。

「同じ声だった?」

「はい」

「言葉は聞き取れたかな?」

「ええと……、泣いているようで」

「泣いていた?」

 あの風格さえ感じた座敷わらしが泣くなんてことがあるだろうか。

(泣いているように聞こえた可能性もあるかな……)

 すると、モモが圭の腕をぎゅっと握った。

「橘先輩は大丈夫だって言っていたけど……」

「そっか、怖いよね」

 何もない女の子とはいえ、むやみに触られるのは好きじゃない。圭はモモを気遣いながらも、さりげなく彼女の手をほどいた。

 そして圭はモモに言った。

「もう一度、モモちゃんの家に行ってもいいかな?」

 事態がいまいち分からないが、ちょうど行きたいと思っていたところである。どちらにせよ好都合だ。

 モモがほっとした顔で頷く。

「それは、ぜひ」

 そして彼女はこそりと付け加えた。

「あの、できれば圭先輩だけで。あと木戸くんには内緒で」

「え?」

 モモの意外なお願いに圭は驚いた。そういう身構えはまったくしていなかった。これでは鬱陶うっとうしく圭に言い寄ってくる女子と変わらない。

 にわかに返事をためらう圭を見て、モモが慌てて言った。

「ごめんなさい。変な意味じゃなくて。ただ……、木戸くんが最近おかしいから」

「木戸が? でも、」

 先週まったく変わった様子はなかった、圭がそう言いかけた時、モモの言葉が彼の言葉を遮った。

「橘先輩と木戸くん、何かありました?」

「……千尋と木戸がどうしたって?」

 予想さえしていない言葉。彼女が何を言おうとしているのか、何を言いたいのか分からない。思わず彼は顔をしかめた。

 モモが戸惑い気味に目をあちこちへ泳がせる。

「あの、部活の始まる前に二人で話していることが多くなって……。二人ともすごく楽しそうだからいいんですけど、なんか以前より木戸くんと話しづらくなったっていうか、」

 そこまで言って、彼女は慌てて頭を下げた。 

「ごっ、ごめんなさい! こんなこと、圭先輩に言っても仕方ないんですけど」

「や、大丈夫。モモちゃんも、あんまり気にしなくていいと思うよ」

「そうですかね……」

「うん。それより、いつがいいかな? 今日と明日はちょっと無理」

 本当は今日にでも行きたい。しかし、圭はとっさに時間を取った方がいいと思った。できるだけ、こちらのペースで話を進めたい。

「水曜日なら私も大丈夫です」

「分かった。あと──、」

 圭はさらに付け加えた。

「俺だけで行くと、いろいろ面倒だから壬も連れて行くよ。それでもいい?」

 さすがに女の子の家に一人で行くのはまずい。それに、この申し出に対する反応いかんで彼女の思惑も多少は見えてくる。すると、モモはすんなり「いいですよ」と即答した。

「じゃあ、そういうことで」

 モモは満足そうに笑った。しかし去り際、彼女は圭にすっと顔を寄せ、耳元で囁いた。

「放課後、部活を見に来てください。木戸くん、きっと私の様子がおかしいとかなんとかって千尋先輩に相談を持ちかけると思います」

 そして彼女は一礼すると、踵を返して去っていった。


 圭が千尋たちのところへ戻ってくると、みんな「どうだった?」という顔で圭を見た。

「わらし様の泣き声が聞こえたって、」

「泣き声……、わらし様がですか?」

 伊万里が怪訝な顔をする。

 一方、千尋は圭の腕に薄黒い汚れが付いているのに気がついた。

(なんだろう?)

 さっきまではなかった。汚れている部分は、ちょうどモモが握ったあたりだ。

 しかし、千尋はすぐに口には出さなかった。伊万里や壬、そして圭自身の様子をうかがう。見えているのが自分だけなのかどうか、それを見極めるためだ。

 誰も汚れについて口にするどころか、気に留める素振りもない。

(やっぱり、みんな見えていない)

 千尋はそう確信しながら、それでも汚れをそのままにはできず、さりげなく圭の腕を払った。

「千尋?」

「ああ、ごめん。ほこりが付いてた」

 怪訝な顔をする圭に適当に誤魔化す。そして彼女は、すぐさま話題を変えた。

「で、わらし様の泣き声が聞こえるからって、どうするの?」

「水曜日に俺と壬で家に行くことになった。木戸には内緒で」

 圭が答えた。思わず千尋は「どうして?」と納得のいかない顔をした。

「男子二人で行くっていうのは──、まあ、この際いいよ。でも、どうして木戸くんには内緒なの?」

「モモちゃんが、木戸の様子がおかしいって」

 言って圭は千尋を見た。

「千尋、部活で同じ武道館だろ。木戸と話したりしないの?」

 千尋にカマをかけている、圭自身そう思った。素直に聞けばいいだけなのに、こんな言い方、一度だってしたことがない。

 千尋が少し考え込んだあと、口を開いた。

「部活前にちょっとは話すようになったけど、雑談程度だよ。でも、いつもと変わらなかったけどな」

「いつもって──、言うほど木戸のこと知らないでしょ」

 突っかかるような圭の言い方が耳に障る。千尋はムッと言い返した。

「そうだけど、木戸くんってすごくしっかりしてて言うこともブレないし、話していても信頼できるの」

「へえ、ちょっとじゃなく、それなりに話しているみたいじゃん」

「さっきから、なに? モモちゃんの方がよっぽど怪しい。今だって、圭ちゃんの腕に──!」


「そこまで!」


 壬が二人の間に手の平を振り下ろした。

痴話ちわげんかは後でやれ、面倒くせえ」

 圭と千尋がしぶしぶ黙る。その様子を確認しながら、壬が言った。

「とにかく、水曜日に俺と圭とで大橋の家に行ってくる。木戸には言わない。それでいいな?」

「木戸さんに内緒にする必要がありますか? 確かにモモさんの問題ですが、そもそも、木戸さん経由で相談された話です」

 伊万里が反論する。しかし、壬もそれに反論した。

「だとしても、大橋の言い分も気になる。木戸の様子は部活で顔を合わす千尋がそれとなく確認するとして、とりあえず今は大橋のオーダーに従うしかないだろ。それに、千尋の言うとおり、木戸に変わりがないのならこの程度であいつが怒ることは絶対にない」

 壬がきっぱりと言った。それで伊万里もそれ以上は何も言わずに引き下がった。壬が「よしっ」と声を上げる。

「じゃあ決まりな。はい、女子は解散。次、体育だろ」

 壬が最後に話を締めると、手をひらひらと振って伊万里と千尋を追い立てた。そして彼は、ばつの悪そうにしている圭に向かって、気にすんなとばかりに小さくウインクした。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る