初めてのお仕事(4)

 壬は伊万里を見送ってから総次郎に尋ねた。

「何を話してたの?」

「別に、世間話」

「にしては、伊万里が楽しそうだった」

「俺はおまえらと違って話の質が違うんだよ」

「ああ、そうかよ」

 話をはぐらかされるのが分かった。それで壬が立ち去ろうとしたとき、

「おい、壬」

 総次郎が彼を呼び止めた。

「なに?」

「伊万里に変わった様子はないか?」

「変わったって、別にないけど……」

「そうか」

「なんだよ?」

「惚れた女ぐらい、ちゃんと見とけ」

「どういう意味?」

「そのまんまだ。あとは自分で考えろ」

 言って総次郎は、再び酒を飲み始めた。もう話はおしまいだという態度に、壬も引き下がるしかなかった。

「おやすみ」

 壬はそれだけ言って、もやもやとした気持ちのまま部屋を後にした。



 次の日も壬たちは、谷ノ口へと出かけた。今日は千尋や伊万里、阿丸も一緒で、昨日より明るいうちから家を出てきた。

「昨日、そこそこ始末したから、今日の山は静かだろ。早いうちに小物こものをサクッと片付けるからな」

 総次郎が山道を歩きながら子どもたちに言った。

 伊万里は阿丸に乗った千尋と並んで歩いている。Tシャツにジーンズというラフな格好で、雑蟲ぞうこ退治というより、きのこ狩りに来たといった感じだった。

 壬が伊万里に言った。

「別に来なくても。ピクニックってわけじゃないのに」

「私も何かお手伝いできるかもしれないですし、それに次郎さまが一緒に来ればいいとおっしゃってくれたので」

「ジロにいが?」

「はい。夕べ、いいところに連れて行ってくれると約束してくれました」

 伊万里が嬉しそうに答える。壬は少し複雑な気持ちになった。

「昨日、ジロ兄と何を話してたんだ?」

「何って、たわいもないことですが──ひとつだけ、」

 伊万里が得意そうに笑う。

「次郎さまがご長男だということを知りました! お名前に『次郎』がつくので、てっきりご次男だと思いこんでいて」

「ああ、そんなこと」

「でも、なんだか次郎さまの秘密を知ったような気持ちになりました」

「別に、秘密でもなんでもないし」

 壬がそっけなく返した。伊万里が、次郎、次郎と連呼するのが耳に障った。

 結局、夕べ言われた「ちゃんと見とけ」の意味が分からない。伊万里は総次郎に何を話したというのだろう?


 と、その時、


 左の森の中から、バリバリと音がした。

「なにか来る!」

 壬と圭が刀の柄に手をかけた途端、大きな二メートルぐらいの黒い蜘蛛が飛び出してきた。

「これっ、昨日やっと倒したヤツ──!」

「あ~、なんだ土蜘蛛つちぐもか。トドメを刺さなかったな、おまえら」

 ひょいっと後ろに退しりぞきながら総次郎が涼しい顔で言った。

「あやかしも手負いにするとやっかいだぞ。ほら、怒ってる」

「何を悠長に……! 今日の山は静かなんじゃなかったのかよ?!」

「これのどこが小物なわけ??」

 壬と圭が総次郎に突っ込む。総次郎がうるさそうに耳の穴に指を突っ込んだ。

「人生の大半は、思い通りにいかないんだよ。ぐたぐた言ってないで、早くしないと──」

 言って彼は阿丸に乗った千尋を見た。


「今日はえさがいるから」


 刹那、土蜘蛛つちぐもがくるりと千尋に狙いを定めた。

「え、私──?」

「千尋っ、下がってください!」

 伊万里がとっさに千尋の前に立ち、くうに右手で大きな円を描く。ぽうっと光の円陣が盾のように浮かび上がった。

 総次郎が「ほほう」と感心した声を出した。

「さすがに状況を読むのが早いな。狂ったやからは、千尋みたいな清浄きれいなの大好きだからなあ」

 壬が抜いた刀を総次郎にブンッと向ける。

「おいっ、のん気に見てないで助けるとかしろよ!」

「なんで。自分のケツぐらい自分で拭け。これ、おまえらの取りこぼしだろ」

 圭も腹立たしげに総次郎を睨んだ。

「ジロ兄、知ってたね……。危ないの分かってて、千尋も連れてきたわけ?」

 すると、総次郎が「なーにイケメンぶってんだ?」と皮肉たっぷりに笑った。

「夏祭り、人気ひとけのない場所に千尋を連れ込んでイチャついてたところを九洞方くどぼうに襲われたって聞いたぞ?」


「イッ──?!」


 刹那、圭が顔を真っ赤にさせた。伊万里が両手で頬を押さえて「えー?!」と驚きの声を上げる。

「そそ、それは聞いてません!! 千尋、どういうことですか?! 以前、夏祭りでは何もなかったって言っていたじゃないですか!」

「姫ちゃん、そこ食いつかないっ。っていうか、いつも二人で何を話し合ってんの??」

 千尋も慌てて顔を左右に振る。

「本当に何もないっ。あるわけないし、ありえないっ!」

 総次郎が「かかか」と笑った。

「全力で否定されてるぞ、圭」

「うるさいっ!」


 黒い大蜘蛛がガリガリと地面を蹴って動き出した。

「おいっ、圭!」

「分かってるっ」

 壬と圭はすかさず大蜘蛛の足元に入った。そして、前脚を狙って刀を振り下ろす。刃が前脚の関節に入り、ガキッという鈍い音がした。

 昨日も思ったが、とても硬い。一回じゃ斬り落とせない。

 後ろでは伊万里と千尋がまだ夏祭りの一件をきゃあきゃあと言い合っている。

「も、何このカオス感……」

 土蜘蛛と対峙しながら圭がげんなりした声で呟く。壬は総次郎を睨んだ。

「ジロ兄、あんた何しに伊万里たちを呼んだんだよ??」

「そりゃ、おまえたちへの嫌がらせ?」

 しれっとした顔で総次郎が答える。

「女抱きたきゃ、いいとこ見せろ」

 二人はかっと頭に血が上った。

「こんっの──!!」

「野郎!!」

 同時に二人は渾身の力を込めて再度刀を振り下ろした。前脚まえあしの二本がガキンッと吹っ飛び、土蜘蛛つちぐもが前のめりになった。刹那、伊万里の声が響いた。

「壬っ、圭っ、土蜘蛛つちぐもは頭部だけ柔らかです!頭を狙ってください!!」

 二人は地面を蹴って飛び上がった。しかし、土蜘蛛が起き上がり、残りの脚で壬たちに襲いかかった。壬たちはとっさに刀で土蜘蛛の脚を受け止めたが、そのまま後ろに飛ばされた。

「ってぇー…」

 斬った土蜘蛛の前脚が、ずぶずぶと膨れ始める。圭が「おい、再生するぞ」と呟いた。

 その時、

「やれやれ、面倒なヤツだな。普通の蜘蛛じゃない。こりゃ、どこかにボスがいるな」

 総次郎がやんわりと壬たちの前に歩み出た。

「今のおまえらじゃ無理だわ。ちょっとそこで伊万里と千尋を守ってろ」

 言うなり、総次郎が地面を蹴って一気に前に飛び出した。そのまま彼は鋭く水平に剣を振る。切っ先が綺麗な弧を描き、ヒュンッと空を切る小さい音が響いた。

 次の瞬間、土蜘蛛の脚がすべて切り落とされ、支えを失った土蜘蛛がどおんと地面に転がった。

「すげえ、あの硬い脚を一気に斬った……」

 総次郎の早業に圭が息を飲む。総次郎はひょいっと土蜘蛛の体の上に飛び乗ると、圭と壬を見た。

「ようく見とけ。こいつは燃やすのが一番だ」

 そういった途端、総次郎の刃が炎に包まれた。

 伊万里と壬は「え?!」と驚いた。

 

 刀身に炎をまとうなんて、まるでほむら──。


 総次郎がその刃を土蜘蛛の頭に突き立てる。

 土蜘蛛が一気に炎に包まれ、鈍い鳴き声を上げた。そして総次郎は土蜘蛛から飛び降りると、燃える土蜘蛛に向かって刀を大きく振り抜いた。

 硬い体を持つ土蜘蛛が、ばすっと真っ二つに割れた。

「つ──」

「強い……」

 壬が呟きかけたとき、それにかぶせるように伊万里が呟いた。

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