5)約束は災いのもと

約束は災いのもと(1)

 次の週から文化祭の準備がいよいよ本格的に始まった。クラスでは、当日の担当の班分けをし、それぞれに何役をするかをみんなで決めた。それからは、それぞれ衣装係と道具係に分かれて、当日の衣装や小物、お化け屋敷のための大道具などの作成を始めた。


 その週の終わり、壬たちは再び剣道場を訪れた。伊万里の姿を見つけるなり、五里がまたしても駆け寄ってきた。

「姫、俺に会えなくて寂しくなったのか?」

「いいえ、全く違います」

 ぴしゃりと答え、伊万里はポケットからメジャーを取り出した。

「今日は来週からの会場準備のために、いろいろと計りにきました」

「隅で勝手にやるから、おまえは最後の部活してろ」

 壬が手の平をひらひらさせて五里を追い払う。五里が「むうっ」と不満な声を上げた。そして彼は、集まり始めた部員に向かって声をかけた。

「おい、マネージャー!」

「はいっ」

 ジャージ姿の女の子が一人、こちらに走ってきた。

「彼女は、俺の将来の妻だ。丁重に扱ってくれ」

「はあ、」

 顔をしかめながら頷く彼女は、保健室で壬が会った大橋モモだった。

「壬先輩、こんにちは!」

 五里がいなくなると、彼女は元気よく言った。

「おまえ、マネージャーだったんだな」

「はい。こちらはうちの主将を打ちのめした月野先輩ですね。わあ、近くで見るとさらに美人! 明日、友達に自慢します!」

 伊万里が「まあ、」と嬉しそうに笑う。

「笑顔がまるで完熟の桃のように可愛い方ですね」

 モモが顔を真っ赤にした。

「それ、ほめてくれているんですか?」

「もちろんです。私の大好きな方が『女は笑ってなんぼだ』と言っていました」

「大好きな方?」

 モモが壬を見る。壬は「俺じゃない」と否定しながら、そんなことを言うのはきっと総次郎に違いないと思った。

(どんだけ好きなんだよ、ジロ兄のこと)

 伊万里の言い方に恋愛的なものは一切感じなかったが、それでも彼女が総次郎をとても慕っていることは十分にわかる。思えば、伊万里は人懐ひとなつっこい。初めて会ったとき、あっという間に自分とも仲良くなった。そこに運命的なものを感じないでもなかったが、そもそも誰にでもなつくのかと思ったら軽く腹立たしささえ感じてしまう。

「今日、木戸のヤツは?」

 壬が尋ねると、モモが「いますよ」と指さした。木戸が気づいてペコリとお辞儀をする。

「相変わらず、毎日やられてますけどね。で、今日は準備ですか? ここでお化け屋敷をやると聞きましたけど」

「そう。悪いな、巻き込んだみたいで」

「全然、大丈夫。それで、どんなお化け屋敷なんですか?」

 すると伊万里がよくぞ聞いてくれたとばかりに答えた。

「恋が叶う、恋愛成就のお化け屋敷です。ぜひ、モモさんも来てください」

「恋が叶うんですか?」

「はい。誰か、お目当ての方はいらっしゃいますか?」

「えっ、それは……」

 モモが焦った様子でうつむいた。ちらりと上目遣いで木戸を見る。伊万里が「ふふふ」と笑った。

「モモさん、必ず来てくださいね! 約束ですよ」


 教室に戻ると何人かの生徒がまだ残って作業をしていた。

「みなさん、ありがとうございます」

 伊万里が声をかけると、みんなが笑顔で答えた。

「なに言ってるの。みんなでやるもんじゃない」

「今日は塾がないから大丈夫」

「私も手伝います」

 すると、壬が申し訳なさそうに言った。

「でも伊万里、俺もうそろそろ帰らないと」

「ああ、今日も見回りですね。では、私だけ残ります」

「おまえだけ?」

「はい。よろしいですか?」

「いいけど。伊万里、一人で帰ってこれる?」

「もちろんです」

「本当か? 今日は圭も千尋も先に帰ってしまったし──」

 壬がぐだぐだと言う。伊万里は苦笑した。

「大丈夫です。玄関まで見送りますから、さあ、バッグを持って!」

 言いながら、彼女は壬にバッグを持たせると背中を押して教室の外に追い出した。そして、半ば強引に壬の腕を引っ張り玄関まで連れて行った。

「ちゃんとバスに乗れるのか?」

「もう、乗れますよ。子供ではありませんから──」

 その時、

「壬くん、」

 壬を呼び止める声がした。振り返ると、玄関口に大川杏奈が立っていた。あの日以来、杏奈は文化祭の準備も手伝おうとせず、クラスの中で孤立していた。

「ちょっと話があるんだけど……」

「話?」

「うん。できれば二人で」

 言って彼女はちらりと伊万里を見た。いつもの勝ち気な杏奈とは違い、少し深刻な顔をしている。

「大川、どうかした?」

 壬がそんな彼女に歩み寄ろうとした時、伊万里が彼の腕にぎゅっとしがみついた。

「話とはなんでしょう?」

 言って伊万里は杏奈を鋭く見返した。

「壬は用事があって帰るところです。話があるのならここで」

「二人で話したいって言ってるでしょ?」

「………」

 しかし伊万里は譲らない。じっと彼女を見返して壬から離れようとしない。

「おい、伊万里?」

「いやです」

 伊万里が首を左右に振る。杏奈がいらいらした口調で言った。

「ただの妹レベルの同居人のくせに、邪魔しないで」

「……じゃない」

「は?」

「妹じゃない!」

 伊万里がきっと杏奈を睨んだ。

「妹などではありません。私はれっきとした伏宮本家の──んっんん!」

 とっさに壬が伊万里の口を塞ぐ。壬は伊万里を引きずって杏奈から距離を取ると、彼女に聞こえないよう囁いた。

「おまえ、何を言い出すつもりだ!」

「あの者が分からないことを言うから、分からせてやるまでです」

「おまえが嫁だなんて言ったら、それこそ大騒ぎだぞっ」

「何か問題でも?」

「大ありだ!」

 そのやり取りを離れて見ていた杏奈が腹立たしげな表情を浮かべた。しかし、彼女はすぐに顔を背けるとそのまま黙って走り去った。

「おいっ、大川!」

「壬、どうするつもりですか?」

「どうもこうも、話があるって言ってただろ」

「千尋に嫌がらせをしてきた張本人ですよ」

「でも、様子がおかしかった」

「だから? 二人きりで話をするんですか?」

「そりゃ、話を聞くぐらい──。ってか、腹を立てているのは分かるけど、大川は俺に話があるって言ってただろ。なんでおまえが拒否るんだよ、関係ないだろ」

「関係ないって──」

 伊万里が困惑した表情を返す。そして彼女は壬の体をとんっと突き放した。

「もう、いいです」

 伊万里は、いらだった目で壬を一瞥してからふいっと顔を背けて行ってしまった。

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