相手のいない花嫁(2)

  二人が部屋の中に入る。あさ美は全員の顔を見回してから話し始めた。

「婚儀の礼──、とは言ってもお婿さんがいないわけだし、実質的にはイマちゃんのお披露目式になると思ってもらっていいわ。イマちゃんをお披露目して、お父さんが口上を述べる。婚儀の礼はこれだけよ。本来ならある「三献さんこん」だったり「巫女舞みこまい」だったり、そういうものはいっさいないから。というわけで、六時になったら圭と壬は大広間へ来て。あなたたちは上座左側にお父さんや先生たちと一緒に座ってちょうだい。お客様が全員揃って準備が整ったら誰かを呼びによこすから、千尋ちゃん、あなたが先頭に立ってイマちゃんを連れて大広間へ来てね」

 一気に説明しながら、あさ美は朱塗りのお盆に置いてあった神楽鈴かぐらすずを取り上げ、千尋に渡した。

「はい、神楽鈴。大広間に着いたら、そのまま中央を通って真っ直ぐ上座へ進んでもらうわけだけど、進み方はもう大丈夫よね?」

「はい。午前中、家で何度も練習してきました」

「OK。じゃあ心配ないわね。イマちゃんを上座へ案内したら、そのまま右手へ下がる。私や千尋ちゃんのご両親もいるからその隣に座って。みんなが見てるだろうけど、ひるんじゃダメよ」

「はい」

「イマちゃんは、上座まで来たら中央に席を設けてあるから座ってちょうだい。分かっているだろうけど、広間に入る前と席に座る前にお客様に対して一礼を忘れないように。うるさいのがいるから」

「承知いたしました」

「あと圭と壬、あんた達も一応今回がお披露目みたいなもんなんだから、ちゃんと座ってなさいよ」

「分かったよ」

「じゃあ、私も大急ぎで準備しなくちゃね。あなたたちは、時間が来るまでゆっくりしてなさいな」

 そこまで言うと、あさ美は「よっこらしょ」と立ち上がり急ぎ足で部屋を出て行った。


 あさ美が部屋を出て行き四人だけになると、壬はようやくどかりと畳に座り込んだ。

「ふう~、やれやれ。何かしたわけじゃないのに、ただ疲れた」

 婚儀の礼が始まるまでまだ少し時間がある。千尋も受け取った鈴をもとのお盆にもどした。その横に圭が立ち、「巻き込んで悪いな」と千尋にささやいてから壬に言った。

「盆と正月が一気に来たみたいだね。俺、さっき知らないおじさんに『大きくなったなあ』って言われた」

「あ、それ俺も。すげぇ嫌な予感がする。何年か前に親戚・縁者が集まったことがあったじゃん。あの時、二晩騒いでたぞ。今日の集まり具合、その比じゃないし」

「そこはうまいこと逃げろと、義母かあさまが」

 伊万里が二人に言った。

「頃合いを見計らって早々に退出させるとおっしゃってくれました。皆さんもそれに乗じて逃げればよいかと、」

「でも、式ってどれぐらいあるんだ?いろいろ省略するって言ってたけど…」

 圭が尋ねると、千尋も小首を傾げた。

「三十分ほど? で、そのあと宴会が始まって……」

 すると、ふいに伊万里が立ち上がった。

「伊万里、どうした?」

「千尋、じっとしていて──」

 伊万里が千尋に歩み寄る。

「え? また、虫?」

 千尋は頭を抑え、顔を真っ赤にした。虫に驚いているというより、虫を頭に付けてばかりいる自分が恥ずかしくてしょうがないという感じだった。伊万里が千尋の頭に手を伸ばす。しかしその時、圭が伊万里の腕を掴んだ。

「おい、昨日も思ったけど、千尋をバカにしているのか?」

 伊万里が黙ったまま圭を見て、圭が鋭く伊万里を睨み返した。

「昨日も今日も、千尋の頭に虫なんか付いてない。ふざけるなっ」

「圭ちゃん……」

 千尋がおろおろになりながら青ざめる。壬も思わず立ち上がった。

「ちょっと待てよ、圭」

「なに? まさか、この状況でまだ庇うわけ?」

 確かに千尋の頭には何も付いていない。

(でも──)

 伊万里は悪ふざけや意地悪でこんなことをする奴じゃない。

 伊万里の真意をはかりかねて壬は彼女を見た。彼女はちらりと壬を見て、それからすぐに視線を千尋に戻した。

「ふざけてなどいません」

 伊万里が言った。

「ようく見てください。いますよ。しかも今度は──、少々大きい!」

 最後は鋭く言い放ち、伊万里は千尋の頭の左側、何もない空間を掴んだ。と、次の瞬間、

『ギギギーギッ』と板をくような鳴き声とともに何か黒い物が空間からずるりと出てきた。

「ひっっ?!」

 千尋がぎょっと顔を引きつらせ、とっさに圭が千尋を抱きかかえた。

「あぶないっ、千尋っ!」

「下がってください!」

 同時に、伊万里がその掴んだ黒い物を一気に引きずり出した。

 それは体に目玉模様がいくつもある大きなムカデような気味の悪い生き物だった。

「きゃああ!!」

 千尋が叫び声を上げる。壬は伊万里の手に絡みつく化け物に血の気が引いた。

「伊万里っ。手っ、手っっ! 巻き付いてる!」

「大丈夫です」

 落ち着いた声で答え、伊万里はうねって暴れるそれをしっかり掴んでいた。そして彼女の手から青白い炎がめらめらと燃え上がり、あっという間に化け物を包み込んだ。

 化け物が『ギイイーーーッ』っという断末魔を上げる。そして化け物ムカデは伊万里の手の中で燃え続け、黒い灰となって最後はぱあっと飛び散った。


「……い、今の……何?」

 圭に抱きかかえられながら千尋が震える声で呟く。伊万里は気遣うように千尋を見た。

「千尋、頭が痛くなったり、体がだるくなったり、そういうことありませんか」

「あ──……」

「今のは百目ムカデと呼ばれる雑蠱ぞうこの類いです。雑蠱とは虫みたいなもので、簡単に人間の手でも祓えるものもいますが、ものによっては憑かれると体に不調をきたします。にしても、屋敷の中でこの大きさは……。どうやって入ってきたのか」

 最後は独り言のように呟きながら伊万里は顔を曇らせた。そして彼女は雑蠱を焼いた右手を軽くさすった。手の甲に赤くひっかき傷ができていた。

「おい伊万里、切れてるぞ」

「大したことありません。大丈夫です」

 すると、

「姫ちゃん、手当てさせて」

 ふいに圭が言った。

「一応主役なんだし。千尋、おまえはもう大丈夫?」

「あ、うん」

「じゃあ、壬とここで待ってて。姫ちゃん、居間に救急箱があるから」

「ですが圭、このくらいすぐに……」

「いいから」

 圭はそう言うとさっさと部屋を出て行く。伊万里は戸惑いがちに壬を見たが、壬はそんな伊万里に頷き返した。それで彼女も圭を追いかけて慌てて部屋を出て行った。

(なんだ? 圭の奴……)

 とりあえず伊万里を促したものの壬はに落ちなかった。突然「手当をさせろ」なんてどういう風の吹き回しだろう。

 そんな壬の横で、千尋がぽつりと呟いた。

「かなわないな」

「千尋?」

「あんなに綺麗で優しくて強くて……、全然かなわないや」

 伏し目がちにうつむきながら千尋は両手をぎゅっと握りしめた。

 千尋が何を考えているか壬にはなんとなく分かった。

 いきなり伏宮の嫁として現れたライバルは非の打ち所のないお姫さま。千尋には伊万里がそんな風に見えているんだろう。

(じゃあ圭は?)

 ふいに壬は思った。圭にも少しは心の変化があったのだろうか?

 そう考えたとき、なぜか壬の胸がチクリと痛んだ。

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