5)ないものねだり
ないものねだり(1)
護に促され、圭は再び座りなおした。
今から何の話だろう? 谷は壬に継がせるからと言われるのだろうか?
圭は心なし緊張した。
すると、護が今までの難しい顔とはうって変わって、いつもの穏やかな笑みを見せた。
「なんでも、わらし様を見つけたそうだな。絵の中に閉じ込められているとか」
「どうして知っているの?」
「和真くんから聞いて」
橘家と伏宮家はほぼ親戚みたいな付き合いだ。こういう田舎っぽい繋がりを圭は煩わしく感じることもあった。
護が先ほど読んでいた冊子を圭に差し出した。それはボロボロの古書だった。
「昔からうちで保管されていたものだ」
「これは……?」
「天才結界術師、
護が言った。圭が驚いた顔で父親を見返した。
「日記って、どうしてそんなものが」
「まあ、最後のページを見てみろ。これは彼が死ぬ直前まで書いていた日記だ」
護に言われ、圭は最後のページをめくった。
(死ぬ直前ってことは、晩年の日記ってことか……?)
文字も楷書で書かれてある。先日、和真に見せてもらった資料より読みやすくて分かりやすい。そして、そこに書かれた内容を見て、彼ははっと顔を上げた。
「父さん、伊東屋右玄ってまさか──」
「参考になるだろうから、読んでみるといい。あまり難しく考えるな。物事っていうのは、案外、単純明快なもんだ」
護が笑った。
次の日、壬が圭の部屋のドアを叩いた。
「おい、圭。遅れるぞ! っていうか、俺も遅れそうだ!」
圭のノックをすっかり目覚まし代わりにしてる壬は寝過ごしたらしい。
階段下から呼びかける伊万里の声で飛び起きた壬は、慌てて着替えたせいで、ポロシャツのボタンも外れたままで髪もぼさぼさだ。
部屋の中から圭の返事がない。それで壬がもう一度ドアを叩こうとした時、ドアがかちゃりと開いた。
「ごめん、寝過ごした」
長い髪をかき上げ、眠たそうな圭が出てきた。まだTシャツにハーフパンツの部屋着のままだ。
「早くしろよ、でないと朝食を食べる時間がなくなるぞ」
「うーん……」
圭が面倒くさそうに頭を掻く。そして、彼はぽつりと言った。
「俺、学校休む」
「へ?」
「ちょっと読みたいものがある」
そう言うと、圭はぱたんとドアを閉めた。
「ちょっ、今日は小テストだぞ? 休むってなに??」
壬が焦りながらドアに向かって呼び掛ける。しかし何も返ってこない。
「壬! 圭! もう遅れますよ!!」
階段下でお母さん口調の伊万里の声が再び響いた。
その日、千尋も学校を休んだ。
到着したバスに乗り込みながら伊万里が心配そうに言った。
「昨日、何かあったのでしょうか」
「あったんじゃね?」
まいったな、という風に壬がため息をつく。
「たぶん喧嘩したんだろうけど、ここまでの喧嘩は覚えがないな……」
「もともと、圭も千尋も喧嘩をしませんもの。私、今日は千尋の家に寄って帰ります。今夜には……行かないといけませんし、」
伊万里が複雑な顔をした。
「わらし様のこと、少々強引ですが今日にでも決着をつけてしまいませんか? 和真さまに頼めばなんとかなるのでは……?」
すると壬が「ダメだ」と首を左右に振った。
「圭が自分でやりたいって言っていただろ。カズさんを頼るにしろ、一人で何とかするにしろ、あいつが決める」
「でも……」
「心配性とお節介はおまえの悪い癖だ」
壬がぴしゃりと言った。伊万里は不服そうにムウッと頬を膨らませた。
圭と千尋が突然一緒に休んだことで、教室では「二人で遊びに行ったんじゃないか」と妙な憶測が飛び交った。壬と伊万里はそれを否定しながら、これで自分たちまで休んでしまったらどんな噂が立つのかと、少し心配になった。
放課後、木戸とモモが何か知っているのではないかと思い、壬たちは剣道場を訪ねた。
剣道場に着くと、失恋から復帰した五里がいて、彼は壬と伊万里の姿を見て青ざめた。
「貴様っ、このブロークンハートの俺を笑いに来たのか!」
「違うわっ。ってか、よくもまあ、くだらねえことを言いふらしてくれたな。おかげでこっちは大変な目にあったぞ」
顔を合わせた途端にいがみ合う二人を伊万里がなだめた。
「やめてください。それより、五里主将」
「なんだ、姫。俺に鞍替えか?」
伊万里に声をかけられ、五里がピンと背筋を伸ばす。しかし彼女はあっさり「違います」と否定した。
「木戸さんかモモさんは──」
すると、五里と壬のやり取りを聞きつけた木戸が二人のもとへ駆け寄って来た。
「壬先輩、今日は橘先輩は?」
「ちょっと休み。ちなみに圭も」
「そう……ですか」
「木戸、おまえ何か知ってる?」
「ええと、知っているというほどではないですが……」
言って彼は五里を振り返った。
「主将、すいません。ちょっと時間をもらいます」
「いや、おまえ、何を勝手なことを──!」
「ここではなんですから、外にでましょう」
木戸が五里をその場に残し、武道館の外へ向かって歩き出す。壬と伊万里は、すぐさま彼の後に続いた。
モモは「様子が変だ」などと言っていたが、木戸はいたって普段と変わらない。
「今日、大橋は?」
壬が尋ねた。木戸が止まって二人を見返した。
「休みです。メッセを送っているんですが、何も返って来なくて……。大橋も心配なんですが、圭先輩と橘先輩も昨日あれからどうなったのか気になって」
「あれからって?」
三人は武道館横の人気のない場所で話をすることにした。
「昨日、橘先輩に大橋のことを相談していたら圭先輩が来て、怒った様子で橘先輩を連れて行ってしまって──」
「圭が?」
「はい。『何を話しているんだ』って、あっという間に行ってしまったので、圭先輩とは何も話せずじまいで。結局、橘先輩もそのあと戻ってこなくて……」
「あー……」
それだ。
壬と伊万里は互いに顔を見合わせた。
伊万里が意外そうに呟く。
「まさか、圭がその程度で木戸さんにヤキモ──、んあっ」
とっさに壬が伊万里の口を押さえる。そして彼は軽く咳ばらいをして、怪訝な顔をしている木戸に笑った。
「気分の悪い思いをさせて悪かったな。あいつら喧嘩中で。それで、大橋の相談を千尋にしていたっていうのは?」
「大橋が最近おかしいので、それで橘先輩に」
二人が「え?」と眉根を寄せる。
モモが言っていたことと正反対だ。壬が木戸に尋ねた。
「大橋の様子、おかしいのか?」
「……まあ、そうですね。実際のところ、あいつは中学のころからずっと息苦しそうですけど。ここ数日は、作り笑いさえしなくなって」
「作り笑い?」
「熟れた桃みたいに真ん丸な顔で笑うでしょ。あれ、そうです」
木戸が言った。
「あいつは、桃の花のようにふわっと笑うやつなんです」
そんなこと、知らなかった。いつも元気に真ん丸な顔で笑っている大橋モモしか知らない。
壬と伊万里は、再び顔を見合わせた。
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