思惑と祈り(3)

「鞘って、あの刀を納める鞘?」

「はい。その鞘がなければ焔は刀のていを保つことはできないと。確かにあれは、刀というより錆びた鉄の棒のようでした。刀となったのは壬が振るったあの短い一時だけ、壬が力尽きたときには元の錆びついた棒に戻りました」

「それで、その鞘は今どこにあるの?」

「私の体の中です」

「体の……中?──どうやって」

 圭が驚きながら伊万里に尋ねた。伊万里がためらいながらも答えた。

「我ら一族に伝わる秘術です。月夜つくよの里でも、我ら一族以外に使える術ではありません」

「だから、谷に寄越されたのは姫ちゃんだったわけだ。九尾の妖刀の鞘を持っているから──」

 圭は頭の中を整理した。

 妖刀・焔の鞘を持つという伊万里が「九尾の嫁」として伏見谷に輿入れしてきた。つまり焔は、二代目九尾に引き継がれるべき刀で、この刀を持つことが二代目である証しだということになる。

 と、なると──。

「そもそも焔を振るったってことは壬が九尾になるってこと?」

 圭が聞くと、伊万里が冷めた様子で小首をかしげげた。

「さあ? そうかも、しれません」

「……あまり、嬉しそうじゃないね」

 表情なく言葉を返す伊万里に圭は言った。伊万里が自嘲ぎみに笑った。

「どうやって喜べと? ひと振りでこれでは、ふた振り目には本当に死んでしまいます。仮に今後、壬が相応の力を手に入れたとしても、壬に魂を削りながら焔を振るえと言うのですか?」

「でも姫ちゃん、壬の腕に焔の印があるわけだし、そしたら必然的に……」

「いいえ、させません」

 伊万里が圭の言葉を遮った。そして、彼女は壬の腕の痣に自分の額を押し付けた。

「いやです。このような呪いを壬にかけたくない──!」

「姫ちゃん……」

「だめです。絶対にだめです! 鞘は誰にも渡さない!! 二代目さまなど、いなくていい!!」

 そして伊万里はそのまま声を圧し殺して泣きだし、小さく肩を震わせた。

「姫ちゃん、落ち着いて」

 こんなに取り乱した伊万里を見るのは初めてだった。

 

 その時、障子戸が開いて猿師と稲山の大叔父が入ってきた。

「先生、」

 二人の姿を見て、慌てて伊万里が涙を拭った。

 猿師は圭と伊万里の前にひざまずき、まずは圭の頭を優しく叩いた。

「その顔は、護にやられたか」

 頬の湿布を見ながら猿師が言った。圭はばつが悪そうに頷く。

 大叔父が後ろで「かかか」と笑った。

「無事でよかったわい。なあ、先生」

「本当に。それに、千尋をよく守ってくれた」

「守るって──、守れてないし」

 圭がぼそりと答える。猿師が圭に言い聞かせた。

「誰も死んではおらんではないか。あまり自分を責めるな」

「千尋は? 怪我をして熱を出したって姫ちゃんから聞いたけど」

「邪気にあてられてな。しばらく奥社にこもることになるだろう。和真に任せてあるから心配はいらんが、気になるなら水のたまり石を集めてやれ。石の清浄な気は千尋の回復にも役に立つ。阿丸に持たせればいいだろう。阿丸を伏宮に戻すよう伝えておこう」

「分かった。毎日集める」

 圭が力強く頷いた。


 すると、大叔父が壬の枕元にどかりと座り、彼の右手首の痣を確認した。

「ふむ、これが焔の印か。しかし、そうなると、こりゃ、壬が二代目ってことで決まりかの」

「え?」

 圭と伊万里がぎょっと大叔父を見た。

 大叔父がさも当然という顔で笑った。

「焔は九尾の愛刀、それを引き継ぐってことはそういうことだ」

「いや、ちょっと待って、叔父さん」

 圭は真っ青に顔を強張らせる伊万里を横目で見ながら慌てて大叔父を止めた。

「ほら、偶然ってこともあるしさ。だいたい、狐火も出せないのに二代目なんて、そんなの……。壬が振るえたんなら、百日紅先生にだって、叔父さんにだって振るえるんじゃないの??」

「いいや、そんなことあるもんか。それとも何か、おまえが焔を振るいたいって言うんじゃないだろうな?」

「ああ、もうっ。だからそうじゃなくて! 叔父さん、空気を読んで──」

 その時、

「壬に二代目は務まりませぬ」

 伊万里の冷ややかな声が響いた。


 「壬に二代目は務まらない」、伊万里の言葉に大叔父がふと眉根を寄せた。そんな彼に伊万里は皮肉げな笑みを浮かべた。

「圭の言うとおり、振るうだけなら誰にでもできましょう。ひと振りでこのざまの狐を、大叔父さまは私の婿になさるおつもりで?」

 言って伊万里は立ち上がった。

「私は月夜の里の姫。この私に相応のお相手をご用意いただきとうございます。それでも壬を二代目とし、焔を振るわせるために鞘をご所望とあらば、この腹をかっさばいてお取り出しくださいませ」

「おいおい姫さま、腹かっさばくなど、穏やかではないな」

「焔の鞘は誰にも渡しませぬ。当然、壬を二代目になどさせませぬ」

「姫、」

 猿師の静かな声が割って入った。

「お座りください。叔父殿に対して、その物言いはあまりに無礼」

 伊万里がはっと口をつぐみ、気まずそうに顔をそらす。猿師が伊万里の手を取った。

「姫、休まねばなりません。姫まで倒れてしまっては、護やあさ美に迷惑がかかります。本家の嫁としてあってはならんことです。さあ、まずは落ち着いて座りなさいませ」

 伊万里がやむなくその場に座りなおした。そして彼女は猿師に尋ねた。

「九洞方は見つかったのですか?」

「奥谷近くに潜んでいるのを勝二かつじが確認しております。九洞方を含め、すべて猿めが始末します」

「すべて……。あの妖刀を再び封じていただけるのでしょうか」

「あれを封じることはもうできません。封が緩んでいたのは確かでしょうが、あれは起きるべくして起きたのです」

「ではせめて、壬の印を消してくださいませ」

「……最善を尽くします」

 伊万里が絶望的な表情で猿師を見た。

 焔を封じることも、印を壬から消すこともできないのだと理解した顔だった。

 猿師がそんな伊万里の頭をなで、額にそっと口づけをする。

 途端、伊万里が「あ、」と声を上げ、そのままかくんと意識を失った。

「先生?!」

「姫には悪いが眠らせた」

 言って猿師は伊万里を抱きかかえた。

 圭が納得しかねる顔で言った。

「ひどいことするね。女の子にあんな重たいもの背負わせて。先生は……、大人はみんな姫ちゃんをもっと大事にしていると思ってた」

「儂も、勝二も、そして護やあさ美も、姫には幸せになって欲しいと願っておる」

「よく言うよ。これで、どうやって?」

 圭が猿師と大叔父を睨む。

「だったら、姫ちゃんの体の中にあるっていう鞘を出してやりなよ。これじゃあ本当ににえ姫だ」

「姫の意思以外で取り出すことはできん」

「姫ちゃんは壬に鞘を渡さない。先生たちには残念だけど、大人の思いどおりになんてならないよ」

 圭が言った。

「……分かっている」

 猿師がため息まじりに頷いた。そして彼は気を取り直すと、伊万里を抱えて立ち上がった。

「圭、姫は二日は起きないとあさ美に伝えてくれ」

「出かけるの? 先生」

「ああ」

「九洞方って鬼を──、始末しに?」

 すると猿師は圭に笑いかけた。

「圭、怖いか?」

「ううん。怖くない」

 すかさず圭が答える。そして彼は猿師をまっすぐ見返した。

「だって壬が斬ったってことは、もうそういうことなんだろ。俺も腹をくくるしかないじゃないか」

「そうだな、そういうことだ」

 猿師が満足げに笑った。

 そして彼は「行ってくる」と言い残し、部屋をあとにした。

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