気持ち、絡まる(4)

 くちゃくちゃの気持ちのまま家に帰る気にもなれなくて、圭はあちこちで時間を潰し、夜遅く帰って来た。

 玄関を入ると、心配顔の伊万里がすぐに出てきた。

「連絡もなく、こんなに遅くなるなんて。どうされました?」

「ごめん、山にも行かなくて──」

「それは、壬と私で行きました。ご飯は?」

「食べてきたからいい」

 圭は口早に答えて靴を脱いだ。

 

 その時、奥からあさ美が出てきた。

「遅かったわね、圭」

 彼女は困り顔で圭を出迎えた。今日は親の小言なんて聞きたくない。圭はすかさず謝った。

「ごめん、母さん。連絡もせずに。ご飯もいいから」

 すると、あさ美はそれを軽く受け流した。

「まあ、いいわ。お父さんの書斎に来てちょうだい」

「今から?」

「そうよ」

 言ってあさ美は伊万里を見た。

「イマちゃん、壬も呼んで来て。そして、あなたも一緒にいらっしゃい」

「は、はい」

 戸惑い気味に伊万里が頷いた。そして彼女は、慌てた様子で壬を呼びに行く。

「母さん、何かあったの?」

 圭が尋ねると、あさ美はにこっと笑った。

「ちょっとね。大事な話」


 書斎は父親である護のくつろぎ場所だ。八畳ほどの小ぢんまりとした和室には古い棚に本がぎっしりと並べられている。部屋の窓際近くに置かれた文机ふみづくえ脇息きょうそくは、護の愛着の品だ。

 護はちょうど脇息にもたれかかり古そうな冊子を読んでいたところで、彼は圭が部屋に入ってくるとそれを文机の隅に置いた。

「圭、やっと帰って来たか」

「父さん、何かあった?」

「ああ、ちょっとな。いいから座れ」

 護があさ美と同じことを言った。ややして、壬と伊万里もやって来た。

「壬もこっちに座れ。イマちゃんも、夜遅くに悪いね」

 護に促され、圭たちは三人並んで座った。最後にあさ美が入ってきて、彼女は部屋の隅に座った。


「実は今日、次郎から連絡があってな」

 護が切り出した。伊万里が総次郎の名に反応する。

「次郎さまから?」

 護が頷く。そして彼は言葉を続けた。

「まだ、正式に何か届いたわけではないが、篠平しのひらの当主が亡くなった」

「篠平って、あのくそジジイの里か」

 壬が嫌なことを思い出したとばかりに呟いた。護が軽く笑った。

「そう、婚儀の礼で大概なことをしてくれたがな。その篠平の当主が先日亡くなり、葬儀がひっそりと終わった」

 圭と壬は顔を見合わせた。それと、俺たちが呼ばれた理由がすぐに結びつかない。護はそんな息子たちを真っすぐ見据え、さらに話を続けた。

「篠平には二人の息子がいる。順当にいけば兄が跡目となるが、どうやら揉めているらしい。そこで、次郎を通じて次男坊側から打診があった。伏宮本家を客人として招きたいと」

 伊万里がふと眉根を寄せ、ため息のような笑いを漏らした。

「跡目争いに伏見谷を巻き込もうということでございますね。笑止の至り──」

 そして彼女は両手をついて頭を軽く下げた。

「おそれながら義父とうさまに申し上げます。跡目は、然るべき者が然るべき時に然るべくしてなるもの。この谷の力をもって事を成そうなどと、浅知恵にもほどがございます。わざわざ断りを入れる価値もなし。捨て置けばよろしいかと。なにゆえ次郎さまは、そのような申し出をお聞き入れになったのでございます?」

「ん、その通り。さすがは姫」

 護が小さく頷いた。

「本来なら捨て置けばいい申し出だ。ただ、状況が変わった。九尾さまの結界が日々弱まる中、姫が谷にお越しになり、焔の封が解けた。できれば、谷と対立するような跡目は遠慮いただきたいと思っている」

「……申し出を受けると?」

 護は思惑を含んだ目をちらりと伊万里に向け、それから壬を見た。

「壬、おまえが行ってくれるか。イマちゃんと一緒に」

「俺? えっと、でも、だって──」

 突然話を振られ、壬が驚いた様子で聞き返した。そして、ちらりと横目で圭を見る。これは圭の役目だろうと言いたげな顔だった。

 隣で伊万里も戸惑っている。

 護が構わず続けた。

「出発は明日の夜、手はずは整えておく。向こうに次郎と通じて信頼できる者がいる。その者を頼れ、あとは信じるな」

「ちょっと待てよ。本当に俺が行くのか?」

 壬が聞き返す。護がじっと壬を見返し、低い声で呪文を唱えるように言った。

「そうだ。おまえは、ただ行けばいい」

「ただ?」

「ああ、カツオでも食ってこい」

 壬が少し考え込む。ややして、彼は何かを理解したように口をきゅっと結んだ。


 一方、圭は膝の上で両手をぎゅっと握り締め、ただじっと護と壬のやり取りを聞いていた。

 篠平の「伏宮本家を招きたい」という申し出に対し、壬が行く。つまりは、伏宮本家当主の名代みょうだいは壬であり、谷の跡を継ぐのも彼だと言われたようなものだった。

 ここに自分が呼ばれたのは、暗にそのことを伝えるため──。圭はそう思った。

 当然だ。妖刀・ほむらを振るい、二代目を継ぐのは壬なのだ。総次郎は「谷を継ぐのはおまえだ」と言ってくれたが、誰がどう見たって壬がふさわしいに決まっている。


「さあ、これで話はしまいだ。悪かったな」

 護がいつものゆったりした口調で言った。壬と伊万里が立ち上がり、圭もそろりと立ち上がった。

 その時、

「圭、おまえはもう少し残れ。話がある」

 護が彼を引き止めた。

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