鬼の実行委員(5)

 次の休み時間から、根も葉もない伊万里の黒い噂と千尋の怪奇話でクラスが持ちきりになっていた。

「姫ちゃん、呪詛じゅそ返しってどうやんの?」

 今日最後の休み時間、千尋の傍らで圭がマジ切れの口調で呟いた。伊万里が「簡単です」と答える。

「ちょうどいい機会です。やってみますか? というより、そもそも対象が分かったのですから、そんなまどろっこしいことをしなくても──」

「おおお、おい。二人とも落ち着け」

 壬が慌てて止める。

「ここで何かしてみろ。それこそ千尋のせいにされるぞ」

「壬ちゃんの言うとおりよ。私、気にしてないし」

 千尋が小さく笑う。圭と伊万里が、納得できない顔で彼女を見た。

「それにしても、どうして『糸』のことを言ってくれなかったのです?」

「それは……」

 千尋が口ごもった。

「だって、イマも見えていないようだったし。変じゃない、そんなの」

「見え方は人それぞれだと言ったでしょう?」

 伊万里が言った。

「私が見えているものが絶対だなんて、言った覚えはありません」

「そうだけど」

「だったら──」

「ちょっと見間違いかなって、そう思っただけ!」

 千尋が苛立った口調で答えた。圭が「これ以上は……」と無言で伊万里に目配せをし、伊万里も申し訳なさそうに頷いた。


 そして今日の最後のホームルームは、壬が言ったとおり文化祭の話し合いだった。

「今日は、月末の文化祭の実行委員と出し物を決めるぞ!」

 草野が言うと、教室のそこかしこで「やった!」という声が上がり、みながざわざわと前後左右の人と喋りだした。

「静かにしろ。まずは実行委員を決めないといけないが、出し物も何にするかなあ?」

「はーいっ。私、お化け屋敷がいいと思います。だってぇ、うちにはオカルトちっくな不思議ちゃんがいるからぴったりでしょ?」

 杏奈が皮肉たっぷりの口調で言った。千尋の噂で持ちきりだった女子の間で、クスクスと笑いが漏れる。千尋は無表情のまま、まっすぐ黒板を見つめていた。

「大川のやつ──っ」

 耐えかねて圭が立ち上がろうとしたその時、伊万里が高らかと手を上げた。

「先生、」

「なんだ月野?」

 伊万里がすっと立ち上がる。そして彼女はひと呼吸おくと、にっこり笑った。

「私が実行委員を務めてもよろしいでしょうか?」

 教室がどよめいた。

 伊万里がゆっくりと教室の前へ向かって歩き出す。

「お化け屋敷……、面白そうではないですか」

 言いながら伊万里は教壇に立った。

「ぜひ、私にお任せくださいませ。化け物については、得意分野でございます」

「そ、そうか? 月野がそう言うなら……」

 草野が戸惑いながらも頷いた。

 すると、杏奈が「はあ?」とあからさまに顔をしかめた。

「やりたいなんて、冗談なんですけどー? お化け屋敷なんてガキっぽいし、面倒くさぁい」

「おだまりなさいませ」

 伊万里が静かではあるが、凄みのある声で言った。

「皆さまがやると言うたのです。今さらできないなどと、どの口が?」

 教室の大半の生徒が、

(みんながやるとは言ってないような……)

 と思ったが、伊万里の凄みのある声に圧倒され、教室はしんっと静まり返った。

 そして、教室が静まり返ったところで、彼女はおもむろに黒板に向かって何かを書き始めた。

 壬や圭、そして千尋も、最初は何を書いているか分からなかった。

 何か記号のような模様のようなもの──。しかし、それが完成するにつれ、それが五式術の一つである式陣であることに気がついた。

「ちょっと伊万里っ、それ──」

 壬が思わず声をかけたが、伊万里は手を止めない。彼女は式陣を書き終えると、その中央に手をかざした。

 刹那、黒板に書かれた式陣のチョークがパンッと飛び散った。

「何……? 今の……」

 教室がざわざわと動揺する。伊万里がにっこり笑った。

「何やら、やる気のない方もいらっしゃるようですので、皆さまに呪いをかけました」

「ののの、呪い??」

 教室がさらにざわついた。伊万里が「はい」と頷く。

「呪いと言っても、子供だましのようなものです。つつがなく文化祭を執り行うことができれば、なんの問題もございません」

「……で、できなかったら?」

 教室の誰かが質問する。伊万里は「さあ?」と小首を傾げた。

「身の保証はいたしかねます」

「そんなバカバカしい!」

 杏奈が立ち上がった。

「呪いなんて、そんなの子供じゃあるまいし、信じるわけないでしょ。今のだって、何か仕掛けがあるのよ!」

「どう思うかは、あなたさまの自由です。しかし、呪いはすでに皆さまの御身おんみにかかっております」

「……」

 教室の誰もが絶句する。

 その時、壬が手を上げた。

「先生、俺もやる」

「なんだ伏宮、おまえもやりたいの?」

「だって、こいつ昨日転校してきたばかりだろ」

 そして、壬が伊万里の隣に立った。

「出し物はお化け屋敷、実行委員は伊万里と俺。以上、誰か文句あるか?」


(文句って言われても、この状況で何を??)


 教室の誰もがそう思った。そして、反対意見が何も出てこないことを確認すると、伊万里が満足そうに言った。

「では、今この時この場をもって、一切の口答えは許しませぬ」

「そんな鬼みたいな──」

 誰かがぼそっと呟いた。伊万里は「まあ」とにっこり笑った。

「みたいではなく、私は鬼でございますから。みなみなさま、お覚悟をなさいませ」


 ホームルームでは、そのあと厳粛な話し合いが行われた。話を仕切るのは壬で、伊万里はその話し合いの監視役と言ったところだろうか。

 楽しいはずの文化祭の話し合いが、どうしてこんなに重々しいのか。誰にもさっぱり分からない。しかし、背筋をまっすぐ伸ばして腕を組み、鋭く教室を見つめる伊万里の前では、誰も何も言い出せない状態だった。

 とりあえず衣装係と道具係を決たところで、その日は解散となった。

 今日は千尋の部活もない。四人揃って帰るバスの中、圭が興奮気味に言った。

「みんなの引きつった顔はなかったな」

「何を言ってんだ。ちょっとあれはやりすぎだろ」

 壬が疲れきった様子でぼやいた。

「俺もう、みんなのおびえた視線に何度心が折れそうになったか……」

「意外にガラスの心だね、壬ちゃん……」

 千尋が気の毒そうに言った。そして、彼女は伊万里に尋ねた。

「本当に呪詛じゅそをかけたの?」

「まさか」

 伊万里が笑う。

「黒板に書いた五式陣を風圧で消しただけですが、まあ、幸も不幸も本人次第と言いますし?」

「なんだ、ただの脅しかよ」

「子供だましだと言ったでしょう?」

「それなら良かったけど」

「なんです?」

 ほっと胸をなでおろす壬に伊万里が不思議そうな顔を向ける。壬が少し心配げな視線を返した。

「いや、これで何か起こってみろ。誰も怖がっておまえに近寄ろうとしないぞ」

「ああ、そんなこと。嫌われ者は慣れていますから」

 その少し自嘲的な言い方が壬の耳に引っかかった。

 時どき見せる伊万里のこの口調。彼女は自分のことになると、とたんに評価が低くなる。

 不義の子だから? にえ姫だから? どちらにしても根は深い。

「なあ、伊万里。お化け屋敷のイメージって何か考えてる?」

 壬はとっさに話題を変えた。すると、伊万里が「ふふっ」と笑いながら目を細めた。

「それについては、名案があります」

「本物を呼ぶとか、そういうのナシだぞ」

「ダメですか?」

「やっぱり考えてたのかよ……」

「では、代わりの案を家に帰ってから──。そうだ、千尋もうちに遊びに来てください。なんなら、泊まっていきますか?」

「今日?」

「はい。明日も休みだし、大丈夫でしょう?」

「いいね、千尋もおいでよ」

 圭が嬉しそうに賛同する。

 伊万里が谷に来てから、千尋はちょいちょい泊りに来るようになっていた。知らない間に二人で約束しては、伊万里の部屋で女子会を開いている。

「じゃあ、泊まるかな?」

 千尋が頷きながら答えると、伊万里が「やったあ」と嬉しそうに笑った。

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