転校生のお約束(4)

 伊万里の手合わせの申し出に、五里が顔を引きつらせながら笑った。

「俺はこれでも県大会で準決勝までいったんだぞ! 防具もつけていない女相手に手合わせなんかできるか」

 すると伊万里がくすりと笑い返した。

「防具も竹刀も、下賤げせんの手合いに必要ありません。あなたさまの相手など、素手で十分です」

 五里がわなわなと震える。

「……俺が勝ったらどうするつもりだ?」

「どうとでも。あなたさまのお好きに」

「じゃあ、ここで俺に土下座……いやっ、俺にキスだ! 勝ったら、キスしてもらうからな!!」

「はあ、あなたさまらしいご要望で」

 伊万里がやれやれとため息をついた。そして彼女は、両手をきちんと前で合わせた。

「さあ、つべこべ言わずにおいでなさいませ」

「構えもせずに、つくづく舐めやがって。あとで泣いても許さねえぞ!」

 五里が飛びかかった。上段から竹刀が振り落とされる。伊万里はくるりと身を捻りながらそれをかわして、すかさず五里の脇に間合いを詰めた。そして、竹刀を持つ五里の腕をがっと片手で押さえ、もう片方の手の甲で彼を激しく突いた。

 五里がぐらっと体勢を崩す。

「てめえ──、」

「この程度で私を打ち果せるとでも?」

 伊万里はそのまま五里の腕を捻り返して彼から竹刀を奪い取ると、今度はそれで激しく肩を打ちつけた。さらに彼女は、彼の懐にもう一撃喰らわせた。

 どたんっ!

 五里が無様に尻もちをついた。すかさず伊万里が竹刀を高らかに振り上げる。彼は慌てて伊万里に向かって片手を上げた。

「待った。ま、まいった──!」

 伊万里が一瞬ぴたりと止まり、冷めた目で五里を見た。

「まいった? ここでの鍛錬に待ったもまいったもないのでしょう?」

「そ、それは──」

「これも鍛錬にございます。お覚悟なさいませ」

 伊万里がするどく五里へ竹刀を振り下ろす。しかし、刹那、竹刀を持った壬が二人の間に割って入り、伊万里のひと振りを受け止めた。

「こんなところで、なーにやってんのかなあ?」

「壬!」

 伊万里がぱっと後ろに下がる。

 壬は竹刀の先を伊万里に向けた。伊万里が壬を睨み返した。

「どいてください。そのような輩、助ける価値もありません」

「転入早々、素人しろうと相手にふざけんじゃねえよ。大人しくしてろって言ってるだろ」

「おい、伏宮。素人しろうとって、俺は県大会で──」

「てめえは黙ってろっ」

 壬が五里を一喝する。五里は「ひっ」と縮こまった。

「まったく──。引かねえって言うのなら、ちょうどいい気晴らしだ。俺が相手をしてやる」

 壬のひと言に伊万里が真顔になった。

「では、遠慮なく」

 言った瞬間、伊万里がぐんっと間合いを詰めた。下段から鋭い一撃が放たれる。壬はそれを寸でのところで受け止めた。そして、互いの竹刀で押し合いながら壬が伊万里に言った。

「おまえ、剣まで振るえるのかよ。うちじゃ見てるだけだっただろ」

「たしなみ程度ですので、私が入ってはお邪魔かと」

「おまえのたしなみは、いったいいくつあんだ!」

 壬が力任せに伊万里をはね退けた。伊万里が体制を崩しなから後ろに下がる。しかし、すぐに踏みとどまると、彼女は一転してそこから鋭く切りかかった。観衆から「あっ」と声が上がった。

 しかし次の瞬間、壬の竹刀が伊万里の竹刀を弾き飛ばした。そして彼は竹刀を伊万里のあご先で止めた。

「悪いけど、打ち合いじゃ『たしなみ程度』に負けねえよ」

 わあっと両者の決着に大歓声が起こった。

「イマ、大丈夫?」

 千尋が伊万里に走り寄る。

「大丈夫です」

 伊万里は手首をさすりながら不服そうに頬をぷうっと膨らませた。しかし、すぐに木戸のもとに歩み寄った。

「大丈夫ですか?」

「はい。大丈夫です」

 言いながら木戸が防具の面を取る。五里とは対照的な優しい顔の地味な部員だったが、しっかりとした目で伊万里を見返した。

「ありがとうございます。でも、本当に大丈夫です」

「だめです、手当てをしないと。さあ、私と一緒に保健室へ──」

「俺がやる」

 すかさず壬が木戸の腕を掴んだ。

「おまえ、名前は? 一年か?」

「はい。一年の木戸きどと言います」

「木戸ね。おい伊万里、」

「はい」

「先に玄関で待ってろ。こいつ手当てしたらそっちに行くから」

「私も行きます」

「来なくていい」

 ぴしゃりと言って、壬は一年の木戸を連れて歩き出した。しかし彼は、剣道場を出る間際にくるりと振り返り伊万里に言った。

「お・と・な・し・く、待ってろよ」

 伊万里が納得しかねる顔でしぶしぶ頷いた。



 保健室には誰もいなかった。

「あー、花ちゃんどこ行った。とりあえず、絆創膏と湿布でいいか?」

 木戸を丸椅子に座らせ、壬は薬棚をがさごそと探した。木戸が戸惑いがちに答える。

「俺、一人で出来ます」

「背中ぐらい俺が貼ってやるよ。ほら、脱いで」

「すみません。さっきの女の人、待っているんじゃ……」

「ああ、気にするな。うわっ、けっこうあざになってるぞ。いつもあんな感じなのか? 剣道部ってのは」

 木戸の体にはあちこちに痣があり、昨日今日のものではないものも見受けられた。

 壬は湿布を木戸の背中に貼りながら彼に言った。

「部外者が言うのもなんだけど、顧問に相談した方がいいぞ」

「俺が弱いからしょうがないんです」

 木戸が笑いながら答える。

「俺、見たとおり背も小さくて力もないし、高校では少しでも男らしくなろうと思って剣道部に入ったんですけど、やっぱりダメですね」

 そして彼は、肩越しに壬を見た。

「伏宮先輩は強いんですね。五里主将が女の人に打ち負かされたのも初めて見ましたが、それにも勝ってしまうなんて」

「まあ、俺は子どもの頃からやってるから。それに、おまえのこと弱いとは思わなかったけど」

「弱いですよ。五里主将にはやられっぱなしで、何ひとついいところを見せることもできないし。伏宮先輩も見ていたじゃないですか」

「まあ、そうなんだけど」

 しかし、それでも木戸を弱いと感じなかったのはなぜだろう? 壬は自分が言った言葉をうまく説明をすることができず、そのまま口ごもった。

 その時、保健室の戸がガラガラと開いた。

「木戸くん、大丈夫?」

 ショートカットの小柄な女の子が血相を変えて入ってきた。

「また、ゴリラにやられたって聞いて……。わっ、伏宮壬先輩?!」

 壬に気づいて、女の子が顔を赤らめ両手で口を覆った。

「誰? クラスメイト?」

 壬が尋ねると、女の子が頷いた。

「はい。木戸くんとは同じ中学校で。橋本モモと言います」

「ああ。木戸と同中おなちゅうね。俺、どこかで話したことあったっけ?」

「まさか。壬先輩と圭先輩は、一年でも有名ですから。偶然でも話せるなんて、明日友達に自慢できます!」

「はは、大げさだな」

 笑顔が熟れた桃のように真ん丸だ、と壬は思った。そして彼は、湿布を貼り終えると立ち上がった。

「じゃあ橋本、あと頼んでいい?」

「もちろん!」

 モモが元気よく答える。

 同じ中学校出身とはいえ、心配して保健室まで来るところをみると、おそらく自分は邪魔者に違いない。それに、玄関で待たせっぱなしの伊万里のことも気になった。

「じゃあ、行くわ。また、何かあったら俺に言えよ」

「はい。あの人──、月野先輩にもお礼を言っておいてください」

「分かった」

 そう答えると壬は保健室を後にした。

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