混乱の里(3)

 ぎらぎらと殺気立った目はそのままに、拓真は細面ほそおもての眼光鋭い男を仰ぎ見た。

「篠平拓真だ。拓真と呼んでくれ。あんたが猿師か」

「いかにも」

 刹那、拓真が力なく頭を下げた。

「儂に力がないばっかりに、こんなことになってしもうた。九尾が、あんたなら伊万里を助けられると、そう言って……。巻き込んでおいて言えた立場ではないが、二人を助けて欲しい」

「言われなくても。よく、その状態の姫を守ってくれた」

 言って猿師はエイの背中を指差した。

「姫の状態を見たい。ひとまずあそこへ」

 拓真が小さく頷き返す。そして、彼はエイの背中に伊万里を寝かせた。狛犬の阿丸が伊万里に顔をすり寄せて様子を窺う。

 伊万里は青白い顔で、まるで呼吸もしていないように見える。蔓はすでに肩のあたりまで絡みつき、着ている服も一緒に巻き込んでいた。

「姫とは別に、壬はどうした?」

 伊万里の状態を確認しながら猿師が言った。拓真が気まずそうに目を泳がせた。

「二人は……同時に運べんかった。だから山に置いてきた。──瀕死ひんしだ」

 最後は消え入るような声で拓真が答えた。

 千尋が眉根を寄せ、両手で口を押さえる。圭が居ても立ってもいられない様子で言った。

「俺が探しに行く」

「行くと言うても分からないだろう。儂が案内する。まずは伊万里を猿師に見てもらうのが先じゃ」

 拓真が言った。すると亜子が「そんなボロボロの状態で、」と口を挟んだ。

「だったら私が行く。場所はどこだい?」

 しかし拓真は答えない。それどころか、彼の拒絶するような眼差しは、亜子が同行することに反対しているようにも見えた。亜子は、なんとも言えない複雑な顔をしながら拓真を見返した。

「……私を、疑っているのかい?」

 さっきから拓真は明らかに自分を避けている。こちらと目を合わせようとせず、まるで初めて会う他人のような扱いだ。そんな彼の態度を敏感に感じ取り、亜子が拓真に尋ねると、彼は迷子のような目を彼女に返した。

「敵の狙いは妖刀・焔。つまりは九尾と伊万里じゃ。伏見谷への助力を言い出したんは──、亜子、おまえじゃ」

「拓真……」

 実の弟のように大切にしてきた彼に疑いの言葉を吐かれ、亜子は怒るというより悔しくなった。ずっと家族のように一緒に暮らしてきた。自分たちの絆はこんなに簡単に壊れるような程度のものだったのか。

(違う、)

 ここまで彼を混乱させるほどのことが昨夜起こったのだ。そう思うと、亜子はどうして側にいてやれなかったのかと激しく後悔した。

 すると、

「やめないか。壬はまだ生きている」

 猿師の静かな声が二人をたしなめた。その場にいた全員が猿師を見る。彼は、自身の刀の柄に止まっているてんとう虫を見せた。

「反応はないが、壬の式神は消えておらん。まだ生きている。だからこそ、急がねばならん」

 無駄な言い争いをしている場合ではないと、拓真と亜子を交互に見る。拓真が気まずそうに顔を背け、亜子は悔しそうに眉根を寄せて俯いた。

 ふと、猿師が伊万里の手に握りしめられている藤の実に気がつく。

「これは……」

深入ふかいりの藤の実だ。……伊万里の母親がそこで殺されておる」

 圭と千尋、そして亜子が「え?」と驚きの声を上げ、眉根を寄せた。猿師が静かに視線を落とす。

 拓真は、驚く圭たちを一瞥してから、一人静かな猿師に視線を戻した。

「……あんたは、さして驚かんの。知っておったんか」

 猿師は黙ったまま答えない。その彫刻のような表情からは彼の感情は読み取れない。拓真は責めるような口調で言葉を続けた。

「どうして、動かんかった? 犯人を探そうとは思わなかったんか?」

「……動けなかった。生まれたばかりの姫を守るために」

 猿師が自分自身に言い聞かすかのように呟いた。

「だから何も知らないことにした。犯人を探し当てれば、きっと殺しに行きたくなる。ならば、最初から何も知らない方がいい。これは、誰にも知られず終わったことなのだ」

「…………」

 当時、何があったのか。

 誰にも問われることなく、何もなかったかのように、一人の鬼姫の死は闇へ葬り去られた。

 ただ猿師の言葉から分かったのは、彼は毒をあおるような気持ちで全てを飲み込んだのだろうということだった。まだ生まれたばかりの赤ん坊を守るために。

「父親のことは、聞いても大丈夫か? やっぱり、殺されたんか?」

 拓真が尋ねると、猿師が意識のない伊万里の頬をそっとなでた。そのあてのない遠い眼差しは、伊万里を通り抜け、彼しか知らない風景を見ているようだった。

「もう、姫の父親を名乗る男はどこにもいない」

 感情のない口調で猿師が淡々と答えた。

「藤花さまを守り通すことも出来ず、中途半端に手を出し、最後まで己の罪を悔やんでいた愚かな男だ。ただ、」

「ただ?」

「誰よりも藤花さまを大切に思っていた」


 初めて聞く伊万里の両親の話に、全員が重苦しく口をつぐんだ。しかし、すぐに猿師がきびきびとした口調に切り替える。

「さあ、まずは姫をなんとかせねば」

 その声に拓真が慌てて伊万里に視線を戻す。そして彼は、刀をおもむろに取り出した。

「すまん。見てくれ、体に根が張っておる」

 言って彼は、その刀で躊躇ちゅうちょなく伊万里の服を切り裂いた。

 その躊躇ためらいのなさに圭も千尋もぎょっとする。すると、拓真がはっと顔を上げて圭を睨んだ。

「おい伏宮、見るな。後ろ向いとれ」

 千尋が思わず拓真を指差す。

「ちょっと、あなただって──!」

「儂は昨日の夜もう見たからええんじゃ」

 すかさず拓真が言い返し、圭に「早くしろ」と睨みをかす。肩をすくめて圭が後ろ向きになるその横で、千尋が「もう見たって──!」と口をパクパクさせた。

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