思惑と祈り(5)

 猿師と稲山の大狐は、奥谷のある洞穴の前にたどり着いた。お互いに頷き合ってから、静かに足を忍ばせて洞穴の中へ進んでいく。

 しばらくすると、苦しそうな九洞方くどぼうの息が聞こえてきた。

「くそっ。俺がなぜ、このようなことに──!」

「…それは、身の程をわきまえぬからよ」

 猿師が声をかけると、九洞方はビクッと体を震わせ、青ざめた顔を上げた。

「貴様──、猿!」

「動けまい。なんせ焔がまともに打って出たのだから」

 じゃりっと猿師が歩み寄る。

 九洞方の体は全身がどす黒く変色し、右腕はすでになかった。こうしている間にも、少しずつその身が崩れてちりとなっていく。

「馬鹿なことをしたものだ。焔を手に入れようなどと……。己ごときが扱える代物とでも思うたか」

贄姫にえひめさえ、端屋敷はやしきの伊万里姫さえ手に入れていれば──グォッ!」

 刹那、猿師の剣先が九洞の左肩に食い込む。

「汚い口で姫の名を呼ぶものではなないな。全く、余計なことをしてくれたものよ。おかげで、壬が焔を振るう羽目になった」

 九洞方が苦痛で顔を歪める。猿師が剣先に力を込めた。

「誰にそそのかされた?どこで焔のことを聞いた?」

「……」

「おまえは利用されたのだ、九洞方。分かるだろう?」

「…鬼伯の側近だ。自分も伯に恨みがあると言うてきた」

「ほう…?」

「あの無刀の…伯に対抗するには、九尾の妖刀を手に入れるが一番だと、さすれば俺が伯の座に……そう言われ──。妖刀は伏見谷にあり、封印を解く鍵は端屋敷の姫が持っていると」

 九洞方はまるで独り言のように話した。

「百目ムカデに呪詛をかけ姫をさらおうと差し向けたが、巫女に阻まれた。そこで、狛犬にこっそり俺の印を付け、怪我を負わせて放った。思ったとおり──、狛犬は清浄な気を求め巫女と伏宮の息子たちに懐いてくれた。そのあとは、思った以上にうまくいった。奴らは勝手にかの九尾の妖刀が隠された地を見つけだし、俺に教えてくれた……」

「見つけたのではない。子どもらも、おまえも、焔に招かれただけだ。焔の暇つぶしに遊ばれただけよ」

 九洞方が「はっ」と自嘲気味に笑った。

「よもや俺が遊び道具にされるとは。やはり、伏見谷は侮れぬ……」

 そして、九洞方は大きく息を吐き目を閉じた。呼吸がどんどんと小さくなっていく。

 猿師が肩に刺した刀を抜いた。

「すまぬな。壬が殺したことにはしたくなくてな」

「おまえは、猿だろう。なぜ、そうまでして狐に肩入れする? おまえは一体、何者だ……?」

 次の瞬間、猿師の切っ先が鋭く弧を描いた。

 洞の中に血飛沫ちしぶきが飛び、九洞方の体がごとりと横たわった。

 猿師が九洞方に向かって言った。

「我は猿。九尾とその一族に一生を捧げると約した者」

 そして猿師は刀をひと振りして血のりを払うと、脇で控えていた稲山の大狐に向き直った。

「勝二、後の始末は頼めるか」

「先生は?」

「月夜の里へ行ってくる。これ以上、鬼伯が動かぬよう手を打たねばならん。しばらく戻らぬゆえ、本家を頼む」

「承知した。焔は?」

「心配はいらん。こちらの言い分を聞くかどうかは別として、儂が話をする。あと、こそこそとうるさい輩が二匹、生きて帰すな」

おうよ」

 稲山の大狐がすっと立ち去った。

 猿師が再び九洞方の亡骸を見た。九洞方の体が一気にちりと化しさらさらと崩れ去っていく。その様子を見ながら、猿師は洞穴の闇を睨んだ。

「出てこい、話がある」

 すると闇の奥から黒布をまとった赤眼の人影がゆらりと現れた。

さる、久しぶりだ」

 赤眼の人影──、焔が言った。

 猿師が焔を睨み返す。

「なぜ、印など付けた」

「なぜ? そりゃ、久しぶりの器だからよ」

 焔が笑った。

「一人はの呼びかけに応えなんだ。もう一人は応えた。なるほどこいつはと思ってちょっと振らせてみたら、あやつ、吾を振り抜きおったわ」

「……」

「くくく、出し惜しむなよ、猿。おまえが三百年かけて育てた九尾の子だろう? 思い通りではないか」

「まだだ。おまえを振り抜いたせいで、壬は死にかけたぞ」

「吾の本気の一振りはそれだけのかてが必要だ。良いではないか、死にかけただけで、死んではおらん」

 焔が口の端に含みのある笑みを浮かべた。そして、その体がボコッと音立てて腫れ上がる。

 猿師が冷ややかな目で焔の体を見た。

「鞘がなければ相変わらずの呪われた体だな」

「くくく、忌々しい限りよ。しかし、それも終わりだ」

 焔が言った。

「母親にそっくりなあの娘──、伊万里と壬が呼んでいたな。鞘さえあれば、この呪われた体も少しは楽になる」

「姫は鞘を壬に渡さん。おまえが余計なことをしたせいで」

「くくく、壬も似たようなことを言っていた」

「……壬と話したか」

「ほんの少し。鞘を手に入れ吾を振るえば、娘も手に入ると言うたら、そんなものは欲しくないと拒絶したわ」

「つくづく余計なことばかり」

 猿師がいらいらとした口調で吐き捨てた。焔が悪びれない様子で首をかしげる。

「なぜ? 隠すは罪よ。吾を隠し、あの二人に吾のことを話さなんだ罪は、おまえが背負うのか? いな、おまえたちの思惑に巻き込まれ、すべてを背負わされたは、あの二人ではないか」

「……もう少し、時間をくれ。壬は必ずおまえの使い手となる。それまで、閉ざされたあの地で大人しくしておれ」

「それは時と場合による。吾はやいば、主に呼ばれれば打って出るまで──」

 闇が徐々に焔を覆いだす。そして、最後の言葉が終わるころ、焔の姿は闇の中に消えてしまった。

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