2)鬼の実行委員

鬼の実行委員(1)

 総次郎の車に乗せてもらい、壬たちは伏見谷ふしみだにへと帰ってきた。途中、橘家で千尋の両親や和真に挨拶をし、壬たちが伏宮ふしみやの家に着いたのは夕飯前だった。

「次郎、どこほっつき歩いとった?」

 家に着くと、まもるが笑顔で総次郎を出迎えた。総次郎が「かかか」と笑う。

「おうよ、護ちゃん。相変わらず、全国ぜんこく津々浦々つつうらうら

「そろそろ伏宮に行くだろうからと勝二かつじ叔父から連絡があった。今日か明日かと思っていたところだった」

百日紅さるすべり先生からの頼まれものを持ってきた」

「おお、そうか」

「というわけで、圭と壬に仕込むまでの間、厄介やっかいになるぞ」

「俺らに仕込むって何を?」

 ふいに自分たちのことが話題に上がり、壬が総次郎に尋ねた。総次郎はそれに答えずに壬の頭を軽く叩いてから、ちらりと伊万里を見た。

「ま、とはいえ、メインは本家の可愛いお嫁さんに会いに来たってやつだ」

「はっはっは、そうか!」

 護が上機嫌で笑う。

「母さん、一本つけてくれ」

 奥の台所からあさ美も現れた。

「次郎さん、お久しぶり」

「あさ美ちゃん、相変わらず美人だねえ」

「あらやだ。その口で今度はどこの女性を口説いてきたんだか」

「俺、美人以外に美人って言わねえよ」

「あはは。さあさあ、上がってゆっくりしてくださいな。イマちゃん、さっそくだけど手伝ってくれる?すぐに着替えて来てちょうだい」

「はい」

 伊万里が足早に家の奥へ消えていく。あさ美は壬たちにも声をかけた。

「あなたたちも着替えてきなさい。みんなでご飯を食べましょう」


 居間の座卓に夕飯が並ぶと、護と総次郎はイワナの塩焼きをさかなに酒をみ交わした。総次郎は全国を旅してまわっていて、食事中はその土産みやげ話で盛り上がった。そして、護や総次郎がすっかり酔っ払ったころ、伊万里がやんわりと総次郎に近づいた。

「あの、次郎さま」

「ん? なんだ、伊万里」

 いきなり「伊万里」と呼び捨てにされ、彼女は少しどきりとした。伏見谷ではほとんどの人が「姫さま」、伏宮家でも自分を呼び捨てにするのは壬ぐらいだからだ。

 伊万里は遠慮がちに口を開いた。

「夏の折には、大叔父さまには大変失礼な物言いをしてしまい、申し訳ございませんでした。大叔父さまは、お怒りになってはいませんでしょうか」

 総次郎が「ああ」と苦笑する。

「怒ってはいなかったけど、困ってたな。月夜つくよの姫に相応ふさわしい狐を連れてこいと言われたってね」

「も、申し訳ありません──」

 伊万里が恐縮して頭を下げた。すると総次郎が、からかうような目で伊万里を見た。

「そうだ伊万里、俺の嫁になるか?」

「え?」

 伊万里が目を丸くし、壬は食べていたごはんを思わず吹き出しそうになった。

 総次郎があごひげをさすりながらニヤッと笑う。

「だって、それ相応そうおうって言ったんだろう?」

「言いはしましたが、私は伏宮の嫁ですので……」

「俺は強いぞ。妖刀に負けたりしないし」

 ふと伊万里が真顔になる。

ほむらを振るえると?」

「さあ? 振るえたらどうするよ?」

「………」

 その時、壬がタンッと箸を置いた。

「ごちそうさま」

 言って彼は憮然ぶぜんとした様子で立ち上がった。

「壬、もうよいのですか?」

「今日は疲れた。風呂に入って寝る」

「では、お風呂上りに何か飲み物でも──」

「いい。自分でする」

 素っ気なく言って壬はそのまま部屋を出て行った。圭がすかさず「俺もごちそうさま」と立ち上がった。

「圭も、もうよいのですか?」

「うん。明日また学校だしね。姫ちゃんも早く休みなよ。まあ、明日行ったら、また土日で休みになるし」

 言いながら圭は総次郎をちらりと見た。彼は何食わぬ顔で杯をグイっと傾けていた。

(嫁になるかなんて、どういうつもりだろ……)

 内心そう思いながら圭は部屋を後にすると、すぐに壬の後を追いかけた。


 圭と壬の部屋は道場の二階にある。圭は、道場のあたりで壬に追いついた。

「ちょっと壬、」

「……なに?」

 圭が呼び止めると、むすっとした顔の壬が振り返った。圭は少し躊躇ちゅうしょしながら口を開いた。

「あんまりに受けるなよ。ジロにいは、いつもあんな調子だし」

「……」

 壬がふいっと顔をそむける。そして彼はぼそっと呟いた。

「伊万里のやつ、『ふさわしい狐を連れてこい』なんて勝二叔父さんに言ったんだ?」

「あれは言葉のあやっていうか……。勝二叔父さんが、姫ちゃんの前で二代目はおまえだって言い出すもんだから──」

「つまり、俺じゃ力不足って?」

「違う。おまえをかばって言っただけで……」

「でも、そういうことだろ?」

「……何を怒ってんの?」

 圭がいらっとした顔で壬を睨んだ。

「夏祭りの一件で、おまえ死にかけたんだぞ? 姫ちゃんがどんな気持ちでおまえのそばにいたと思ってんだよ」

「心配をかけたのは分かってるよ」

「分かってない」

 圭が言った。

「壬が死にかけたのは自分のせいだと姫ちゃんは思ってる。焔って妖刀をおまえに二度と持たせたくないんだよ」

「だから、つまりそういうことじゃん」

「じゃあ、そういうことならどうするわけ?」

 圭がぴしゃりと言った。そして彼は真っすぐ壬を見据えた。

「俺は強くなるよ。そうしないと守りたいものが守れないって分かったから。壬、おまえはどうする?」

「……」

「何もしようとせずにねるなよ」

 圭が壬の脇をすり抜け、二階へと上がっていく。壬はひとりうつむいたまま動かなかった。



 次の朝、壬が制服に着替えて台所に行くと、制服にエプロン姿の伊万里が彼を迎えた。

「おはようございます」

 いつもと変わらない彼女の笑顔に少し気後れしながら壬も「おはよう」と返事をした。圭はすでに朝食を食べ始めていた。壬が隣に座ると、圭は淹れてあったコーヒーを壬の前に置いた。

「少しは気分晴れた?」

「うん、まあ、ごめん……」

 ばつが悪そうに壬は答えた。すかさず伊万里が壬の顔を覗き込んだ。

「すみません。昨日、部活見学に付き合わせたせいで──」

「だ、大丈夫。寝たらすっきりした」

 壬は慌てて答えた。自分ひとりだけが勝手に拗ねていることが恥ずかしかった。

「ジロ兄は?」

「まだお休みになってます」

「あのあと、夜中まで二人で飲み続けているんだもの。午前中は起きてこないわよ。毎日あれをされたらたまらないわ」

 流しで野菜を切っているあさ美があきれ口調で言った。圭が「えー」と声を上げた。

「じゃあ、朝は誰が送ってくれるの?」

「何を言ってるの。自分たちで行きなさい」

「だって御前みさきのバス停に自転車を置いて帰ってきたのに」

「山を走ればいいじゃない。自転車よりずっと早いわよ」

 圭があさ美と賑やかに話し始めた。伊万里が横目でそれを見ながら壬の前にトーストを置く。

「はい、どうぞ」

「伊万里、今日たぶん文化祭の話し合いがあるぞ」

 少しでも伊万里が喜びそうなことを、と考えて壬は彼女に言った。

「本当ですか?」

「うん、たぶん最後の時間だと思うけど」

「わあ、楽しみです!」

 伊万里が嬉しそうにぱあっと顔を輝かせた。その顔を見て、自然と壬も嬉しくなる。

 そうだ、難しいことは考えなくていい。伊万里が元気よく笑ってくれて、二人で楽しくやれればそれでいいのだから。

 壬はばくんとパンをほおばった。

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