転校生のお約束(6)

 校門前の花壇で動く黒い毛の玉。当然ならが他の生徒には見えていないようだ。

 もともと何も見えていなかった三人だが、夏休みの間にいろいろと見えるようになっていた。最近では、谷のあちこちにいる雑蟲ぞうこにも慣れてしまって、よくもまあ今まで何も見えていなかったもんだと不思議に思うくらいだった。

 伊万里が、近くを行き交う生徒たちの様子をうかがいつつ、「ケダマ」の説明をする。

「あれは多くの不浄の気が自然と集まって出来たものです。吹き溜まりにゴミがたまるのと似たようなものですね。まあ、もともと行き場を失った気が集まってできたものなので、放っておいても自然とばらけてなくなりますし、触らなければ害はありません。ケはけがれと書きます。学校ここは人が大勢いて、雑多な思念も多いので出来たのでしょう」

 圭が不安げに伊万里に尋ねる。

「千尋にかない? あまりいい感じがしない」

「そこは心配無用です。基本的には無意識の集合体なので。まあ、不浄の気同士が互いに引き寄せ合いはしますが」

「不浄の気って例えば?」

「……誰かにふられ傷ついた女の子の気とか」

「告白ネタ、えらい引っ張るな」

 壬がうるさそうに言うと、伊万里はつんっとそっぽを向いた。そして彼女は千尋に目を向けた。

「千尋のような清浄な気が触れるだけで、おそらく消失すると思います。触ってみます?」

 圭が慌てて首を振る。

「姫ちゃん、千尋に無茶ぶりしないでよ。だったら俺が踏み潰すし」

「それでは破片が飛び散って、そこからまた穢玉けだまが出来てしまうかもしれません。踏み潰すのではなく、焼き潰さないと。千尋に浄化されるのが一番なんですけどね」

 言いながら伊万里はすっと穢玉けだまに近づいた。どうやら彼女自身で始末をするつもりらしい。

 すると、伊万里の気配を感じたかのように穢玉けだまがぞぞぞと逃げ始めた。伊万里の顔が少し険しくなった。

「……意識を持ち始めている。ダメですね、さっさと始末しましょう」

 伊万里がたっと小走りに穢玉けだまを追いかける。すると穢玉けだまは、校門の方に向かってびょーんっと大きく跳ね飛んだ。思わず壬が叫んだ。

「飛んだ!」

「外には逃がしません!」

 伊万里が立ち止まり片手を上げた。しかし、壬が慌てて伊万里を止めた。

「伊万里、ここ学校!」

 はっと伊万里が手を止める。そうこうしているうちに穢玉けだまはぞぞぞと地を這って校門の外へと逃げかけた。

 しかしその時、誰かが穢玉をぐしゃりと踏み潰した。しかも、その靴裏からほんの一瞬赤い炎が上がる。潰れた穢玉けだまがぶすぶすと燃え、つんとした臭いが鼻をついた。

「よお、ガキんちょ」

 靴裏の穢玉けだまの燃えカスを払いながら、もさっとしたくせ毛にあごひげの似合う三十歳前後の青年が、壬たちに向かって手を上げた。

「ジロにい?!」

 圭と壬、そして千尋が驚いた様子で言った。青年がにっと笑った。

「青春しとるかね?」

「ジロ兄! おかえり」

 三人はわっと青年のもとへと駆け寄った。

「いつ帰ってきたの?」

 千尋が嬉しそうに言った。

「今日。ちょうどこんな時間だから、おまえらを待ってたの」

「おいしいお土産は?」

「いきなり食いもの?」

 彼が茶目っ気たっぷりに目を細める。

「それじゃあ、男はできないぞ?」

「千尋はできなくても別にいいの」

 今度は圭が言った。青年が圭の頭をくしゃっとなでた。

「圭、相変わらず爽やかだな。俺みたいにひげはやせ、ひげ」

「やだよ」 

 そう言い返しながら圭も嬉しそうだ。隣で壬も高揚気味に言った。

「夏休み、全然帰って来なかったじゃんか。しばらくうちにいる?」

「おう、壬か。いろいろ聞いたぞ」

 言って彼は、出し抜けにリストバンドを付けた壬の右手首を持ち上げた。

「ふーん。なんだ、腕のあざ、隠してんのか?」

「ジロにい!」

 壬が慌てて腕を振りほどく。

 すると、一歩さがったところで立っていた伊万里が遠慮がちに言った。

「あの、こちらは?」

 壬が「ああ、」と伊万里に紹介した。

「稲山の勝二叔父さんの息子で──」

「そ、稲山総次郎。次郎でいいぞ、月夜の伊万里姫」

「稲山の大叔父さまの──!」

 伊万里が慌てて頭を下げる。総次郎は「かかか」と笑った。

「こりゃまた美人だ。少し気が強そうなところもあれだな」

 言いながら総次郎が伊万里の顔を覗き込み、あごをくいっと持ち上げた。

 壬がとっさに伊万里を総次郎から引き離した。

「ジロにい、近い。伊万里がびっくりしてるだろ」

「あーん?」

 総次郎が含みのある笑いを浮かべた。

「なんだ壬、ちょっと見ないうちに色気づいて──」

「づっ、づいてねえしっ」

 顔を真っ赤にして壬が言い返す。その隣で千尋が戸惑い気味の伊万里に耳打ちした。

「ジロにいはね、見た目はあんなだけど、うちらの両親と同じ年代なの。中身はオヤジだから、多少のセクハラは許してあげて」

「……はあ、」

「おい女子高生ジェイケー、聞こえてるぞ」

 総次郎が千尋の頭を軽く小突いた。そして彼は、校門前に止めてある車を親指でくいっと指した。

「よっしゃ、帰るぞ。俺の車に乗ってけ」

 壬と圭、そして千尋が「やったあ」と喜んだ。

「そうだ。私、どこかで食べていきたいなあ」

「いいね。俺、寿司がいい」

「あ、俺も」

「ふざけんな。高校生四人も連れて行ったら、金がいくらあっても足りんわ」

 途端に三人が「ええ~」と不満そうに顔をしかめる。

「ケチー!」

「やかましい。俺はあさ美ちゃんの手料理が食べたいの!」


(すごく仲がいい……)


 稲山の大叔父や、猿師とも違う。もっと壬たちに近い存在。

(でも──)

 なんと言うか、掴みどころがない。

 遠慮なく懐に抱え込んでくれるような気安さを感じる反面、それとは裏腹に本心がうかがえない笑顔に、伊万里は少なからず戸惑った。

 それに、壬に会ってすぐに焔のしるしのことを言ったのも気になった。

 あの九洞方くどぼうの一件からこっち、焔のことはなるべく考えないようにしていた。あんな刀、このまま放っておけばいい、何もなければないのと同じだ。

 その証拠に、ここ最近の伊万里は学校のことで頭がいっぱいで本当に焔のことを忘れていた。そう、今の今まで総次郎が壬の腕を掴むまでは。

「どうした? 伊万里」

 壬が伊万里の顔を覗き込む。彼女は慌てて笑い返した。

「いいえっ、なんでもないです」

 ふと、総次郎と目が合って、伊万里は思わず目をそらした。

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