混乱の里(4)

 そんな千尋にかまわず、拓真が引き裂いた伊万里の服を左右に広げキャミソールをまくり上げた。腹部と一体化した赤黒い蔓の根が、さらに背中の方まで伸びていた。まるで伊万里から全ての養分を吸い取ろうとしているかのようだ。

蔓睡果まんすいかというものを飲まされたらしい。魂の奥底の核となる部分を最後は蔓が絡み取ると太一郎が言うとった。分かるか?」

蔓睡果まんすいか……、そんな蠱毒こどくは聞いたことがない」

 猿師が難しい顔をして考え込んだ。ややして、彼はため息混じりに答えた。

「蠱毒には古来からあるものと、それを応用して新たに作られるものがある。大概、失敗に終わるがな。これは、きっとそういう類いのものだ」

「なんとかなりそうか?」

「そもそも蠱毒に解毒などない。あるのはあくまでも対処法だけだ」

 言いながら猿師は自身のシャツを脱いで伊万里にかけた。そして、傍らで不安そうに様子を見ている千尋に言った。

「千尋、清水せいすいを作れるようになったそうだな。今すぐ、作ってもらえるか?」

「分かった!」

 千尋が慌てた様子で頷き、岸辺へと走っていく。圭がその後に続いた。

「俺も手伝うよ。水の玉から作らないと」

「必要ない」

 すかさず千尋が答えた。圭が「え?」と怪訝な顔をする。そんな圭に千尋は「何か水を入れる物を持ってきて」と言ってから、川面をじっと見つめた。

 すぐさま圭が近くにあった笹の葉で湯呑ゆのみを作って戻ってきた。

「これでいいかな」

「やだ、懐かしい。笹の葉のコップ、子供の頃よく作ったね」

「でも千尋、水の玉を作らずにどうやって──」

「あった」

 圭の言葉を遮り、いきなり千尋が川面に手を突っ込んだ。そして透明の石を摘まみ上げる。それは石と言うには少し柔らかくグミか何かのようだ。

 圭が何を見つけたんだとばかりに、いよいよ怪訝な顔をした。

「千尋、それって、水のたまり石……?」

「うん、生のたまり石」

「な、生?」

 圭が驚いた様子で聞き返した。千尋が「うん」と頷き返す。

「たまり石になりかけている川の清浄な気そのものだって、イマが言っていた」

「まさか千尋、見えるの?」

 千尋が黙って笑う。そして、「時間がないから」と再び視線を川面に戻した。思わず息を飲む圭の前で、千尋はいとも簡単に水のたまり石を見つけていく。あっという間に笹の湯呑ゆのみに石がたまった。

「すごいな、千尋」

「見えて良かったって生まれて初めて思う」

 千尋が少し嬉しそうに言った。そして彼女は笹の湯呑みを両手で包み込むと、目を閉じてぐっとそこに力を込めた。湯呑ゆのみの中のたまり石が、一つ、また一つ、ぷるりと水に変わっていく。そして、連鎖反応のようにぷるぷるっと弾けると、全ての石が水に変わった。

「出来た」

「もうっ?!」

 圭が驚く。

清水せいすいって、こんな簡単に作れるの?」

 千尋が「さあ?」と首を傾げる。そして彼女は、大急ぎで猿師と拓真の元へそれを持って行った。

「先生、これでいい?」

「ありがとう、千尋。さすが早いな。では、これを姫に飲ませよう」

 猿師が感心しながら、急いだ口調で言った。千尋が伊万里の口元へ笹の湯呑を運ぶ。

 しかしその時、

「儂に貸せ」

 拓真が千尋から清水の入ったそれを奪い取った。そして清水を一気に自分の口に含ませると、そのまま伊万里に深く口づけた。

 千尋が再びぎょっとした。

「ちょっとっ?!」

 千尋は思わず拓真の腕を掴んだ。緊急時だからって、やりたい放題にも程がある。しかし、彼はうるさそうに千尋を睨んだ。

「さっきやったからもうええんじゃ。それより猿師、これで助かるんか?」

 口をぐいっと拭いながら拓真が猿師に尋ねた。猿師は少し驚いた様子を見せたものの、すぐさま厳しい顔を左右に振った。

「分からない。後は姫の力を信じるしかない」

 言って猿師は壊れ物を触るかのように伊万里の頬をなでた。それから藤の実を握ったままの彼女の手の上に両手を重ねた。

「姫、毒などに負けてはなりません。藤花さま、どうか姫をお守りください」

「……もう、こんな神頼みしかないんか」

 拓真がじっとしていられないといった様子で吐き捨てた後、千尋に笹の湯呑を突き返す。

「おい、巫女。もう一杯作れ。たくさん飲ませた方がいいかもしれん」

「も、もう一杯って。もう一回、同じことをするつもり?!」

「二回も三回も変わらんわい。早うせんかい!」

 千尋が真っ青になって小声で圭に訴えた。

「け、圭ちゃん! 圭ちゃんからも何か言ってよ! ど、どういうこと??」

「どうもこうも、亜子さんが横やりって言ってたじゃん。確かに彼の言う通りだし、もう一回作ろう」

 圭が落ち着いた様子で千尋を促した。しかし、内心穏やかではいられない。

(壬、何をやってんだよ。本当に姫ちゃんを取られるぞ……)

 目の前の男は明らかに伊万里と何らかの関係を築いている。まがいなりにも蠱毒に侵された彼女を抱え、山を下りてきたのは彼なのだ。


 拓真に言われ、千尋は二杯目の清水を彼に持って行った。再び拓真が伊万里に口移しで飲ませる。相変わらず伊万里はぐったりと目を閉じたままだったが、ほんの少し頬に赤みが差した。

 猿師が手ごたえを感じたのか、力強く頷く。

「よし、このまま安静に出来る場所へ移そう」

「それなら、儂の別邸へ」

 すかさず拓真が答えた。

「どういう状況か分からんが、あそこがダメならどこへ行っても里の中はもうダメじゃ」

「分かった。別邸へ行く。みんな早く乗れ」

 猿師がみんなに声をかける。そして彼は、全員が乗ったことを確かめエイを急浮上させた。

 エイがぐんぐんと風を切り空を進む。再び雑蟲ぞうこが何もない空間から溢れ出てきた。今度は狛犬の阿丸がエイの背中から飛び出して、それらを一掃した。

「着くまでに情報を共有しておく。拓真、昨夜から起こったことを手短に話してくれるか」

 口早に猿師が言った。拓真は頷き返した。

 そして、昨日あった出来事をひと通りみんなに話した。

 深入で太一郎に襲われ、その時に伊万里の腹部から蔓が芽吹いたこと。太一郎の目的は妖刀だったが、焔を振るった太一郎は焔に喰われてしまったこと。さらには下山途中の祥真の急襲。そのせいで、壬が重傷を負い、祥真もろとも崖から落ちてしまったこと。

 猿師はその話を厳しい表情のまま黙ってじっと聞いていた。亜子は、信じられないと頭を左右に振った。

「太一郎が死んだのはともかく、祥真まで? 嘘だろう??」

「嘘じゃない」

「でも、同じように落ちた壬は生きてたって──」

「九尾と兄貴じゃ違うだろが!!」

 拓真が震える声で唸るように言った。。

「頭が割れて、腹のもんぶちまけて、生きている訳がなかろう!!」

 亜子がぐっと押し黙る。拓真は静かに目を閉じて、自分に言い聞かせるように言った。

雑蟲ぞうこに憑かれ正気も失い、もう兄貴ではなくなっとった。もう、篠平祥真はこの世におらんのじゃ」

「拓真──…」

 亜子はおろおろと拓真にすり寄ると、彼をぎゅっと抱き締めた。

「側にいてやれなくて、ごめんよ。よく無事で、伊万里を連れて戻ってきた」

 亜子の腕の中、拓真が力なく俯き肩を震わせる。彼の大きな目から涙がこぼれ落ちた。

「何も、守れんかった。篠平はもうしまいじゃ」

「違うよ。今から取り戻すんだよ」

 亜子が拓真を抱きながら力強く答える。彼が必死になって辿り着こうとしていた別邸が、すぐそこに見えてきた。

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