こんな間違い、気の迷い(3)

 ごはんを急いで食べ終わり、圭は壬の部屋の前に立っていた。千尋を家に送るつもりだったが、護が千尋の兄の和真に用事があるとかで、それならとお願いした。

 二人の部屋は離れの道場の二階にある。この家では数少ない洋間のひとつだ。

「壬、入るよ?」

 ノックをしても返事がない。しかし、圭はかまわずドアを開いた。

 部屋は電気もついておらず真っ暗だ。圭がパチッとスイッチを入れると、部屋はパッと明るくなった。

「壬、ごはん持ってきたけど……、何やってんの?」

 壬はベッドの上でタオルケットにくるまり、巨大な芋虫のようになっていた。

 圭はお盆を机の上に置きながら言った。

「姫ちゃんとなんかあった?」

 すると、巨大芋虫がビクッと動く。思わず圭もビクッとした。

「おい、出てこいよ。それ気味悪いから」

「……たい」

「は?」

「……もう、消えてしまいたい……」

 蚊の鳴くような壬の声がタオルケットの中から聞こえた。

 圭は大きなため息とともに傍らの椅子にどかりと座った。

「何したの? 姫ちゃんに」

 再び芋虫がビクッと動く。圭はもどかしくなって芋虫をゲシッと蹴った。

「顔ぐらい出せってっ」

 すると壬がもぞもぞと情けない顔を出した。

 圭はそんな壬の顔をのぞき込んだ。

「で、何したの?」

「それは……」

「勢いあまって押し倒したとか?」

「そこまでは──!」

「そこまでは?」

「…………してません」

 言って壬は気まずそうに目をそらす。圭がさらに鋭い視線を向けた。

「でも、似たようなことをしたんだ?」

 次の瞬間、壬が再びタオルケットを頭までかぶり丸くなった。圭が「やれやれ」と頭を掻いた。

 すると、ドアがコンコンと鳴った。圭がすぐに反応した。

「誰?」

「あっ、あの、伊万里です。壬は、大丈夫でしょうか?」

 壬がガバッとベッドから体を起こした。圭がクスッと笑って壬の肩を叩く。

「今、起こしたところ。ちょっと待って」

 圭が答えなが立ち上がりドアを開けると、伊万里がぽつんと立っていた。

「すみません。夜に殿方の部屋に来るのは、はしたないと思ったのですが、ちょっと様子が気になって……」

「だってさ、壬。姫ちゃん、入りなよ」

 言いながら、圭は伊万里を部屋の中へ招き入れた。

「じゃあ、俺は行くよ」

「え? そうなんですか?」

「だって、風呂に入りたいし」

 圭が片手をひらひらと振る。

「圭っ、」

 壬がそんな彼を呼び止めた。

「今日は、ごめん。千尋のことも、その怪我も、俺が悪かった」

「別に、俺も悪かったよ。気が回らなくてさ」

 言いながら圭は伊万里をチラリと見る。彼女はきょとんと圭を見返した。

(やれやれ、こちらも自覚なし。前途多難だなあ)

 圭はドアを閉めながら思った。

 


 二人きりになり、壬と伊万里はお互いに口を開くことができず、気まずい空気が流れた。ややして、壬が口を開いた。

「あの、夕方はごめん。ちょっとイライラしてて──」

「私、何か気に障ることでもしましたか?」

 伊万里が遠慮がちな顔で言った。壬が慌てて首を振る。

「ちがうっ、俺自身の問題。圭と伊万里が二人で反立と同調の練習をしているのを見てたら、なんかちょっと……。それで俺──、」

「はい」

「俺──、俺にも教えて、ほしい……かも」 

 本当はただ拗ねていただけ──。

 でも、本音を口にしようとすると喉がつかえる。壬はとっさに思ってもないことを口にした。

 机の椅子に座りながら伊万里が意外そうな顔をした。

「……気のりを教えてほしい?」

 壬が神妙な顔で頷くと、伊万里は「なんだ」と顔を和らげた。

「言ってくれれば、一緒にしたのに」

「ま、そうなんだけど、」

「じゃあ、今度は一緒にしましょう?」

「川添にまたみんなで?」

「……いえ。たまり石は……、私一人で探してきます」

 伊万里の顔が少し曇った。壬は彼女の顔を覗きこんだ。

「なに? なんかあった?」

「え? いや、何も……」

「深刻な顔してる。もしかして、何か話したいことがあって来た?」

「あ、それは……」


 伊万里は自分の心の中を見透かされたような気持ちになった。

 

 「壬の様子が気になった」なんて、ていのいい言い訳、本当のところ自分が壬に会いたかったのだと伊万里は思った。

 九洞方くどぼうのことは彼にも話すつもりはなかった。いや、こんな厄介事を話したくない。さすがに壬にも呆れられるような気がした。

 それでも、心の中に渦巻く不安をどうにかしたくて、壬に会いに来た。自分勝手だが、壬なら黙って何も聞かずに一緒にいてくれると思った。

 

 抱き寄せられたときのどきどきが再び伊万里の胸によみがえる。

 ただ、このどきどきは嫌いじゃない。


 伊万里はおそるおそる口を開いた。

「壬、あの、今日の夕方のことですが……」

 すると、伊万里の言葉を聞くやいなや、壬がガバッと板間に座り額を床に擦りつけた。

「何度でも謝るけど、そのことについては、本当にすいませんでした!」

「いや、私、そういう意味では──」

 伊万里は慌てて壬に言った。

「壬、顔を上げて──」

 しかし次の瞬間、


「二度とこんな間違いはいたしません!」


 壬の口から出てきた言葉に、伊万里の顔がピタリと硬直する。

「こんな……間違い?」

「はい。ちょっと魔が差したというか、気の迷いというか、本気じゃないから心おきなく九尾探しに専念して下さい」

「……魔が差した? 気の迷い??」

 わなわなと伊万里が震え出す。

「あれだけのことをしておいて、本気ではないと?」

「あ、いや、俺が本気だと伊万里が迷惑だ……ろ?」

 戸惑った様子で壬が答える。伊万里は怒りにうち震えながら頷いた。

「ああ、そうですか。つまり、あなたは女子であれば誰であろうと見境みさかいなくあのような行動に及ぶと、そういうことですね?!」

「いや、あれ……? 俺、今、謝ってるよね?」

「ええ、本当に。見事な土下座っぷりでございます」

 伊万里がすくっと立ち上がる。

「あなたさまのお気持ちはようく分かりました。壬のおっしゃるように、今後は九尾さま探しに邁進まいしんいたします!」

 そう言うとドアの音も猛々たけだけしく伊万里は出ていった。

「ちょっ、伊万里──」

 壬の手がむなしく宙をさ迷う。何がなんだか分からないまま、誰もいなくなった静寂が壬を包んだ。

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