最終話 谷の狐と鬼の姫(2)

 別邸の離れの部屋では、伊万里が上半身の服を脱いで仰向けに寝かせられ紫月の治療を受けていた。だいたいの傷は完治したのだが、左腕の大きな火傷やけど蠱毒こどくの腹部の傷がまだ残っている。

 紫月が患部に自身の手を当て、静かに目を閉じた。しばらくすると、彼女の手が柔らかい光に包まれた。

 簡単そうに見えるが、これは紫月にしかできない治療法だ。

 紫月が伊万里の波長に合わせて大地の気を患部に送り込んでくれているわけだが、自分の気と相手の気、そして大地の気の三者と同調する必要があり、これが出来る者はそういない。

 いわば、彼女は同調のスペシャリストだ。そして、その傍らでは千尋が紫月のやることを興味深く眺めていた。

 紫月は明るく気立ての良いお姉さんのような鬼で、短い滞在の間、伊万里をはじめ怪我人全ての治癒にあたってくれた。一つ鬼ながら地位ある姫というだけあって、その治癒術は皆を唸らせた。

 そして意外だったのは、一緒に紫月を手伝っていた千尋が、彼女の治癒術に興味を持ったこと。紫月も千尋が作る清水せいすいを絶賛していて、いつの間にか二人はとても仲良くなっていた。紫月は現在、ここ人の国で母親と暮らしているらしく、千尋は彼女と連絡先を交換していた。


「どう? 痛みはもうなくなったと思うんだけど」

 一通り処置が終わると、紫月が難しい顔をしながら横になっている伊万里に尋ねた。伊万里が顔だけを紫月に向け、元気に笑い返す。

「はい。もうすっかり」

「……傷痕が残ってしまうわね。でも、これ以上は無理かな」

 紫月は悔しそうに唇を噛むと、千尋印の清水せいすいで腹部の傷を清めた。まだ蔓の根の痕が広範囲に痛々しく残っている。当初よりましになったとは言え、決して年頃の女の子が受け入れられる傷痕ではない。腕の傷もそうだ。これは九尾の少年の炎に焼かれた痕。彼のためにもなんとか治してあげたかったが、やはり左腕のひどく焼けたところはどうしても痕が残った。

「大丈夫です。こんなに綺麗になるなんて思わなかったので。もう十分過ぎるほどです」

 起き上がって服を着ながら伊万里が笑う。紫月はそんな彼女をぎゅっと抱き締めた。

 贄姫にえひめ揶揄やゆされ、ずっと端屋敷はやしきに閉じ込められていた。猿師が大切に守っていたが、両親もおらず、幸せに育ったとはとても言えない。だからこそ、紫月は彼女に幸せになって欲しいと思っていた。こんな傷だらけになるために谷に嫁いだわけではないだろう。

 ただ、それでも九尾をはじめ、多くの狐に囲まれる伊万里の姿は、紫月をほっと安心させた。こんな死に目に遭ったというのに、あの端屋敷より彼女はずっと幸せそうに見える。みんなに愛されていることが良く分かる。

 その証拠に──。

「千尋の清水は、これからも小まめに塗るのよ」

「分かりました」

「あと、ここのこれだけど……」

 紫月がふいに伊万里の首筋に触れる。そこには、虫に刺されたような赤みがかった痕がある。

「どうする? 髪も短くなって目立ってるけど、消しちゃう?」

「え?」

 伊万里は思わず首筋を押さえる。しかし、みるみるその顔が真っ赤になった。刹那、傍らにいた千尋が「ええ?!」と声を上げた。

「な、なに? その痕、そういう痕だったわけ?? だっ、誰の? 壬ちゃん? それとも、あの篠平拓真??」

「なななな、なんで、そこで拓真が出てくるのですっ?」

 慌てる伊万里に千尋は含みのある目を向けた。

「だって、いい感じだったから……。壬ちゃん置いて、二人で山を降りてきたんでしょ?」

「なんかその言い方、すっごく引っかかります! そもそも私は意識がなく、拓真に担がれていたはずですよね??」

「でもあんなこと、許された男にしか出来ない」

「あんなことって──、拓真は何をしたのです?!」

 伊万里と千尋がぎゃあぎゃあと騒ぎ出す。

(良かったね、伊万里)

 月夜の里を離れ、きっといろいろあっただろう。でも、ちゃんと自分の場所を見つけている。

 にわかに賑やかになる女の子二人を見ながら紫月はおかしそうに笑った。



 一方、壬はあらためて伊万里以外の鬼のこともいろいろ聞いた。初めて聞く月夜の里のこと。こんなことがあった以上、知っていないといけないと思った。


 月夜の里の伯子・碧霧は猿師の私的な教え子であり、今回碧霧が動いてくれたのもそのせいだ。そして紫月は、伊万里の従姉いとこにあたり、碧霧とは許嫁いいなずけに似た間柄にある。そのため、端屋敷はやしきで幽閉状態で育った伊万里とは違い、月夜での地位もそれなりにあるらしい。ついでに一族郎党のことまで壬は細かく話されたが、ややこしくて途中から分からなくなってしまった。

 ただそんな中、やはり疑問に思ったのが一つ角と二つ角の関係。

「私たちは一つ角の鬼を『一つ鬼』、二つ角の鬼を『二つ鬼』と呼びます。もともと月夜のまつりごとは、一つ鬼の一族が担っておりました。それが、先の争いで二つ鬼の一族にとって代わられ、私たちの一族をはじめとした一つ鬼は排除されました。今は、二つ鬼が幅を利かせ、一つ鬼は紫月さまのような例外を除いては哀れなものにございます」

「どうして、角の数の違いなんかでいがみ合ってるんだ? 何も変わらないんだろ?」

「何もってわけではないですが、まあ、鬼は鬼ですね」

「だったら──、」

「……人間が肌の色で争っているのと同じです」

 そう答え、自嘲的に笑った伊万里に何も言い返せない自分がいた。ちゃんと知っておかないといけないなと壬は思った。なぜなら、もう無関係ではいられないのだから。

 こうして、碧霧と紫月は自分たちの役目が終わると、「人を待たせてあるから」と急いだ様子で去って行った。再び自分たちに会う約束をして。


 それから壬たちも、伊万里の体調が回復したのを見計らい、伏見谷へ帰ることになった。本当はもう少しゆっくりしていきたかったが、学校も休み続けているので、さすがにまずいだろうという話になった。

 別れ際、拓真は壬と伊万里に向かって「藤の季節にまた遊びに来い」と笑った。

「はい、ぜひ」

 伊万里が嬉しそうに頷いた。

 拓真と伊万里の間に何があったのか壬は知らない。ただ、伊万里の態度は、単なる友達に見せるそれとは少し違っていて、壬は内心穏やかではいられなかった。

 しかし、あえて何も言わなかった。自覚があるなら言っても意味がないし、自覚がないならなおさらだ。

 どちらにせよ、伊万里は自分を選んでくれたのだから。


 長かった篠平の旅が終わった。

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