思惑と祈り(4)

 壬は、真っ暗闇の中、一人ぽつりと立っていた。

 ここはどこだろう? 何もない。何も見えない。

(あの九洞方って奴は? 伊万里は? 圭や千尋は?)

 すると、暗闇の中からぼんやりと影が現れた。

 全身に黒布をまとい、どこまでが体でどこからが闇なのか分からない。唯一のぞく赤い眼がギラギラとした光を放ちながらこちらをじっと凝視していた。

(よく来たな)

 赤眼の影が言った。

 この声は聞いたことがある。壬は思った。

 あの時、自分に刀を振るえと言った声だ。

(おまえ、誰だ?)

か? おまえが振るった刀よ)

 壬は、九洞方と伊万里の会話を思い出していた。九尾の妖刀なんてものが、封印されていたなんて初めて聞いたが、それが本当ならあの刀は妖刀・焔ということになる。

(おまえは、九尾の妖刀──、焔?)

 影が「くくく」と笑った。

(そうとも言う。が、それは吾の名ではない。おまえ、名は?)

(俺は、伏宮壬)

(なるほど、壬か。九尾の子だな)

 焔の体からボコッという音が鳴り、一瞬彼の体がゆらりと揺れた。

 壬は焔に尋ねた。

(ここはどこだ? 俺はどうなった?)

(ここは、おまえの意識の中。そして、吾の意識の中。おまえは……そうだな、少なくとも死んでない)

 焔がなぞかけのような言葉で答える。そして彼は、ふいっと壬に歩み寄った。

(壬、おまえは何を望む?)

(何をって、俺は何も望んでない)

(それは嘘だ)

 赤眼が壬の顔を覗き込んだ。

(おまえは力を欲したではないか。あの愛らしい鬼の娘のために)

(そうだ、伊万里はどうなった?)

(無事だ。そうか、あの娘は伊万里と言うのか。母親によく似ている)

(おまえ、伊万里の母親のこと知っているのか)

(もちろん。吾の大事なものを預けたからな)

(大事なものって?)

(鞘よ。今はあの娘が持っているようだ。娘は吾を振るう者に鞘とその身を捧げるため、この伏見谷へ来たのだろう? 健気けなげなことだ)

 そして焔は、また一歩、壬に歩み寄った。

(壬、おまえは娘を守りたいのだろう? いや──、)

 焔の声が耳元で響いた。

(あの娘が欲しいのだろう?)

 壬の胸がどきんと鳴る。焔が「くくく、」と笑い声を漏らした。

(娘から鞘を手に入れ、吾を振るえ。さすれば、娘を守ることも、その柔肌やわはだかいなに抱くこともできる)

(……違う、そんなんじゃない。力も、伊万里も、そんな風に欲しいわけじゃない)

(何が違う? きれい事など、なんの役にも立たぬ)

(黙れっ、うるさいっ!)

 壬は腕を振って焔を払った。焔がすかさず壬の腕をかわしながら、ゆらりと後ろに下がった。

(やれやれ、素直になればいいものを)

 壬は焔を睨んだ。

(おまえこそ──、おまえは俺を利用して鞘を手に入れたいだけだろう?)

(まさか。振るい手がおらぬ刀など、ただの鉄の棒に過ぎぬ。吾は、ただ刀であることを望む。それが、どれほど醜態をさらすことであろうとも)

 焔の体が再びボコッと鳴り、体の一部がブクッと膨れ上がった。

(さて、そろそろ行かねばならん)

 ため息交じりに焔が言った。

(もう一人、と話したいやつがいるらしい。くくく、怒っておるわ)

(待てよ。おまえ、どこに行くんだ?)

(どこにも)

 焔が答えた。そして彼は、赤い眼を細めて壬の腕を指さした。

(おまえに印を付けておいた)

(印?)

 腕を見ると、赤黒い痣が右手首に付いていた。

(必要なら吾を呼べ、おまえの魂と引き換えに吾はおまえの刃となろう)

 その言葉が最後、壬の意識も遠のいた。


 伊万里は泣きながら目を覚ました。体を起こすと、涙がはらはらとこぼれ落ちた。

(なんだろう、子どもの頃の夢……?) 

 いつの間にか、着ているものが寝間着ねまきの浴衣になっている。伊万里は涙を浴衣の袖でごしっと拭った。

 小さい頃、乳母が母親で父親は猿師だと本気で思っていた。しかし、両親は里を追われ、自分は不義の子だと知ったとき、自分はいらない子なのだと思った。妖刀・焔の鞘を自分が引き継いでいると知ったのは、さらにもう少し大きくなってから──。自分が生かされている理由はこれかと妙に納得したのを昨日のことのように覚えている。

 伏見谷へ来て、ごはんを皆で食べることがこんなに楽しいのだと知った。コーヒーを淹れるだけで、掃除や洗濯をするだけで誰もが「ありがとう」と言ってくれる。自分はここにいていいのだと、そう言ってもらえているようで嬉しかった。

 そんな平凡で何気ない幸せな毎日を自分が壊した。

「……私はやっぱりいらない子」

 ひとり伊万里は呟いた。


 その時、誰かの足音がトストスと聞こえてきた。そして、伊万里の部屋の前で止まったかと思うと、障子戸がざっと開いた。

「おぉ、起きた」

 壬が立っていた。

「……壬?」

「母さんが、そろそろ起きないか見てこいって言うもんだから」

 壬が何事もなかったように笑った。ロゴ入りのTシャツにジーンズをはき、右手首にはリストバンドを付けていた。

 そして彼は、泣き顔の伊万里を見て、すぐさま彼女の前にかけ寄った。

「どうした? どっか痛い??」

「──壬!!」

 伊万里は壬の胸の中に飛び込んだ。壬が押されて伊万里を抱えながら尻餅をつく。

「ちょっ、伊万里」

「壬、壬!!」

「……ごめん、心配かけた」

 壬が言った。伊万里は何も言わずにぎゅっと壬にしがみついて離れなかった。

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