初めてのお仕事(3)

 たかぶった気持ちを風に流した後、大広間で壬と伊万里が涼んでいると、千尋が圭と一緒にやってきた。

「壬ちゃん、お風呂あいたよー」

 千尋が自分たちの存在をアピールするように廊下から大声を出した。

「夜だぞ、もっと静かに呼べよ」

「だって、突然行ってお邪魔だったらいけないでしょ?」

「なんの気づかいだ?」

 壬が鬱陶うっとうしそうに千尋を睨んだ。とはいえ、確かにタイミング次第では、さっきの乱暴な姿を二人に見られていたかもしれないのだから、千尋の言い分も一理ある。

 圭は少し落ち着いたらしく、いつもの温和な顔に戻っていた。無造作に顔にかかった洗いざらしの長い髪をかき上げ、彼は少し気まずそうに壬と伊万里を見た。

「さっきは、ごめん。みっともないところ見せちゃって…」

「圭もお疲れさまです」

 伊万里が笑い返した。

「ここ、涼しいですよ。少し涼んだらいいと思います。壬はお風呂に入ってください。私はグラスを台所に返し、寝間ねまの用意をします。千尋は……私と一緒に寝ますよね?」

「ももも、もちろん。他に誰と寝るっていうの???」

「や、なんとなく。確認です」

 すると圭が苦笑した。

「大丈夫。千尋はちゃんと姫ちゃんに返すから」


 圭たちと別れ、壬は風呂場へ伊万里は台所へ行った。すると、あさ美が再び徳利とっくりを用意しているところだった。

「次郎さま、おかわりですか?」

「ええ。今日は月が綺麗だからかしら。お酒がすすむらしくて」

義母かあさま、私が持っていきます」

「あら、頼んでいいの?」

「はい」

 伊万里は徳利とっくりの乗ったお盆を持った。


 縁側に行くと、総次郎が煙草をくゆらせ酒を待っていた。

「ん? なんだ、伊万里が持ってきてくれたのか」

「はい」

 言って伊万里は総次郎のかたわらに膝をつくと、徳利とっくりを差し出し傾けた。総次郎が、その徳利を伊万里から奪い取る。

「嫁入り前の娘がしゃくなんて、男慣れした真似をするな」

「す、すみません」

 伊万里が恐縮して頭を下げた。総次郎は手酌てしゃくで酒をぐい飲みにそそいでから、くわえていた煙草たばこを灰皿に押しつけた。

「壬も風呂に入ったか?」

「はい、今しがた。あの、次郎さま」

「ん?」

「夕方は、出過ぎたことを申しました。お許しください」

「……おまえは、あれだな。なんでも抱え込みすぎだ」

 総次郎が言った。

「圭も壬も本家の狐だ。本人ら、普通に高校生やっているがな、普通じゃない。そこをおまえが守ろうとしなくていい。普通じゃない奴らが、普通にしてたことがおかしいんだから」

百日紅さるすべり先生が、必要がなければ壬も圭も力は解放されないと、そうおっしゃっていました。とすれば、狐火さえ灯せないことが、壬たちにとって普通だったのではないですか?」

「今まではそうかもな。でも事情も状況も変わった。そして、それは伊万里、おまえのせいじゃない」

 言いながら総次郎がぐい飲みを口に運んだ。

「そういや今日、煙草を買いに荻原商店に行ったら、近所のガキが遊びに来てて、おまえのことを話していたぞ。いつも遊んでくれるって」

「ああ、買い物に行ったときによく会うんです」

 伊万里が答えると、総次郎はほんの少し黙り込んだ。そして彼は、優しげな、しかし鋭い目で伊万里を見た。

「それだけ?……何か、話したいことあるだろう?」

 含みのある言い方に伊万里が一瞬ぎくりとした顔をした。しかし彼女は、さっと表情を元に戻すとにこりと笑った。

「いいえ、何も」

 総次郎がふうっと大きなため息を吐く。

「おまえがいろいろ遠慮して暮らしてるってのは分かるけど……。壬にも話せない? 壬は、そんなに頼りない?」

「ち、違いますっ」

 すぐさま伊万里が否定した。そして彼女は、総次郎から顔をそらしてうつむくと、まるで自分に言い聞かせるように呟いた。

「壬に心配をかけるわけにはいかないので……」

「壬はそうは思ってないだろ」

「だから、ダメなんです。壬は自分のことをかまわないから」

 伊万里が言った。

「私なんかのために、壬は無茶ばかりするんです。呪詛じゅそで穢れた手を握ったり、魂を喰らう妖刀を振るったり、後で自分がどうなるかなんて全然考ない。今日だって、月夜の姫としての務めを果たさない私をかばって──」

 そこまで言って、伊万里は膝の上で両手をぎゅっと握りしめた。

「私、本当に疫病神やくびょうがみなんです。なのに壬は全部受け止めてくれるから……。だから、これ以上、甘えてはダメなんです」

 総次郎が伊万里の頭を優しくなでた。そして彼は、そのまま彼女の頭を自身の胸元に引き寄せた。

「誰か、おまえのことを疫病神やくびょうがみだなんて言ったか?」

 伊万里が無言で頭を振る。

「だったら本家の嫁として胸を張れ」

「……」

 伊万里は何も答えない。しかし、しばらくして彼女は小さく頷いた。

 総次郎が伊万里を離し、頭をもう一度なでた。

「明日、いいところに連れていってやる。壬たちと一緒に山に来ればいい」

「いいところですか?」

「そう。とっておきの場所だ」


 不思議な人だ、と伊万里は思った。


 厳しいようでとても優しい。つかみどころがないかと思えば、こちらの胸の内にすっと入り込んでくる。壬たちが「ジロにい」と呼んで、慕っているのもよく分かる。

(どこか壬に似ている……)

 伊万里はあらためて総次郎を見た。

「壬も次郎さまのように、素敵な大人になるでしょうか」

 思わず伊万里は呟いた。総次郎がぷっと吹き出した。

「なんだ、伊万里。俺に惚れたか?」

「ちっ、違います! ただ、ちょっと似てるなと思っただけで──。壬も次郎さまと同じ次男ですから、似てるところがあるのかと……」

 すると総次郎が「あんなガキと一緒にするな」と笑った。

「それに俺、長男だぞ。言ってなかったか?」

「え? だって、さまって──」

「稲山は長男でも『太』や『一』は絶対に使わない。だから俺も総次郎」

「どうして?」

「そりゃ、分家としてのいましめみたいなもんだ。絶対に長にはならないっていう意思表示だな」

「そういえば、大叔父さまも勝さまです」

「だろ?」

「私、今日一番のなるほどです!」

 伊万里が感心したように言うと、総次郎が「かかか」と笑った。

「伊万里、やっと笑ったな。いつもそうして笑ってろ。女は笑ってなんぼのもんだ」

 はにかみながら伊万里は小さく頷いた。

 その時、

「なにやってんの?」

 壬の声がして、伊万里と総次郎が振り向くと、部屋の向こう側の廊下に風呂から上がった壬が立っていた。

「千尋が部屋に行っても伊万里がいないって探していたぞ」

「あっ、寝間の用意をしないと!」

 伊万里が慌てて立ち上がった。

「次郎さま、おやすみなさいませ」

「ああ、おやすみ」

「壬もおやすみなさい」

 伊万里がそそくさと部屋を後にする。すれ違いざま、笑顔の伊万里の目元が少し腫れているのが見てとれて、壬は違和感を覚えた。同時に彼女から煙草たばこの移り香がして、壬は胸の内がチリッと焼ける感じがした。

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