鬼の実行委員(4)
授業が終わると、草野が大急ぎで薬剤を持ってきた。そして伊万里の机の落書きをきれいに拭き取った。薬剤の臭いが教室に立ち込める中、草野が伊万里に言った。
「月野、心当たりはあるか?」
「いいえ、まったく」
「まいったなあ。転入早々、こんな嫌がらせが起こるなんて」
困り口調で草野がぼやいた。
「月野、おまえも周りからやっかまれないように気をつけろ」
「待てよ、先生。まるで伊万里が悪いみたいに言うなよ」
草野の言い方に壬が思わず詰め寄った。
「壬、」
伊万里が壬を制止する。そして彼女は、草野に軽く頭を下げた。
「お騒がせしました。私も少し配慮が足りませんでした。以後気をつけます」
「うんまあ、何かあったらすぐに言ってくれよ」
そう言って草野は教室を出て行った。壬が納得のいかない様子で伊万里を見る。
「なんで、」
「騒ぎ立てても
「そうかもしれないけど──」
一方、千尋は意を決して立ち上がった。向かうは大川杏奈のもと。
「ねえ、杏奈。ちょっと話があるんだけど、いい?」
杏奈が顔を上げる。今日も薄っすらとアイメイクをし、ゆるくカールした髪型も完璧だ。
「千尋、何?」
「ここじゃなんだからさ」
「……」
杏奈が面倒くさそうに立ち上がった。同時に杏奈といつもつるんでいる女子二人も立ち上がった。
「どうしたの? どこ行くわけ?」
「さあ?」
と杏奈。
「私らも一緒に行っていい?」
たぶん、こいつらも共犯だ。
「いいよ」
千尋はキュッと口を結び、杏奈たちを教室の外へ連れだした。
「おい、あれ──」
「うん。分かってる」
千尋たちの後ろ姿を目で追いながら壬が圭に声をかけると、圭が頷いた。伊万里が心配そうに言った。
「千尋は何か気づいたのでしょうか? 私も一緒に行った方が……」
圭が「いや、」と伊万里を止める。
「姫ちゃんが行くと、さらにもめそうだから俺が様子を見に行くよ」
人気のない廊下の隅に着いたところで千尋は立ち止まり振り返った。
大川杏奈は、幼稚園から一緒の同級生だ。田舎では、学校がずっと一緒なんてこともよくあることで、圭や壬とも割と仲がいい。もともと気の強いハキハキした子だったが、中学校に上がった頃から見た目も派手になり始め、目立たない地味な子をバカにするようになった。
そんなところが嫌で、高校に入ってからは千尋もすっかり表面的な付き合いになっていた。最近では、基町で知り合った他校の友達と遊んでいるらしく、あまりいい噂を聞かない。
「杏奈、どうしてあんなことをしたの?」
前置きも遠回しな言い方も得意じゃない。開口一番、千尋は言った。
杏奈たちがほんの一瞬たじろいだ。しかし、彼女たちは互いに目配せし合うと、一斉に吹き出した。
「あんなことって何? まさか、私たちを疑ってんの?」
「あんなガキみたいなこと、するわけないでしょ」
「いいじゃん。当の本人、気にしている感じもないしさ」
そう言うと、三人は「言えてるーっ」と笑った。
「案外図太いよね。あの伊万里って子」
「そうそう。私だったら、あんな机に座ってらんない」
「五里のあしらい方も手馴れてる感じだったし、けっこうアバズレな感じ?」
「──あんたたちと一緒にするな」
千尋が三人を睨んだ。
「イマはね、そんじゃそこらのお嬢さまじゃないのよ。あんな子供じみた嫌がらせに動じることも、ゴリラの相手をまともにすることもあるわけない」
「お嬢さま? 夏祭りに、あんな男に媚びた服着て壬くんと歩いていて?」
杏奈が「はんっ」と口の端を歪める。
「あきらかに壬くん狙いじゃない。エロい服着て迫ることが、お嬢さまなのかよ!」
本音が出た、と千尋は思った。千尋は彼女にすかさず言い返した。
「あれは私が無理やり着せたのよ。壬ちゃんが喜ぶかなあって思って。効果がありそうと思ったんなら杏奈も着てみればいいじゃない」
「幼なじみだからって偉そうな口を利かないでよ!」
顔を真っ赤にした杏奈が千尋の肩をばんと押す。千尋がよろけて壁にぶつかった。
杏奈が千尋をギッと睨んだ。
「圭くんと二人で夏祭り行ったんでしょ。みんなにバラしてもいいんだからねっ。そしたら、あんたも月野伊万里と同じ、ハブられるんだから!」
その時、
「誰をハブるって?」
圭が千尋を抱き寄せ、二人の間に割って入った。
「こいつに手を出したら、女だからって容赦しないよ」
「圭ちゃん!」
「昨日、姫ちゃんの話、聞いてなかったわけ? 俺、千尋以外興味ないから。おまえらがどうなろうと知ったこっちゃないし」
言いながら圭は杏奈とそのグループを睨んだ。三人がおろおろとたじろいだ。
「私たち別に──」
「ついでに言うと、おまえらみたいな品のねえの、壬は一番嫌いだよ」
グループの一人が小声で「ねえ、」と杏奈の袖を引っ張る。彼女は怒りに震えながらも千尋と圭から顔をそらすと、くるりと踵を返した。
「ちょっと待ちなさいよ」
とっさに千尋が言った。
「イマに謝って!」
杏奈がうるさそうに振り返った。
「しつこいな。私たちじゃないって言ってるじゃない」
「糸が……」
「は?」
「机に書かれた文字から杏奈に黒い糸がつながってる」
「千尋?」
圭が驚いた様子で千尋を見る。彼女はかまわず言葉を続けた。
「だって、ほら、今も糸が廊下を引きずって──」
文字は消されたはずなのに、この糸はどこに
千尋は言いながらそう思った。
しかし、そんな思考も、杏奈の言葉でかき消された。
「きっ、気味悪っ!!」
杏奈が青ざめた顔で言った。そして、千尋を指さした。
「思い出した! この子、小さい時もそうだったのよ。誰もいない壁や電柱に向かってしゃべっていたり、誰も知らないことを知っていたり──。あの頃から気味が悪くって……!」
「うっわ、ひくわ。何それ?」
しまった──。
思わず千尋は黙り込んだが、もう遅い。杏奈たちが「行こっ」と互いに声をかけ合いながら走り去った。
「千尋、何が見えていたの?」
二人きりになって、圭が千尋の顔を覗き込んだ。彼女はにわかに答えることができず、ぎゅっと唇を噛みしめた。
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