相手のいない花嫁(4)

 大広間は廊下と部屋を仕切る襖や障子が一切ない大きく開けた板間である。そして、その広間に親戚、縁者がずらりと左右に並んで座っており、その後に伏見谷の住民が続いていた。中には見覚えのない者もいて、谷の外からの客人らしい者も大勢いる。一番奥、上座の左手には羽織袴を着た父親の護と稲山の大叔父が、右手には黒留め袖を着た母親のあさ美と正装姿の千尋の両親、そして兄の和真が座っていた。

 猿師に連れられて圭と壬の二人が大広間に現れると、護がすぐさま手招きした。先生のあとに続きながら、ざわつく異様な雰囲気の中を二人は上座まで歩いていく。途中、二人を品定めするような視線を感じ、二人はなんとも言えない気持ちになった。

「二人とも儂の横へ」

 言われるまま壬と圭は猿師の横に座った。座り終えた猿師は、すぐに護と稲山の大叔父に何かを耳打ちし、二人は一瞬険しい顔になりながら頷き返した。伊万里の状況を伝えたのであろうことは壬も圭もその様子から分かった。

 ややして、護がゆっくりと口を開いた。

「みな、よう集まってくれた。少し早いが始めようと思う。まず、うちの息子たちを紹介しとく。こちらが長男の圭、そして次男の壬。双子だわ」

 圭と壬は座ったままみんなに向かって頭を下げた。いつも会っている叔父や叔母は、うんうんと頷き返してくれたが、そうではない者たちは明らかに値踏みするかのごとくの視線を伏宮の跡取りたちに向けた。

「あれが伏宮の息子か。まだ高校生じゃないか」

「ワシらと同じ、たいした霊力もないただの狐にしか見えんぞ」

 耳が遠い年寄りがいるからか、それともわざとなのか、縁者たちの大きすぎるささやき声が壬と圭には耳障りだった。

「コホンッ」

 父親がわざとらしい咳払いをして皆を黙らせた。普段の父親はお人好しで昼行灯ひるあんどんのような男だ。しかし今この場において、そんなのほほんとした姿はまったく見られなかった。父親は大広間の一族を見回した。

「それでは今宵、月夜の里の姫君を嫁として迎え入れる」

 広間がさらにしんっと静まりかえった。お互いに前後左右の者と目配せを交わしながらも、みんな貝のように押し黙っていた。しかし、後方に座っていた見覚えのない縁者の一人がふいに立ち上がった。

「迎え入れるったって、誰にあてがうつもりなんだ?」

 言って彼は二人の息子を指さした。

「まさか、そこに座っているたいして霊力もなさそうな双子のどちらかなんて言わないだろうな」

 今まで静かだった他の縁者たちも「そうだ、そうだ」と声を上げた。

「やはり、稲山の大狐か百日紅さるすべり先生ぐらいの力がないと」

「下手をしたら鬼姫に谷がのっとられてしまうのではないか?」

「そう、最近なにやら谷が騒がしい。鬼が一緒に何かを連れてきたに違いない」

 右側から声が聞こえたかと思うと、次は左側から声が上がる。

 壬はみんなの好き勝手な言い分を聞くうちに、だんだん腹が立ってきた。

 この嫌な感じ、何かに似ている。 

 すると、壬の隣で圭がふうっと大きなため息を吐いた。

「ほら、思ったとおりだよ。異物が入ってきたときの拒絶反応っていうのは、人間も狐もたいして変わらない。端から見ると嫌なもんだね」


 ややして、護が「静かに」とみんなに向かって片手を上げた。そして、きっぱりとした口調で言った。

「みなの不安な気持ちも分からないでもない。しかし、この谷をつくり、死してもまだお守りくださっている九尾さまが交わした最期の盟約だ。子孫の我らが反故ほごにすることなどできん。それに姫のお相手は決まっておらん。だから、誰かにあてがうのではなく、あずかろうと思う」

 大広間にどよめきが起こり、ほぼ全員が驚いた顔をした。

「……あずかるって、いつまでだ?」

「二代目九尾が現れになるまで。明日かもしれんし、百年後かもしれん。それまで、伏宮の嫁として大切にお預かりする。これが伏宮本家の総意である」

 さらに強い口調で護が締めくくった。広間の誰もが一様に押し黙った。

 そして、その様子を確認してから稲山の大叔父が「よしっ」と膝を叩いた。

「さあ、もう姫さまがいらっしゃる。みなで盛大に迎えようではないか!」


 シャンッ──。

 同じくして廊下から神楽鈴の音が響き渡った。刹那、広間の空気がパシッと音が立つように変わった。そのひんやりとして、それでいてどこまでも澄んだ空気は、まるで真冬の朝のようだった。

 広間の外に目をやると、神楽鈴を持った巫女装束の千尋が厳かに広間の入口に立っていた。

 大叔父が高らかに宣言した。

「月夜の姫の輿入れぞ!」

 シャンッ──、シャンッ──。

 千尋が神楽鈴を鳴らしながらゆっくりと歩き始める。その後ろ、真っ赤な打掛を羽織った伊万里が両手を前できっちりと重ね、みなに向かって会釈をした。

 吸い込まれそうな黒髪と深紫こきむらさきの瞳、陶器のような白い肌、そして頭部には一本の角。深紅の鮮やかな打掛を着た月夜の姫は、まるで闇夜に咲く真っ赤な牡丹のようだった。

 さっきまで眉間にしわを寄せ、輿入れを批難していた連中もその美しい姿に息を飲んだ。

 神楽鈴が厳かに鳴り響き、千尋と伊万里は静かに広間の中央を進んでいく。

(良かった。伊万里に圧倒されてみんなが黙った)

 伊万里の姿に見ほれるみんなの様子を見ながら壬は内心ほっとした。

 しかし、彼女たちが広間の三分の一ほどまで来たとき、


 ゴトリ。


 客席からさかずきが伊万里の足下へと投げ込まれた。

「……え?」

 その鈍い音に千尋が思わず立ち止まり振り返る。伊万里も驚いた顔で投げ込まれた盃を見た。

 すると一人の藍色の羽織を着た老人が立ち上がった。

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