最終話 谷の狐と鬼の姫(3)

 篠平の跡目争いから一か月が経ち、伏見谷に木枯らしが吹き始めた。赤や黄に色づいていた木々も徐々に枝だけになり、山はそこかしこで冬支度を始めていた。

 学校の帰り道、壬と伊万里は御前みさきのバス停から家に向かって並んで歩いていた。圭と千尋はまだ学校だ。千尋は部活、圭はそれを図書室で待っている。

 伊万里が風で散らかるマフラーを結び直した。それを見て、壬は自分のマフラーを外して彼女に巻き付けた。

「それでは壬が寒いでしょう?」

「俺、もともと寒くない」

 遠慮する伊万里に言い返しながら、彼女の首にもこもこにマフラーを巻き付ける。すっかり短くなった彼女の髪は、少し伸びたとは言え、まだまだショートカットの域で、こうでもしないと見ているこちらが寒そうだ。

 マフラーを結ぶ時に触れた伊万里の手はびっくりするほど冷たい。壬は彼女の手を握って自分の上着のパーカーのポケットに突っ込んだ。

「本当に冷たいな、手」

「壬があったか過ぎるんです」

 顔を赤らめながら伊万里が口ごもる。ポケットの中で指を絡ませると、彼女はさらに真っ赤になり、もこもこのマフラーの中に顔を埋めた。

「今日のご飯はなんでしょうか」

 ぼそぼそと伊万里が呟く。彼女の耳が赤いのは、木枯らしのせいか、それとも照れているからか。

「うーん、なんだろうな」

 適当に答えながら壬は立ち止ると、空いた手でマフラーに埋まる伊万里の顔を掘り出した。戸惑い気味にこちらを見つめる彼女の鼻先に、自分の鼻先を重ねる。指と同じで鼻も冷たい。そして壬は、そのまま彼女の小さな唇にキスをした。

 柔らかな感触とチュッという跳ねる音。突然のことで伊万里が驚いた顔をした。しかしまたすぐ、壬は唇を重ねた。今度はさっきより深く唇が絡み合った。

 お互いの体温を感じ合った後、ゆっくりと二人の唇が離れる。伊万里は落ち着きなく目をあちこちに泳がせながら俯いた。

「な、なんでいきなりなんです?」

「だって、可愛いから」

 しれっと答え、壬はいたずらっぽく笑う。そして、ポケットに突っ込んだ手はそのままに伊万里を連れて再び歩き出した。今では日課のようになったキスだが、伊万里はいっこうに慣れてくれる様子がない。それがまた可愛らしくて、壬は思いつく時にキスをするようになっていた。

 冷たい風が二人の間をびゅっと吹き抜ける。今日は天気はいいが風が強い。壬は澄んだ冬空を悠然と流れていく雲を眺めながら呟いた。

「もうすぐ十二月だな。そろそろ雪が降るぞ」

「本当に。私もようやく十七になりますね」

 まるで「明日も晴れますね」ぐらいの軽さで伊万里が答えた。壬が驚いた顔を返した。

「え? 誕生日、十二月なの?」

「はい。十二月三日」

「三日って、もうすぐじゃんか」

「言ってませんでしたっけ?」

「いや、そんな話をしたことがないだろ」

 伊万里が「そうかな?」と首をかしげる。壬が「そうだよ」と念を押した。

「言われたら、そうですかね。千尋と話をしたのかな……」

 伊万里はまだ何かぶつぶつと言っていたが、壬はにわかにそれどころではない。

「プレゼント、何がいい?」

「プレゼント……ですか?」

「そう、誕生日のお祝い。何か欲しい物とかない?」

「そんな突然言われても──」

 伊万里がうーんと唸りながら考え始める。ややして、彼女は「あっ」と声を上げた。

「一つだけ、」

「何?」

 壬が聞き返すと、伊万里がもじもじしながら口ごもる。そして彼女は、ためらいがちに口を開いた。

「私──で、でで、」

「で?」

「あの、その……、デ、デートがしたいですっ」

 最後は一気に言い切って伊万里はばっと俯く。真っ赤な顔が再びマフラーの中に埋まる。壬は、そのささやかなお願いに拍子抜けした。

「そんなんでいいの? 二人で森カフェに寄って帰るのとそう変わらない気がするんだけど」

「ち、違います! 全然違います!」

 伊万里がもこっとマフラーから顔を出し、むっと口を尖らせる。

 なんだか亀みたいだと壬は吹き出しそうになるのを堪え、彼女の顔を覗きこんだ。

「分かったよ。ちょうど日曜日だから、デートしようか」

「本当ですか?」

 伊万里が目を輝かせた。その笑顔に壬も嬉しくなる。そしてあらためて、こういう恋人らしいことをあまりしていない二人の関係を思い返した。

 いきなり「嫁」から入ってきたもんな。

 何も分からず、伊万里が輿入れして来た日のことを思い出す。確かに、いろいろすっとばしている気がしないでもない。

「そうだ伊万里、最初からやってみよう」

「最初からですか?」

「そう最初から」

 壬は伊万里に向き合うと、大げさなほど真面目な口調で彼女に言った。

「伊万里さん、大好きです。だから、俺とデートしてくれませんか?」

 今さら妙に照れくさい。でも、言葉に出すと、なんだか幸せな気持ちでいっぱいになった。

 伊万里が満面の笑みを浮かべる。そして彼女は嬉しそうに大きく頷いた。

「はい。私でよければ、喜んで」

「やった」

 壬はありったけの力で伊万里を抱き締めた。

 そう、俺たちはまだ始まったばかり。

 だから、ゆっくり歩いて行こう。

 これからも続く長い道を、二人でいつまでも。


「伊万里、どこに行きたい?」

「壬となら、どこへでも」


 狐が住まう妖狐の谷に、鬼の姫君がやって来た。これは、恋に不器用なあやかし二人が普通に恋するお話し。



九尾の花嫁 完 

 2021年4月16日

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