4)気持ち、絡まる

気持ち、絡まる(1)

 次の日の午後、圭と壬が千尋の家にやってきた。今日も拝殿横の広間で和真の結界術教室だ。和真は、圭がこの一週間で壁をすんなり作れるようになったことにまず驚いた。

「今日はもう少しいろいろ教えられそうだね」

 それを聞いた壬がげんなりした顔をする。

「ええー? 俺、壁が出来れば十分なんだけど……」

 和真が苦笑した。

「まあ、得手不得手があるからね。ただ、壬くんのレベルに合わせていたら圭くんが可愛そうだから、こういう時は上のレベルに合わせるよ」

 口調は優しいが、甘えはさせない。それが和真だ。


 一方、千尋は伊万里と水のたまり石を集めに川添かわぞえに行くことにした。なぜなら、伊万里が圭を見た途端、ぱあっと顔を赤らめ、彼と千尋を交互に見て「きゃっ」と顔を両手で覆ったからだ。伊万里の不審な挙動に顔をしかめる男子二人を見て、千尋は真っ青になった。

(だめだ!イマをこのままにしちゃ!)

 とにかく自分といる時だけでも彼女を圭から離さないといけない。

 千尋は伊万里にうっかり相談してしまったことを激しく後悔した。

 

 千尋の突然の「川添に行こう」という提案に伊万里は少し不満そうだった。しかし、千尋は「水のあやつり方もこっそり練習したい」と強引に了解させた。

 今日は圭が阿丸を連れて来てくれている。二人は阿丸に乗って川添かわぞえへ出かけた。

 十月にもなると山は一気に秋の気配に包まれる。川辺は夏の青々とした風景からは一変し、色づき始めた木々に彩られていた。

「もう中に入って探すのは無理なので川辺で探しましょう」

 川はいくら浅瀬と言っても裸足で入るには冷たすぎる。伊万里が岸辺にしゃがんで両手で水をすくい、くるくると水の玉を作り始めた。

 すると、隣に座った千尋がいきなり「あ、」と声を上げた。

「これじゃない?」

 言うなり、千尋は川のせせらぎの中に手を突っ込んで、小さな石をひょいとつまみ上げた。

「ほら見つけた」

「みっ、見えるのですか?」

 伊万里が驚いた顔で千尋を見た。千尋がなんでもないという風に頷いた。

「なんか、だんだん目が良くなっちゃって、」

「いや、そういう問題ではないのでは……?」

「そう?」

 千尋が首を傾げながら見つけた水のたまり石を指でぷにぷにと潰した。

「なんだろう。柔らかいな、この石」

「それは、たまり石になりかけている川の清浄な気そのものですよ。普通は水の気に自分の気を同調させて、それを収れんすることで石にします」

「なるほど。じゃあ、これって生のたまり石ってこと?すごいじゃん」

「千尋がです」

 伊万里が苦笑した。千尋は得意げにはにかみながら舌をペロッと出した。

 しかし、

(まさか、これも私しか見えていないの?)

 彼女は動揺する心の内を隠すのに必死だった。

 最近、自分は明らかに見えすぎている。ただ、自分にとっては今見える世界が普通だから、何が他の人より余計に見えているのかが分からない。

 分かるのは見えすぎているということだけ。

「千尋、まだ分かりますか?」

 水面を見つめながら伊万里がわくわくした様子で言った。千尋の瞳に、川底でゆらゆらと揺れる光の溜まりがいくつか映る。しかし、

「……ごめん、これ以上は分かんないや。それより、水のあやつり方を教えてよ」

 千尋はわざと見えないふりをした。




 土日、圭たちは和真にさらに具体的な結界の張り方を教えてもらった。「基本の壁」が出来るようになったことはかなり大きい。和真の説明を聞いて、少し練習すると圭は結界らしいものを張れるようになった。壬は隣で相変わらずウンウンと唸っている。

 いかに相手の無意識に訴えるか。結界はどこか対話と似ている。結界の仕組みを覚えるうちに、圭は妖縛の絵師、伊東屋いとうや右玄うげんに興味がわいた。


 今日からまた学校だ。朝、圭はいつものように台所のテーブルに着いた。しばらくすると壬もやって来た。伊万里がいつものように圭と壬の朝食をテーブルに並べる。そして、台所が一段落つくと伊万里も食べ始めた。

 しかし、なぜか彼女は落ち着きがない。圭の顔をちらちらと見ては、一人で「ふふふ」とはにかんでいる。

 思えば土曜日からなんか変だ。

 圭は訳の分からない居心地の悪さを感じながら、妖縛の絵師について彼女に尋ねた。

「姫ちゃん、伊東屋右玄の逸話集を読んでいたよね」

「ああっ、はい」

 伊万里がにやけた顔を慌てて真顔に戻し圭に頷き返した。

「子どもの頃の逸話ということもありますが、どれもこれも、とても親しみの持てるお話です。あの話が本当なら、わらし様を閉じ込めたなど、何かの間違いかと」

 壬がパンをかじりながら伊万里に言った。

「そういや、あやかしを助けるために術を使っていたって言ってもんな」

「そうです。きっと大正という時代がそうさせたのだと思います」

 圭が首を傾げる。

「姫ちゃん、それはどういうこと?」

「圭、大正時代とは、どのような時代だと思いますか?」

 彼女が圭の質問には答えず逆質問した。圭がうーんと考えながら答えた。

「近代化がどんどん進んで、現代に近づいてきた時代ではあるよね」

「そうです。人間が科学という知識を手に入れて大きな力を持ち始めた時代。……私自身、学校に通い始めて感じたことなのですが、今の人間は本当に目に見えないものを信じておりません。目に見えなくても信じているのはスマホの電波ぐらいです」

「あはは、本当に。で、それが?」

「目に見えないものは拒絶されやすく、排除されやすい」

 伊万里が口の端に皮肉げな笑みを浮かべた。そして、彼女は言葉を続けた。

「今まで見えなくても『いる』とされていたものが、見えないから『いない』ものとされるようになった。右玄は、そんな人間の変化からあやかしを守ろうとしたのではないでしょうか。人間から排除されそうになったあやかしを絵に閉じ込め、人間の目を誤魔化して運び出し、そして放す──。彼の逸話で最も多い話です」

「最後は、あやかしを放すの?」

「はい。右玄がひと声かけるとあやかしたちは絵から飛び出したと、」

「じゃあ、わらし様だけなんで閉じ込められているんだ?」

 壬が納得いかない様子で言った。圭もそれに頷いた。伊万里はうーんと頭をひねった。

「だから、そこが分からないのです。わらし様にもう一度お話を聞くことができればいいのですが……」

「……モモちゃんか、」

 モモ本人から「また遊びに来て」と言われたのだから、行こうと思えば行ける。

 圭は少し考えた後、伊万里と壬に言った。

「俺、今週にでも遊びに行けないか聞いてみるよ。うまくいけば、わらし様と話せるかもしれないし」

「私が聞きます。圭が聞きに行ったら、どんな女の子も舞い上がりそうです」

「大げさだな。心配しなくても、モモちゃんは木戸でしょ?」

 圭が言い返す。伊万里は、さすが人をよく見ていると感心しながら、「それでも」と笑った。

「周囲の子が舞い上がりますので」

 それにきっと千尋がいい顔をしない。圭はモモのことで千尋がモヤモヤしているなどと想像もしていないのだろう。

「ですから私が行きます」

「分かったよ」

 圭が少し納得しない様子で引き下がった。


 しかし、

 その日、そんなことをしなくても、モモの方から圭に会いにやって来た。

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