3)初めてのお仕事

初めてのお仕事(1)

「……刀?」

「おうよ。無銘の刀だが、おまえたちのために東の刀鍛冶かたなかじにわざわざ打ってもらったものだ」

 黒糸で綺麗に巻かれた柄に黒光りするさや。紅い下緒さげおが黒に映える。

「持ってみろ」

 総次郎に促され、圭と壬は互いに顔を見合わせながら、差し出された刀をそれぞれ手に取った。

「重い…」

 圭が呟いた。総次郎が言う。

「その重みは、命を絶つ重みだ。これは、そういうもんだと心得こころえろ」

「………」

 壬は心の奥がかすかにたかぶるのを感じた。

 自分は、この重みを知っている。いや、むしろ軽く感じるくらいだ。ほむらを手にしたときの重みは、こんなもんじゃなかった。

 ふと横目で圭を見ると、彼は緊張しながらも高揚した面持ちで渡された刀をじっと見ている。まるで鏡に映った自分の姿を見ているようだった。


 一方、二人とは対照的に伊万里と千尋は、不安げな顔でその様子を見ていた。

「次郎さま。恐れ入りますが、これは一体どういうことでしょう?」

 伊万里が言った。総次郎が真面目な顔で彼女を見返した。

「どうもこうも、見たとおりだ。事態は思った以上に早く進んでいる。すでに谷のそこかしこに大小さまざまなあやかしが入り込んできて、中にはたちの悪いやからもいる」

「…壬や圭に、この刀でもって外敵を始末しろとおっしゃるのですか?」

「谷を守るのは、伏宮本家の仕事だ」

「ならば、私が打ち果しにまいります」

「おまえの仕事はそこじゃねえだろ、伊万里」

 総次郎が言った。そして彼は、厳しい目を伊万里に向けた。

「そんな暇があるのなら、月夜つくよの姫としての務めを果たせ。妖刀・ほむらの封も解け、日ごと九尾の結界が弱まっている。おまえは、この状況をどう考えている?」

「それは──」

 伊万里が言葉に詰まり下を向く。すると、壬が片手を広げ、そんな彼女をかばった。

「ごちゃごちゃうるせえよ。要は、俺らで何とかすればいいんだろ?」

「話が早くて助かる。そういうことだ」

 総次郎がニヤッと笑った。

「ごちゃごちゃ言うのはこっちも性に合わねえ。あとは行ってから説明する。伊万里と千尋は留守番だ。きよ屋の箱に封でも施しておけ」

 言って彼は立ち上がった。




 谷ノ口は、その名のとおり伏見谷のはいり口ともいえる場所だ。御前みさきから続く大きい道路からそれ、川を渡って山へと続く入り道、それが谷ノ口だ。川を渡る橋は決して大きいわけでも立派なわけでもなく、どこにでもあるような田舎の小さな鉄橋だが、普段からそこを通ると空気が変わるのは壬たちでも分かった。

「九尾の結界は御前みさきのあたりから奥谷おくたにまで広範囲たが、谷ノ口から奥谷までは、特に強力な結界に守られている。この尾振おぶ川が境界線よ」

 総次郎が橋のたもとに立ち、御前の方角から奥谷の方角までぐるりと指さした。

「伏見谷はいわゆる霊場だ。大地と空と、そしてそこに生きるものの気を取り込んで谷そのものが生き物のごとく息づいている」

 辺りはすっかり日が暮れて、夕闇に包まれいた。壬は、そこかしこで、ぞわぞわと何かがうごめくのを感じた。

「焦るなよ、壬。夜の始まりなんてのは、いつもこんなもんだ」

 そわそわしている壬を見て、総次郎が言った。圭が彼に質問をする。

「ジロにい、どうして谷にあやかしが集まるの?」

「…贅沢ぜいたくな持てる者の質問だな」

 総次郎が皮肉げな笑みを圭に返した。

「生まれてからずっと谷の霊気に包まれて育ってきたおまえたちには分からないだろうがな、あやかしにとっても現世は案外生きづらい。アスファルトとコンクリートのかたまりからは何も感じず、あるのは人間どもの雑念のみ。そりゃ、喉も乾くわな」

「助けを求めて谷に来るってこと?」

「そんな可愛いもんじゃねえ。力を求めて来るんだ。だが、そうなるともうダメだ。いびつに曲がったたまは、谷の息づかいそのものをおびやかす。ほふる以外にない」

「そんなにすごい場所なら谷を乗っ取ろうとする奴はいねえの?」

 今度は壬が質問した。総次郎が不敵に笑った。

「普通はいねえな。谷には、御前みさき神社と奥谷おくたにぬし、そして俺たち稲山や猿師えんしもついてくる。谷と事を構えようなんて奴は、余程のバカか…でなければ九尾をしのぐ本物の才か、まあどちらかだ」

 そして総次郎は二人の前にしゃがむと、それぞれの刀の下緒さげおをジーンズのベルトループに結び付けた。

「これからは普段からこの状態で脇に下げておけ。特別な下緒だからな、結び付けておけば刀を隠し持つこともできる」

「…普段からって、学校は?」

「学校もだ」

 総次郎が壬の尻をばんっと叩いて立ち上がる。そして彼はざわつき始めた山を見上げた。

「気合を入れろ。山に入るぞ」

 壬と圭は緊張した顔でこくりと頷き返した。




 伊万里と千尋は、玄関先の庭の縁側で総次郎たちが帰ってくるのを待っていた。箱への封印など、あっという間に終わってしまい、あとはひたすら待つだけだった。

「二人とも大丈夫かな?大怪我おおけがとかしてないといいんだけど」

 千尋が心配そうに言った。伊万里がにこりと笑う。

「大丈夫ですよ、次郎さまもついていますし。初めてで危険なことはさせないと思います。それよりも…」

「?」

「ひどく疲れて帰ってくるのではないかと、そちらが心配です。真剣を振るい、何かの命を奪うことは半端な気持ちではできません」

 言いながら、伊万里はもうひとつ心配していた。


 妖刀・焔が現れて、壬が焔を使ってしまうのではないか──。


 焔が今どうなっているのか、伊万里は知らない。猿師が、あれを封じることはできないと言った以上、あとは忘れるしかないというのが、伊万里の結論だった。

(せっかく忘れようとしていたのに、なかったことにしようと思っていたのに……)

 普通に高校生をしていれば、こんな心配をする必要もなかった。

「イマ?どうしたの?」

 急に黙りこくる伊万里を千尋が心配そうに見た。伊万里が慌てて笑い返した。

「なんでもありません。それより、今日は千尋を誘ってちょうど良かった。私だと、傷の手当はできても疲れた圭のお世話はできませんから」

「や、私も傷の手当くらいしかできないってっ」

 千尋が照れながら答える。

「そうだ、イマって傷をいやしたりできる?」

「傷ですか?」

「うん。なんかできそうだと思って」

「その者が持つ本来の治癒力を高めることはできます。ああ、でも…」

「?」

「うちには、義母かあさま特製の塗り薬がありますから」

「ああ、あれね! ははっ、圭ちゃんがまた嫌がりそうっ」

「でも、場合によっては全身に塗らないといけないかもしれません」

 二人は、塗り薬を全身に塗った圭と壬の姿を想像し、思わずプーッと吹き出した。 

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