7)夏祭り

夏祭り(1)

 次の日、壬はとにかく伊万里に謝ろうと意を決して台所に降りていった。

 できるだけ自然にさりげなく「ごめん」の一言が言えるよう、伊万里にどう声をかけようか一晩中考えた。とはいえ、実際、何に対して自分が謝ろうとしているのか、もう分からなくなってきている。


(いや、違う。ここまできたら、謝ることが目的だ。何も考えるな、俺)


 しかし、いざ朝食を食べに台所へ行くと、台所はいまだかつてないほどピリピリとした空気に包まれていた。

 エプロン姿の伊万里が朝食で食べる果物を切っているのだが、まな板まで切ってしまいそうな勢いで荒々しく包丁をたたき下ろしている。

「伊万里? おはよう……」

 壬がおそるおそる声をかけると、伊万里はくるりと振り返った。

「ああ、壬。おはようございます」

 爽やかに笑いながら、きらりと包丁の刃をこちらに向ける。壬の頭の中から一晩かけて練った謝罪計画が一気に吹き飛んだ。

「あ、あの、伊万里さん?」

「コーヒーはご自分で淹れてくださいますか? 私、あなたの召使いでも嫁でもありませんので」

「ちょっと、あの、昨日のこと──」

 刹那、包丁がテーブルに突き刺さった。

「いっ?!」

「私も、なんとも思っておりませんのでお気遣いは無用でございます」

 壬が凍り付く。彼はそのままストンとテーブルに座った。

 あさ美がそろりと壬に近づき怒り口調で耳打ちする。

「夕べは、どうしようもなく落ち込んでいたと思ったら、今朝はあの状態。何があったかは知らないけれど、本当に普通に仲直りしなさいよっ」

 その時、圭が大きくのびをしながら「おはよう」と入ってきた。そして彼は壬の隣に座ると、伊万里の様子を見ながら落ち着いた口調で呟いた。

「うーん、今度はいい感じに荒れてるねえ」

「圭、おまえ何をのんきに…」

「何をどうしたら、こんな展開になるんだか。バカだろ、おまえ。あ、姫ちゃん、俺もトーストで」

 何食わぬ顔で圭が言った。


 おかげでその日は、誰かがおしゃべりすることもなく、とても静かな朝食だった。しかし、圭が朝食を食べ終わる頃、ふいに口を開いた。

「ねえ、母さん。阿丸を犬サイズにするのって、どうするの?」

 昼食の下準備をするあさ美が「うーん」と首を傾げる。

「どうって、別にそのまま。小さくなれーって思うだけ。賢いから、分かってくれるわよ」

「本当に? 適当だなあ」

「なあに、阿丸をどこかに連れていくの?」

「うん。川添かわぞえに」

 するとあさ美の隣で洗い物をしている伊万里が手を止めて振り返った。

「たまり石なら、私が取ってきます。川添かわぞえでも尾振おぶでも、もう分かりますから」

「いや、姫ちゃんには悪いけど、千尋と二人で行きたいんだ。この前、ほったらかしにしちゃって遊んでないから」

「お二人で?」

 伊万里が顔を曇らせる。

「あ、だから阿丸は連れて行くよ。それなら姫ちゃんなしでも安心でしょ」

「……」

「心配してくれるのはありがたいけど、ごめん、二人で行きたいんだ」

「そう、ですか……」

 伊万里が納得しかねる様子で言葉を濁す。圭は少し苛立った顔で飲みかけのコーヒーカップをテーブルにタンと置いた。

「俺ら、姫ちゃんに許しをいちいちもらわないとダメなわけ?」

「いえっ、そういうわけでは──!」

「じゃあ、どういうわけ?」

 見かねて壬が間に入った。

「やめろよ。伊万里も心配しすぎだと思うけど、圭だってこう立て続けに千尋が襲われてたら、実際落ち着いて遊べないだろ?」

「それは、まあ、そうだけど」

「水のたまり石は伊万里にまかせて──、そうだ、夏祭りに誘えよ。来週じゃんか」

「夏祭りに? でも、いつも一緒に行ってるし」

「クラスの奴らとみんなでだろ。今年は二人で行けば?」

 あさ美が壬の言葉に相づちを打つ。

「私もそれに賛成。最近、ちょっと谷が騒がしいから、二人で出かけるなら人が多いところがいいかな」

「分かったよ。千尋にそう言ってみる」

 圭がしぶしぶ納得した顔で頷いた。しかし、すぐにひとりで笑った。

「圭、なんだよ。どうかしたか?」

「ん? いーや、ちょっと思い出しただけ」

「何を?」

「ほら、あの道……、いや、そんなことより」

 そう言って圭は途中で言葉を濁し、壬にそっと耳打ちした。

「壬は姫ちゃんを連れて行ってあげないの?」

「俺は──」

 そこまで言いかけて壬は、炊事場に立つ伊万里をちらりと見た。

 伊万里を連れていってやりたいが、今の彼女が自分と行きたがるかどうか。

 すると、圭が伊万里に声をかけた。

「ねえ、姫ちゃんも壬に連れて行ってもらったら?」

「え?」

 突然話を振られ、伊万里が戸惑いがちに壬を見る。

「でも、いつも一緒に行っている方々と行ったほうが……」

「別に今年ぐらいかまわないよ。なあ、壬」

 言いながら圭が肘で壬をつついた。壬は慌てて頷くと、小さく咳払いをした。

「じゃあ、伊万里も行く?」

 しばしの沈黙。ややして、

「行きたい……です」

 遠慮がちではあるが、伊万里が嬉しそうに頷いた。そんな彼女を見て壬も嬉しくなった。

 そして伊万里は、さっきまでの不機嫌が嘘のようにいそいそとエプロンのポケットからスマホを取り出した。

「早速、これを使ってみます。千尋にいろいろ相談しないといけません」

「そういや、買ってもらってたんだな。なんだ、もう千尋と友達登録してんのか?」

「当然です。私の女子高生の師匠ですから」

「いや、だから、おまえ女子高生じゃないだろ」

 そう突っ込む壬の言葉はもう伊万里に聞こえていない。彼女はぎこちない操作で懸命に書き込むと送信ボタンを押した。


(伊万里)『相談事あり。伏宮まで来訪らいほうう。』


「はあ、できた。ふみを書き込むのが少々面倒ですが、万人ばんにんが使えるあたり、式神を飛ばすより便利かもしれません」

「いやいや、待て待て。これ、女子高生のトークじゃねえだろ」

「失礼ですね。ちゃんとトークしてますよ」

「どこがだっ」

 するとピロリンと伊万里のスマホが鳴った。


(千尋)『土曜の午後2時、家で待たれたし』


「返ってきました! ええと、三日後ですね! 『了解』っと!」

「マジかよ……」

 喜ぶ伊万里の隣で壬が呆れ返る。圭が必死に笑いをこらえながら立ち上がった。

「じゃあ決まり。クラスのグループには俺らは今回別行動するって断るとして──。俺は俺で千尋に送っておくから。それと壬、今のいっこ貸しだからな」

 圭がしたり顔で壬にウィンクした。

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