鬼の実行委員(2)

 結局、壬たちは阿丸に乗って御前みさきまで行き、そこで千尋と合流すると、いつもどおりバスに乗った。

 学校に着くと、四人、というより伊万里の登場に誰もが反応した。

「あの、私やっぱり変ですか? 昨日より見られてる気がします」

 伊万里が玄関のガラスに映る自分の姿を確認しながら言った。

 圭と壬が当然の結果だと言わんばかりに口を揃える。

「そりゃ姫ちゃん、剣道部主将を打ち負かしたりするから……」

「普通、あれはしねえな」

 千尋もその隣で肩をすくめた。

「挙げ句、壬ちゃんと手をつないで帰ってるしねー?」

「……なんか全部、私が悪いみたいじゃないですか」

「そうじゃないけど、目立ちすぎってこと」

「だから言っただろ。さっさと教室に入ろうぜ。面倒くせえ」


 しかし、教室に着いた壬たちは伊万里の机を見て驚いた。伊万里の机に殴り書きされた文字。太い油性マジックで書かれたそれは、「ブス」「ビッチ」「尻軽」といった悪意のこもった言葉だった。四人は、彼女の机を取り囲んだ。

「何これ?」

「これは……ひどいね」

「……ひどいな」

 千尋と圭、そして壬が信じられないと顔をしかめた。

 そして当の伊万里は、

「うーん」

 と困り顔で頬に手をあて頭を捻った。

 しかし、四人がドン引きしているのは、机に書かれた文字ではない。その文字から、小さな虫ほどの穢玉けだまが、ぞぞっ、ぞぞっと生まれてきていることだ。

「悪意の塊のような文字だとこうなるんだ」

 圭が感心しきった様子で言った。隣で壬も頷く。

「昨日見たのよりずっと小さいけど、湧き出てくるのが不気味だな……」

「二人とも何を冷静に……。そんなこと言っているうちに、穢玉けだまが机から落ちてるって!」

「ときに、ビッチとはどういう意味でしょう?」

 ふいに伊万里が呟く。三人は「そこ?」と言葉に詰まったが、すぐに壬が答えた。

「覚える必要ねえよ」

「しかし、分からなければ気になります」

「魚が元気よく跳ねてる様子。ビッチビッチって言うだろ」

「……それは、嘘ですね。いいです、スマホで調べます」

 伊万里が制服のポケットからスマホを取り出すと、「ビッチ 意味」とスマホに向かって言った。ややして、「ああ」と彼女は頷いた。

遊女あそびめのことですか。分かりました、次からビッチと言うようにします」

「無駄に使いこなして──。もうやだ」

 壬が両手で顔を覆いながらうなだれる。

「ほんと頼むから、これ以上余計な言葉を覚えないで」

 見かねた千尋と圭が、「ドンマイ」と壬の背中をポンポンと叩いた。


 そしてひと呼吸ついて、圭が机の落書きを見つめながら伊万里に尋ねた。

「そんなことより、姫ちゃん。これ文字を消したら止まる?」

 伊万里が難しい顔をする。

「文字が思念のしろになっているようなので、とりあえずは止まると思います。ただ、これほどの落書きを施した主をなんとかしないと、余計な穢玉が増えそうです。学校は、ただでさえ雑多な思念であふれていて、みんな良くも悪くも影響を受けやすい」

「文字を消すだけじゃなく、元を断たないといけないか……」

「そうですね。まずは机を燃やし、それから呪詛返しをしてみましょう。穢玉を止めつつ、相手にダメージを与えられます」

「や、姫ちゃん、ここ火気厳禁だからっ!」

「イマ、これ呪詛じゃないでしょ。怖いからやめて」

 圭と千尋が慌てて伊万里を止める。彼女は不満そうに口をつぐんだ。

「じゃあ、このまま座ります。今日は穢玉けだまで遊んでます」

「遊ぶなっ、そんなもんで!」

 今度は壬が伊万里を止める。いよいよ伊万里がふてくされた顔をした。

 壬はやれやれと頭を掻いた。

「おまえの発想が人間離れしてんだよ。だいたい、嫌がらせ受けてんだぞ。当事者として、もう少し動揺しろよ。青ざめるとか、泣き出すとか……」

「穢玉ごときで、そのようなことを言われても。そもそも、壬をはじめ、圭も千尋も私のことを心配していないではないですか」

「心配しようにも、第一声が『ビッチって何?』じゃな。どうでもいいだろ、そんなこと」

「でも、知らない言葉は気になります」

「だから、それが可愛くねえって言ってんだ」

「か、可愛くないって──」

 伊万里がムッと壬を睨んだ。

「どうせ私は、か弱さの欠片かけらもない可愛げない鬼でございます」

「誰もそこまで言ってないだろ」

「暗に言っているではないですか」

「イマ、壬ちゃん、話が脱線してる……」


 するとその時、教室のドアがガラリと開いた。

「月野伊万里!」

 見ると、そこに剣道部の五里が立っていた。

「ゴリラ主将?」

「しぃっ! 五里よっ、イマ」

「また、ややこしいのが一人……」

 言いながら壬は大きなため息を吐いた。伊万里が冷ややかな目で五里を見る。

「私に何か?」

 すると五里は無言のままドカドカと足音も荒く教室に入ってくると、伊万里の前でぴたりと止まった。五里がじっと彼女を見定める。伊万里はそんな彼を毅然と見返した。

「ただいま取り込み中です。何か用事があるのであれば、放課後にしてください」

「……」

 五里はすぐには答えない。そして、見かねた壬が仲裁に入ろうとした時、五里は突然ひざまずいた。

「姫、」

 言って彼は伊万里を見上げた。

「俺の女になってくれ!」

「……え?」

 伊万里が目をぱちくりさせた。

「もし、今なんと?」

「姫に惚れた。昨日、俺を打ちのめした姫にしびれた」

「ちょっと待て。おまっ、何を考えてんだ?? ボロ負けして惚れるっておかしいだろ?!」

 思わず壬が口を挟む。五里が頭を小さく振った。

「迷いのない攻撃、そして許しを請う相手に容赦なくトドメを刺そうとするあの非情さ、まさに理想の女」

 伊万里が意味が分からないと顔をしかめ、圭と千尋は爆笑寸前になっている。

 壬が顔をひきつらせながら言った。

「おい五里、落ち着け。言っておくけど、生物的におまえの手に負える女じゃねえぞ、これ」

「俺は本気だ!」

「いやいやいやいや、おかしいだろ」

 五里が壬をギッと睨む。

「伏宮壬! おまえ、姫のなんなんだ?」

「え?」

「ただの同居人だって聞いたぞ。さっきから聞いていれば……、姫に向かって『女』だの『これ』だの。それとも何か、特別な関係なのか?」

 教室が一瞬しんっと静まり返った。みんなが壬の答えに注目する。

「そ、それは、違うけど──」

「じゃあ、なんで俺と姫のことに口を挟む?」

「そっ、それは──、こいつは俺の……家族で、……妹みたいなもんだから」

 壬がしどろもどろに答える。伊万里がぽつりと呟いた。

「妹──」

「あ、いや、言葉のあやっていうか」

 壬は慌てて言いつくろった。すると伊万里がにっこり笑った。

「いいえ、私も壬のことを兄妹きょうだいのように思っていたので同じです」

「ああっ、それなら……良かった──」

 のか??

 壬の中で何かが引っかかっていると、そこへ今度は川村が大声で叫びながら入ってきた。

「おい壬っ、伊万里ちゃんを玄関で抱きしめてたって本当か?! 三年ですげえ噂になってるぞ!」

 教室の空気が今度はピシッと凍り付いた。

 ややして、圭があきれ口調で言った。

「ねえ、手をつないでただけじゃなかったの?」

「あー……、どうだった……かな?」

 壬は気まずそうに目をそらした。

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